Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

チーズと私とマッチングアプリ⑦

前回はこちら↓です。

https://yoshinari.hatenablog.com/entry/2021/02/13/213741

【あらすじ】

マッチングアプリを使い始めたが、逆に自己肯定感の低さから病んでいったヨシナリは、デートの約束をしている最後の人物と会ってからアプリをやめようと決心する。

最後に出会ったのは東大卒エリート。頭は良いが、二癖ある変人から「2度目のデート」を約束させられるものの、丁重なお断りを果たす。

達成感を得たヨシナリは、アプリ卒業を誓う。

 

アプリとともに夏が過ぎ去り、秋がやってきた。

アプリで無理なら街コンにシフトして出会いを探し、という話も聞くが、私は仕事が忙しかったので、週末にまでコミュニケーション能力を発揮できるほどの元気がなかった。

「君、ほんまはアレやろ。モテモテやけど、選り好みしてるんやろ」

ある日、大学時代の後輩と先生との3人で飲みに行った時、先生から言われた。

「違いますよ。まったくモテないから、彼氏いないんですよ」

「嘘やわ。モテそうやんな」

「モテそうです、モテそうです」

後輩はオウムのように先生に同意する。どいつもこいつも適当だ。

皆、揃って「モテそう」と言うが、あくまでお世辞なので具体例がないのだ。「性格が良いから」とか「美人だから」とか。

「まあ、大丈夫やって。まだ若いんやし。世の中にはな、いろんな男がおんねん。自分に従順な馬を好むファーマータイプがおれば、じゃじゃ馬を乗りこなしたろって意気込むハンタータイプもおるから」

「何ですか、その私はじゃじゃ馬と言わんばかりの」

「どう見ても、しおらしく草食べてるタイプじゃないやろ」

先生は涼しい顔をして、ワイングラスを傾けている。

「男の人からすると、ちょっと話しかけにくいんかもな。お嬢様っぽく見えるから。でも、見かけとか話し方とかは大人しく見えるけど、ここぞと言うところではきちんと自分の意見を言えるのが、君の強いところやし、良いところや。そういう部分を好いてくれる人が、きっとおるから大丈夫や」

若い頃はモテていた(らしい)先生に慰められて、感涙しそうだった。こうやって普通の女を喜ばせることを言えるから、先生は昔モテていたのだろう。私も誰かを褒めることを忘れないようにしようと思った。

先生の講評は、なかなか的を得ているものだ。

高橋さんとの「デート割り勘事件」を文章に起こすと、なかなか気が強いように感じる。(詳細は「チーズと私とマッチングアプリ⑤」参照)

「会う会わないは、個人の心の問題です。対して、払う払わないは、現状として存在している問題です。視点の異なる問題を比較するのはおかしいと思いませんか?だから、私はもう一度会うけれども、お金は払います」

なんか、めちゃくちゃ強い。テーブル叩いてそう。ドラマで強気の女検事役とかやってそう。

だが、実際の話し方を再現するならこんな感じだ。

「会う会わないってぇ、その人個人の心の問題?みたいな感じじゃないですか〜。でも、払う払わないってぇ、今、現状として存在している問題ですよね?この2つって、全然違う問題だと思っていてぇ、それなのに天秤にかけるのおかしいんじゃないですかね〜。だから、私はもう一度お会いするけど、お金は払います」

これが似非関西訛り。馬鹿さカンストしてて泣けてくる。私の話し方は特徴的なのか、友達からも職場でも「どうしたら良いですかね〜」とか「前に言うたやんか〜」とか口調を真似られる。加えて「たしかに〜、そうですよね〜」を言いがち。それゆえ、八方美人。

けれども、自分なりの判断軸を持って生きているつもりなので、何か問われれば自分の考え方は伝えている。何となくだが、自分の外面と内面とがちぐはぐなので、「大人しい子が好み」という人からも「しっかり者が好き」という人からもどっちつかずの印象を持たれるのではないだろうか。

そんな自己分析をしてみるものの、私は頑固なので、モテるために性格を変えることなんてできない。それに、性格を取り繕えるのは短時間だけだ。いつかバレることを考えると「そこまでしなくても」という気持ちが勝る。

しかし、素の自分を好く人はいないというジレンマ。

変えなければいけない……どこを?

 

アプリを休止してから、現実世界で何かがあったかと言えば、まあ何かはあった。

「仕事が落ち着いたら、カフェ行きたいね」

「行きたいですね〜。どこ行きましょう」

と、仕事の先輩とは休日に出かける約束をしていたものの、進展がなかった。私が何らかのアクションを起こせば違ったのかもしれないが、当方、恋愛音痴である。

「会社の人に手伝ってもらったらあかんの?」

大学時代の友人には話を聞いてもらっていたが、こちらの業界の内情を知らないので、的確な助言を求めることはできない。

「手伝うって、どうしてもらえばいいん」

「うーん、一緒にご飯に行ってもらうとか?」

「それは不誠実やろ。基本的に、職場は仕事をする場所やん。個人の問題を全体の問題に持ち込むのは、例え周囲と仲良くても間違ってると思う」

個人的には、職場内恋愛には反対しない。誰かが職場内恋愛をしていても「へぇ〜、おめでとう!!」としか思わない。たまに「個人的な事柄を職場に持ち込むなんて!」と目くじらを立てる方もいらっしゃるが、誰を好きになるかなんて個人の自由なのだから、裏を返せば「〇〇さんは職場の人なんだから、恋愛対象じゃないの!」と他人が干渉していい事柄でもないはずだ。

個人の自由。だからこそ、職場内恋愛をするなら当人で問題を解決すべきだというのが自分のスタンスだ。公私混同をせず、自分たちの問題を自分たちで解決できる場合に限って、認められるものだと思う。

「周りの人に相談もしいひんの?」

「絶対にしない。あることないこと噂が立つのも嫌やし、注目されたくない。結婚するとかならまだしも、休日出かけましょうレベルやで」

「私の会社だと、職場内恋愛している人ってオープンにしている人も多いから、ちょっと分からんわ」

私がここまで意固地になるのには、Aくんとのことが頭をよぎるからでもある。

Aくんと別れたのは大学四年生の秋であり、大学生活のゴールラインが見え始めた時期だった。しかし、私たちが出会った学生団体での活動は卒業まで続いた。

「ほら、Aくんと別れた時、皆が気を遣ってくれてたやん。私がふってからの2週間くらいは、ミーティングも飲み会も、Aくんが明らかに不機嫌になったり、動作が荒っぽくなって室内が凍りついたりしてたから。周囲に迷惑かけたくない」

「あれはAくんが特殊……」

「じゃあ、先輩がAくんみたいじゃないって言える?Aくんみたいな人が、どこにおるか分からないから、私は周囲に迷惑をかけないためにも、職場内の人に相談はしないし、助けは求めないって決めてるねん」

友人の言葉を遮り、意固地な私は丸い石を片手で握るように語った。

「……まあ、ヨシナリの言うことも分かるよ。私だって、Aくんがあんな感じになるなんて、最初はまったく思ってなかったし。人間の内面って、短期間で分からへんものやしね」

「そうそう。出会った時は、素直でいい人やったんよね。頭はそんな良くなかったかもしれへんけど、優しくて笑いのツボが合ってたから」

付き合って約半年の頃に起こった「別れる詐欺事件」(「チーズと私とマッチングアプリ①」参照)は、私たちの初めての喧嘩ではあったが、まだ好きという気持ちが残っていた。そして、この後「温泉事件」までの約1年間は、大きな喧嘩もなかった。

「最初は2人、仲良かったもんな」

私とAくんの3年半を見届けてきた友人が、思い出をたどるようにしみじみと言った。

その通りだ。私たちは、仲が良かった。ほとんど喧嘩もなく、毎日LINEのやり取りをして、週末には色々な所へ遊びに行った。

「……でも、今だから分かるんやけど、私たちが仲良かったのは、お互いが我慢していた部分もたくさんあったからよね」

例えば、私がアルバイトをすることについて、Aくんは好意的に思っていなかった。その時間を自分に使ってほしいと思っていたから。Aくんが授業をサボることについて、私は好意的に思っていなかった。目の前にある最低限のことさえこなせない人間とは、将来を考えられないと思ったから。

私の脳内は、お花畑プリンセス思考に侵されていた。初めて付き合った人と、そのまま結婚して、子どもを育てて、末永く幸せに暮らしたい。

彼と別れることは、私の夢が一つ崩れるということ。

私は安っぽい紙切れのような夢を手放すのが怖かった。だから、3年半も別れられなかった。

「チーズとチョコが好きじゃないって聞いた時に、別れるべきやった思う。本当は」

私はイタリアンレスランや、甘いチョコレートは大好きだ。いくらでも食べていられるほど。しかし、Aくんは、チーズとチョコレートの匂いを嗅ぐと吐き気を催すほど、この2つが嫌いだった。

そのため、私は大好きなピザを彼とともに食べることはできなかった。バレンタインにチョコ選びをする楽しさも味わえなかった。

「チーズもチョコも私にとっては、大事な要素やってんな。それを我慢している自分に気がつけなかった。だから次は、チーズとチョコ食べられる人じゃないと無理やわ。先輩が食べれるんか知らへんけど」

「私、聞いてて思ったんやけど……何となくやけど、Aくんのことがあったから『絶対に今度は失敗できない』みたいな完璧主義になってるんと違う?」

友人は、ズバリと私の欠点を言い当てた。私は完璧主義になりきれない完璧主義だ。

しっかりしてる。一人で生きていけそう。他の人がいない方が上手に物事を進める。

耳にタコができるほど言われ続けてきた。両親さえ「あなたは一人でも生きていける」と言う。そう育てたのは、自分たちなのに。

「先輩と上手くいきそうにないなら、また次の人探したらええねん。先輩よりも、もっといい人が現れるかもしれないし」

「自分の性格的に、一度付き合ったら別れられないことが分かってるから、そんなに簡単に他人と付き合えへん」

「だからこそ、まずは動かないとダメやと思う。見てる範囲が狭いねん。職場に出会いがないなら、職場以外の人と会ってみれば良いやん」

友人の助言には説得力があった。

「いい?ヨシナリは、もっと遊ばないとダメ」

「遊ぶってどうやるの」

「アプリ使って、色々な人と会えばいいやん。街コンにたくさん行く、でもいいと思うし」

「それ、ただの軽い女に見えへん?」

「大丈夫。ヨシナリは真面目やから、肩の力抜いて、色々な人と出会うくらいがちょうどいいねん」

もう一度アプリを使う。

斜め上から紙飛行機が飛んできたようだった。

 

友人と話してから1か月ほどたった時、私は熱を出した。まだコロナが流行る前のクリスマスだった。

真っ暗な部屋で天井を見上げながら、私は考えた。

このまま一生、独りで生きていく覚悟が自分にあるのだろうかと。死ぬ間際も、こんな風に、暗闇で唾液を飲み込む音が頭の中に響いて、目を閉じるのだろうか。

「そういう部分を好いてくれる人が、きっとおるから大丈夫や」

――どこに?先生、そんな人いないんですよ、私には。だってそれ、好かれる要素じゃないですから。

「だからこそ、まずは動かないとダメやと思う。見てる範囲が狭いねん。職場に出会いがないなら、職場以外の人と会ってみれば良いやん」

――そうだね。狭い世界にいたってダメだよね。分かってはいるんだよ。

熱にうなされながら、涙が溢れてきた。

何をやっても、報われない。私を好いてくれる人なんて、一人もいない。

今までだって、ずっとそうだ。ワガママも飲み込んで、他人に迷惑をかけないようにしてきたつもりだ。誰かの負担になっては困ると、助けを借りないよう心掛けてきた。仕事は真面目にこなしているつもりだし、感情に任せて行動することも少ないとは思う。

私の「つもり」と「心掛け」は、「愛されない女」の特徴らしい。

男性に甘えられて、ワガママを言えて、一人で頑張りすぎない女性が幸せを掴むらしい。

私は、これらを実践すれば幸せになるのだろうか。いや、なれない。私自身が、親しくない人間に甘えるのが嫌いなのだ。自分が嫌いな自分に近づいてどうする。

「いい?ヨシナリは、もっと遊ばないとダメ」

――そうだね。遊ばないとダメだよね。

私は涙を拭きながら、うんうんと頷いた。泣いたって、何も解決しない。

私は私のままでいたい。でも、このまま独りでは、死にたくない。マンションの窓際で、ごみに囲まれた死体が一週間後に見つかるなんて最期は嫌だ。

その週末、私は4か月ぶりにマッチングアプリを開いた。自分のプロフィールが異性に表示されない「休止モード」をオフに切り替える。

もう一度、やってみよう。

 

マッチングアプリの世界へと舞い戻った私。

今度こそ、お花畑プリンセス脳の私のココロを満たすような王子様の登場となるのか……!?