Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

あの日のわたし、これからのワタシ

そうか、中学校を卒業してから10年がたつのか。

 

立ち止まると不思議な感覚に陥る。自分はいつ、この自分になったのだろうか。身長が伸びなくなったのはいつだったのだろう。代わりに体重ばかり気にするようになったのは、ごく最近のことのように思いきや、すでに5年は経過しているのかも。
身長や体重のように、数字で表せるものは良いが、それ以外の事柄に関しては、どうも成長した気がしない。私は10年前から、こんな私だった気がしてならないのだ。

そっと引っ張りだすのは、中学校の卒業文集。

f:id:misteriosaxoxo:20210327230535j:image

当時から、定規を使わずとも横書きの文字を真っ直ぐ書くことが得意だった私は、ご覧のように中学生らしさが皆無の「作品」を残している。私の名前が歴史の教科書に載った際には、ヨシナリ記念博物館(なんやそれ?)にぜひ展示してください。

 

上記の文集には、私の将来の夢(※自分の性格、体格、外見、能力など一切を考慮しなかった場合)がまとめられている。こういう注書きをつけるメンドクサイ性格も一切変わっていないわけだが、私は当時「将来の夢」を「職業名」として捉えている。夢なんて、形にできない抽象的なものでも良いはずなのに。内閣総理大臣ではなくて、政治に関わる、とか。

とりとめもなく書かれた私の夢だが、大まかには3つに分類できる。

まず、芸術系。作家や服飾デザイナー、役者などだ。

次に、政治系。国家公務員のような現実的なものから、内閣総理大臣のような天文学的な確率でしか就任不可能なものまで並んでいる。

最期に、理想系。探偵とか宇宙飛行士とか、おそらく映画と小説とアニメの影響によるものだ。

この中に、今の職業に近しいものもあるので、私は下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦で「幼い頃からの夢を叶えた人」の仲間入りを果たすことができたようだ。ばんざーい。

 

今の私は、現実が見えてきた。芸術系のクリエイティブな職業につける可能性なんて、ほぼ皆無だ。だが、成長とともに、自分の好きなことを職業にしなくても幸せであることにも気がつくことができた。文章を書くのが好きなら、作家にならなくてもいい。自分のノートに書き続けてさえいれば。ファッションデザイナーになれなかったからと言って、落ち込む必要もない。いくつになっても、学びたいことは学び続ければ良いだけだ。

そう考えた私は、今後の人生の夢を10年前と同じように紙に書き出してみることにした。
それがこちら。あれ。字が汚くなっている⁉

f:id:misteriosaxoxo:20210327230300j:image

5年以内に叶えたいのは、留学だ。英語力が追い付いていないのが悲しいところだが、地道に勉強を続けていこうと思う。英語の勉強が落ち着いたら、CILS(イタリア語検定試験。英語でいうところのTOEFLのようなテスト)でB2を取りたい。B2はCFER(ヨーロッパ言語共通参照枠)の基準だが、英語でいうならばTOEFLで87~109、IELTSで5.0~6.5程度だ。今の私の英語力について、IELTSならばこの基準に入るがTOEFLだと満たしていないことに鑑みると、ヨーロッパの基準として使われている言語基準の割には正確性に欠ける気がするが、それなりに努力しないと到達できないランクであるとは言えると思う。
それから、これからの時代に必要になりそうなので、中国語もHSK(英語でいうところのTOEFLのようなテスト)も中級レベルを取得したい。大学時代は中国語も学んでいたが、どうもリスニングに苦手意識があった。やり直すときは、ピンインの四声からだろう。
さらに、完全に趣味として、ロシア語とアラビア語も学びたい。言語だけではなく、高校生の頃に初段で終わってしまったペン字もやり直したいし、ネイリストの資格も取ってみたい。週末に老人ホームなどで、ネイルボランティアができたらステキだと思う。

 

痩せることと筋力アップは、老いに逆らいたいがゆえである。書いていないが、いくつになっても美意識を保つことは重要だと思う。美意識を保つ、も追加で。

これらは美容の観点からだけでなく、健康の観点からも重要である。特に私は、他の人よりも筋力が弱い。先日、人生初のエステサロンへ行ったのだが、エステティシャンから

「ヨシナリさんは筋肉が発達していないので、フェイス用の微弱の電気を流して筋肉を刺激するようにしてください」

と言い渡されてしまった。フェイス用の電気とは、リフトアップ用のものだ。表情筋を刺激して、ハリやたるみを解消するやつだ。小顔や美肌を目指す人向けの電気にしか耐えられない私の大腿四頭筋。大丈夫か。

海外旅行の項目には、書き切れないほど行きたい国や場所が思い浮かんでいる。本当は、「毎年一度は海外逃亡」を目標にして社会人生活の舵を切ったのに、コロナのせいで一度も国外に出ることなく3年目を迎えそうだ。今年は、休みがきちんととれる環境だったというのに、海外へ行く機会を失ってしまい、非常に残念だ。

 

その他の夢は、継続したいことといつか叶えたいことになる。宇宙へ行ける日が来なかったら、プラネタリウムで満足できるような優しい心を養いたい。

こうして書いてみると、10年を経て、私の夢は職業から趣味や目標的なものへと変化したことが分かる。

だから、転職は将来的な選択肢の一つではあるが、私の夢ではない。転職が趣味になんてなるはずがない。結婚や出産についても同様だ。中には、結婚を目標にする人もいるが、私は誰かを見つけることに強いこだわりを持たない。

夢の概念が変わっているところを見ると、少しは考え方も柔軟になっているのかもしれない。成長……したのかも。

中学の文集を書いていた私はまだ、その先のことを知らない。まさか、その数日後に家計が急変するとか、東京の大学に進学できなくなるとか、10年後の自分が信州に住んでいるとか。英語を毎日勉強しているのも驚きだし、簿記の勉強に追われている姿も想像できないし、あの時の私の想像を超えた出来事が連なって、今の私が出来上がっている。

同様に今の私も、まだ先のことを知らない。35歳の自分はこのブログを掘り出し、「25歳が何を偉そうなことを語っているんだ、今のヨシナリの環境なんて苦労の範疇に入らないぞ」とご立腹中かもしれない。留学にも行けないまま終わるかもしれないし、イタリア語をやり直すこともなく仕事に追われているかもしれないし、那覇泡盛を乾杯しているかもしれない。
しかし、10年前の私も今の私も10年後の私も、絶対に夢を見ることだけは忘れていないはずだ。

 

もうすぐ、新学期が始まる。関西の友達がインスタグラムに桜と青空の写真をあげているのを横目に、私はコタツにもぐりこんでいるが、春の足音は確実に近づいているはずだ。

夢見ることを忘れず、新しい季節を迎える準備をしたい。