Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

久々に関西へ戻って

今年の目標に最低一か所一人旅を掲げていたのだが、 体調不良や多忙により叶えられないまま早くも11月を迎えてしまった。いや、少し嘘だ。時間なら探せばあった。 スカートの裾からほつれた糸を引っ張りだすように、 多少の時間は作れるものなのだ。

自分の怠惰の性格のせいという答えの方が、よほど真実に近い。 休みがあれば昼寝をしたい、 五千円浮いたなら貯金をしておきたい、とそんな具合だ。

あと1年もたたないうちに日本から飛び立つのだから、悩まずに日本縦断にでも出かければ良いのに、そんなやる気を欠片も見せないのは私だからだ。

そんな折、関西にある母校からキャリア講座の講師を依頼された。 講座自体は3時間程度なので、日帰りでも対応可能だ。 暇人なので二つ返事で引き受けられるのだが、メールを作成しながらふと今年の目標が脳内に点滅した。

せっかくなら、有給をもらって旅行してみようか。

東京では両手の指で数え切れるほどの浅い交友関係しか築けていないが、関西には会いたい人が多くいる。 両手に右足の指を足したくらいの人数はいる。

コロナによって遠くで暮らす人と会う機会がめっきり減った。 定期的に連絡を取っている人ならまだしも、いきなり私から連絡をとって迷惑ではないだろうかと気遣いながら のLINEを送る。講師以外の用事も湧いてしまい、 友人に連絡を取ったのは旅行の1週間前というギリギリになってしまったが、彼ら彼女らはとてつもなく優しいので快く私と会う時間を作ってくれた。糸を引っ張るようにスルスルと。 一人旅でも怠惰を発揮して、近くのコンビニで買ったポテチとビールとケーキを抱えてホテルに引きこもりという夜を過ごすことが多いのだが、ありがたいことに全ての食事をそれぞれ違う友人と楽しめることに なった。

「最後に会ったのいつやっけ」

「コロナ始まったくらいで、私が信州行く前とかやから、 3年以上経ってるかな」

答えながら、奇妙な感覚になった。もっと何回も彼らと会っていたのではないか。もしくは3年も経っていないのではないか。いや、 朧げな記憶は確かに1年という感覚ではない。 長い1本道の先に立っている友人が米粒のようにしか見えないのと同じような気持ちだ。

私は都内で定期的に会う友人とよく、時の流れが分からないという話をする。 大学入学時点でネピア色の写真をコルクボードに貼り付けるように 時間が固定されて、自分が何も変わっていないように錯覚する。 顔に皺やシミが浮き出たわけでもなく、体重も変化ない( むしろこの1年間で痩せたので、20歳の時と同じくらいだ。)。 胸やお尻が垂れたと感じることもない代わりに、 お腹はぷにぷにしたままだ。不思議なことに、大学入学式の10代 だった自分を見ても変わっているように思えない。 むしろ今の方が若返っているように思う。ちなみに母親からは「 あの時よりもメイクが上手になったからじゃない? 今の方がナチュラルだもん」と言われたのだが、 一理ある気はしている。

ともかくとして、だいたい女友達と話すときは

「私たち、変わらないよね。 全然老けたように思えなくて怖いんだよね」

「でも、確実に老けてるはずではあるんだよね。だって、 もうすぐ大学入学してから9年くらいになるんだから」

「私たちが、年齢を感じる日が来るのはいつなんだろう」

という方向になり、底なし沼に落ちていくような恐怖も湧いてきて、 答えは出ないまま別の話題へと移るのだ。

 

3年ぶりに会った友人を見て驚いたのは、体形の変化だった。 数人の男友達と会ったのだが、全員、 体重が増加していて一瞬誰だか分からなかったほどだ。

私はその時、自分が時間の変化を老けたかどうかという点のみで捉えてしまって いたことに気がついた。彼らは老けたわけではない。外見は20代にしか見えないし、肌にもハリがある。けれども、彼らはもっと細身だったし、あの頃とは違う。

これが時間の変化なのかと不思議な感覚にとらわれた。 目の前で浦島太郎が玉手箱を開けられた人たちも同じ気持ちになっ たのかもしれない。

時間は重い。それなのに、 自分の時間は無限にあるように錯覚して空気のように遣ってしまう。他人を見てから初めて気がつくのだ。彼らが変わっているのだから、自分だけが変わらないなんてあり得ない。

私は自分が変わったと思う方が健康的なのだろうか。変わっていないと思う方が安心できるのだろうか。

変わるとは成長するとも言い換えられる。その点で言うならば、 英語やイタリア語能力も多少は向上しているし、 歌謡曲のワンフレーズにでもありそうな出会いと別れを繰り返したので、変わったこともあるだろう。悲観的になることもあるが、大まかには喜ばしいことであるはずだ。

しかし、小さい頃ならば喜べた成長する変化を喜べなくなっている自分もいる。それは、変化が衰えに言い換えられる年齢になったからだ。

成長はしたい。でも衰えたくない。大変な贅沢だ。 日本の予算を積んでも叶わないほどに。

こんなことを考えてしまっている時点で、 私は十分に年齢を重ねてしまったのだと苦笑する。

 

その1週間後、大学時代の友人の結婚式に出席した。 私たちは3人グループだったのだが、 大学時代は毎日のように一緒にお昼ご飯を食べて、 たまの休日にはウィンドウショッピングに出かけていた

「ヨシナリの結婚式出る時は、このドレス着て参加しような! おそろいで」

「いいね、可愛いやん」

「気が早いやろ、まだ結婚しないで」

「でも、絶対にお互いの結婚式には出ようね。絶対に呼ぶね」

あれが若いってことだったのかなと思う。笑い声で物事を解決できていた。

そして約束どおり、私と友人はお揃いのドレスを着て、もう1人の友人の結婚式に出席した。3人の中で結婚するなら、 彼女が一番乗りだろうなと予想していたら、その通りになった。 あんな冗談と笑い声をかき混ぜた約束でも、 叶うことはあるのだと思うと挙式前から景色がぼやけて見えていた 。受付をしながら「ヨシナリ、早いよ」 と冷静にもう1人の友人から突っ込まれた。

ふわふわのウェディングドレスに身を包んだ友人に手を振りながら 頭をよぎったのは、1週間前に出会った友人達のことだった。

 

1週間前の帰り道に、 高層ビルから山間部へと流れゆく景色を追いながら、 私は泣いていた。

変わることと変わらないことの均衡を保てるのは、今の仕事でも、 今の都市でもない。転職して、関西に帰って、マンションを買って、時々親しい人達と会えれば、私は寂しさから逃れることもできる。知り合いのいない東京の狭いコミュニティにいるのは疲れてしまった。

たぶん、これも、変わるということなのだろうな。

でも、あともう少しだけ、今の仕事とこの街で頑張ってみますか。

また会おうね、関西。

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