小学1年生の頃に人類最悪の歴史的事項に名を連ねるホロコーストの存在を知って以来、信じつけていることがある。
それは、人間は一人では生きられないということだ。
社会を回しているのは助け合い、コミュニケーションだ。どんな小さい仕事であっても、目に見えない部分だとしても、自分は誰かに支えられている。
なんてことは、私も理解しているのだ。
だが、それはそれとして、私は他人に頼ることが得意ではない。甘えることも苦手。
たまにSNSでは「男性は女性に奢るべき」論争が炎上しているが、奢られても絶対に相手に後から送金してしまう性格なので、呟きを読みながら背筋が凍る。奢る奢られる論争がなければ、もっと世界の私のメンタルも平和が保たれるはずだ。
いや、でも、奢る奢られる論争も、人間は一人で生きていけないからこそ生じる問題であって、きっと私のような性格の人間が世界に溢れかえってしまったら、社会からコミュニケーションが途絶えてしまうのだろうと。それこそ、人類最大の悲劇だ。奢る奢られる論争は、世界が平和な証なのだ。
……などと講釈をたれてみるものの、他人に頼るのが苦手な私にとって、人間社会は非常に生き辛い場所だ。まるで自分が他の惑星からやって来た知的生命体かのような語り方をしているが、私は人間だ。念の為。
今の部署には直上の上司や部下がいない。室内にいる同僚とは上下関係がないフラットな関係性。自分に裁量があるので、決裁を差し戻されて締め切りを徒過するなんてトラブルも発生しない。自分でスケジュール管理でき、自分より立場が上の人にも意見を申せる図太さメンタルの強さがあれば、仕事もサクサク進めることができる。
前者は問題ない。私は友人から「狂気」と称されたこともあるほど、きっちりと日程管理をするタイプだ。
着任当初に戸惑ったのは後者だった。電話口では「あ、あの……」とどもらなければ会話を始められないほど、コミュニケーション能力が低いためである。だが、1年半も過ごせば図太さ強いメンタルも培えてきたと実感している。
そのとおり!!今の部署はキョドリ&ドモリのダブルパンチを食らっているコミュ障女にも安心安全超絶快適な「人を頼らずとも何とかやっていけるポスト」なのだ!!!!
そう思っていた。
有給を取得するまでは。
お盆の1週間後にちょっとした案件が発生することになった。
仕事の予定の有無に関わらず9月に帰省する私にとって、お盆返上は気にする事象ではない。むしろ、皆のいないお部屋を独り占めできてヤッホーと浮かれてしまうくらいだ。
8月後半に案件を終えて、私は安心して遅ればせながら夏季休暇の計画を立て始めた。自分のやるべき仕事をまとめあげ、金曜日の夜にビールを一気飲みするような清々しさで新幹線の指定席を探し始めた。
だが、ここで予想外の事態が起こる。
完結になったはずの案件が、むしろ最高潮ともいえるほどの大炎上を巻き起こしたのだ。
「大丈夫ですよ、それなら夏季休暇取らないので」
担当者からの説明を聞いた私は、当たり前のように周囲の同僚に休暇を取らない意向を伝えた。
自分の案件が炎上したなら、対処のために休まない。当然のことだと思っていた。だから、先輩からの一言をあまり素直に受け止められなかった。
「え?何を言っているの?ダメだよ、夏季休暇取らないと。夏季休暇取得は労働者としての権利なんだから」
「いや、でも、私の案件が燃えちゃってますし。それに、9月に取れなくても10月に有給取って帰省しますし」
「10月は別に休めばいいけど、別で夏季休暇も取らないとダメ」
窘められても、有給休暇が重要であるようには思えなかった。
なぜなら、私は他人に頼るのが苦手なのだ。
私が休んでいる間の調整は?ファイルの整理は?作成した文書を別のフォルダに保管されたら?今回はいつもと違うから、AさんだけじゃなくてBさんやCさんとも調整しないといけない。私が休むと皆にしわ寄せがいくし。それに、起案しないといけなくなったら、誰がやんねや?
どばどばと湧き上がる不安や心配を処理する方法が、
「……色々考えるの面倒なので、やっぱり夏季休暇いらないです」
となるわけだ。自分が夏季休暇を取らない方が、ストレスフリーで心が安らぐ。
しかし、同僚からは認められなかった。
「夏季休暇って長くても1週間とかでしょ?うちは皆の担当案件が異なるとはいえ、フォルダの中身を見ればだいたい内容も分かるんだし、休みなよ」
私は他人に頼るのが苦手なだけではなく、押しにも弱い。
だから、数人の同僚から「休みなよ」と囲まれると「ア、ハイ、ヤスミマス」とあっさり転向し、夏季休暇申請を提出することになった。休暇中に自分宛への連絡が来たらどうしようと頭を抱えながら。
帰省をして2日目まで、私はカフェの中でもスマホで社内メールを確認していた。夜には帰省先の実家にまで持ち帰ったPCを開いた。1日でも離れると、社会から取り残されるような気がした。自分の案件なのに、自分の存在が消えてしまうようで怖かった。
上手く回っているだろうか、トラブルが発生していないだろうか……。
せっかくケーキを頼んでも、生クリームが動物性か植物性かよりも気になるのは、Aさんと同僚の調整状況。愛犬のトイプードルから「なでろ!私に構え!1年間に2回しか帰省しない小娘が!!」と前足ちょちょい攻撃を受けるものの、左手で適当に対応して右手は貼りついたかのようにマウスを操作。
だが、3日目あたりで、私が調整しなくても状況は進展していくことに気がついた。
自分が職場にいなくてもいいのだ。休みたい時に休めばいいのだ。
気づくと、心の奥にあった塊がフォンダンショコラのようにじわじわと溶けだして、安心感が広がった。
そして、とても疲れてしまっていた自分に気がついた。
何を当たり前のことを、と笑われる方もいることだろう。
休暇取得なんて当たり前。同僚の休暇の際に代理をするのも当たり前。
しかし、他人に頼るのが苦手な私にとっては、当たり前ではなかった。
休む間に業務を引き継ぐことすら負担になってしまい、仕事があることが自分の存在意義だという紐づけ誤りをしてしまっていたからだ。
仕事はあくまで仕事だ。そして、人間は一人では生きていけない。
私が休めば別の同僚がやってくれるし、同僚が休めば自分が代理で連絡をする。
もっと早くから。深く考えずに休みをとり、他人を頼れば良かったのだ。
「あなたは、なんでも一人でできて偉いね。しっかり者だね」
独立独歩な性格だ。自分一人でテキパキと物事を進められる私は、大人からそう褒められて育った。また、進路や将来を考える際にも、基準の一つは「一人で生きていけるかどうか」だった。
たまに「自分に対して甘い、成功するとすぐに調子にのる」と言われると、自分を甘やかすのは絶対悪だと言い聞かせるようになった。
一人で生きていくこと。誰にも頼らずに生きていくこと。誰に対しても甘えないこと。
これらを信条として物事をこなすと、さらに「あなたは一人でできるから」と頼る人のいない環境に置かれることが増え、結果として今の部署のような一人きりで役割をこなす機会が増えた。
これでは悪循環だ。
一人で生きていきたいならば、一人では生きられないことを自覚しないと。
はからずとも個人商店的ポストの勤務で、私は誰かに頼って生きる大切さを教わったのだった。
さて、なぜ今これを書いているかというと、久しぶりに体調を崩して有給を取得したからだ。
翌週に海外旅行を控え、何が何でも体調回復に努めなければならない。なんせ私の留学前最後ともなるアジア旅行。大学生の頃に親と交わしていた約束を叶える旅行。新型コロナウイルス感染症の流行により、海外旅行すら貴重なものだという教訓を得た。この機会を逃すと、二度とアジアを旅行できないかもしれない。
一方で、旅行前日には自分が主担等の案件で動きがあるので、仕事でも正念場だった。それなのに体調を崩すなんて、自己管理がなっていない。
微熱が出ている。さあ、どうしよう。
ワーカーホリックの思考癖は簡単に直るものではなく、バファリンを摂取して他の同僚の出勤前にPCを回収しに職場へ向かった。自宅でも調整内容を確認できるようにするためだ。
だが、今回はお盆の時の一件から、すでに先輩を常々メールの㏄に含めるようにしていたので、引き継ぐべき事項も多くない。そのため「調整をお願いします」と依頼メールを送付した後は、PCを閉じて寝ておくことにした……ごめん、ちょっと嘘つきました。朝8時と夜7時にメールをチェックしました。寝ていたのは、同僚の勤務時間内のお話です。
PC回収しに行っている時点で、相当ワーカーホリック且つまともな思考回路ではないかもしれないが、自分の中では調整メールを送り、勤務時間内に睡眠を取っただけでも進歩した方だと思っているのだ。だって、今までの自分なら、確実にテレワークに切り替えて仕事をしていたはずだから。
千里の道も一歩より、と思っておこう。
この一歩が、数年後の自分の心に輝きをもたらしてくれることだろう。