Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

別れの挨拶

 

開口一番、彼女の瞳からは涙が溢れた。
「関西に、戻ることになってん」
震える彼女の声は、私にしか聞こえていない。右隣のグループは人事異動の話題で盛り上がっている。左隣の男女は顔を合わせてから30分も経っていない様子で、ぎこちなくサラダを分け合っていた。
「今、このタイミングで戻りたかったわけじゃないんよ。確かに、いつかは戻るんかなって、思ってた。生まれ育ったのも関西なわけやし、いつか子育てするなら関西がいいなとも思ってた。でも、今じゃないんよ。今を希望していたわけじゃないんよ」
友人は自分の鞄からハンカチを取り出して、頬をつたう涙をおさえた。
「分かるで、人事異動は上手くいかないって。私も希望してないのに、いきなり信州にとばされたし……」
私は慰めるのが下手だ。きっと、彼女がほしい言葉はこれではないだろうという思いから、語尾が萎む。
タイミングよく、店員が注文を聞きに来た。ハイボールとビールでと、私は手短に伝える。大学生くらいに見える若い女性店員は、瞳が充血している友人と目を合わせず、2杯目からはスマホで注文してくださいと告げた。

私たちは、この春で社会人5年目になる。故郷ではない街。目まぐるしくも刺激的な東京生活にようやく慣れてきたところだったのに、会社の人事異動という自分の意思が反映されない事情により、積み重ねてきたものを手放さなすこととなる。やるせない気持ちで、胸がじくじくと痛む。
そんな彼女の混乱は想像するにかたくなかった。
自分も、大学時代に想定していたキャリアパスとは1ミリも整合していない4年間を過ごしてきた。信州生活だけではない。そもそも、1年目の配属先すら想定外で、4月1日の夜に風呂場で一人で泣いていたし、4月中旬までストレスによる胃痛が消えなかったほどだった。
「どうしたらいいんやろ。いや、どうもできんってことは分かってるんやけど。会社の意向なわけやから」
「転職活動してみるくらいしかないよな」
「まあ、そうよな……。ヨシナリは、転職活動してるんやっけ」
「アプリは登録してるし、エージェントと話したこともあるけど、結局やめた。留学したかったから。だけど、今でも毎日『いつ転職しよう』以外のことは考えてないし、今の部署の人も私が辞めたがってることは知ってる」
「私も登録してみようかな。でも、この5年間でほぼスキルなんて身についてないし、私に転職活動できるんやろか」
友人は重い息を吐きつくした後、再び目尻を拭った。

彼女が東京からいなくなることは、私にとっても衝撃だった。
大学時代の友人の多くが関西に留まる中で、彼女は数少ない上京組の一人だった。三か月に一度は美術館やカフェへ行き、悩みや愚痴を言いあっていた。
月並みな表現とは分かっている。終わりが来ることを、想像していなかっただなんて。けれども、新しい展覧会をチェックして、気兼ねなく誘い合える関係は私の顔に皺が増えても不変だと、信じていたのだ。
気がつけば、東京で暮らす友人は、彼女を除いて2人だけになっていた。他の知り合いは関西へ異動したり、地元へ戻ったりと、東京からは離れていった。
同時に、会社の中を見渡せば、自分のような関西出身者はほぼおらず、8割方が関東地方出身者で占められていた。
20代後半。そういう年齢なのかもしれない。夢を抱えて都会へ出てきても、それが本当に自分の追い求めていたものなのか分からなくなるのだ。
私だって、常々、別の人生があったのではないかと考えている。過ぎた時間から別の人生を捻り出す空想など、時間の浪費でしかないとは自覚しているが、考えると止まらないのだ。
そして、その空想が始まるきっかけは、今までSNSを目にした時だった。
中高の友人がInstagramで娘の誕生日祝いをしている姿。高校時代のクラスメイトが結婚したという報告。地元のカフェへ出かけた感想。
私は考えずにはいられない。
自分にも、こういう人生が相応しかったのではないだろうか。地元の女子大学を卒業して、職場の男性と結婚して、子どもを育てるという、高校時代のクラスメイトと同じような人生が。
心の暗雲に差し込む白い光となっていたのは、東京で暮らす友人との語らいだった。それなのに、もうこの時間を過ごすことができない。
自分の心を救う手段は、自分自身に依らなければならない。自分の人生を肯定する術は、自分自身で探さなければならない。分かっている。
だが、自立心のない私は、また一つ、自分の心を助ける手段を失ったようにも感じてしまったのだ。

アルコールを2杯だけ飲んだ後、私たちは椿屋珈琲店へ行った。たぶん、今日はいないもう一人の関東在住の友人と3人で、一番足を運んだ場所。クラシックとレトロを融合させた雰囲気が大好きで、私達は何時間でもここに座っていられた。
「自撮りなんて、久々やな。大学時代はいつも撮ってたのに」
「仕事終わりでメイク崩れてるし、フィルターあって良かったよな」
「さすがヨシナリ。ちゃんと盛れるやつ」
キャッキャと話しながら、私たちはチーズケーキとともに笑顔の一瞬を切り取った。
大学時代の思い出や、職場の上司の話や、最近のくだらない笑い話など、あと1時間で別れるというのに、いつも通りに過ごした。
「ヨシナリに会いに、イタリアに行くから。わりと本気で」
「ほんまに!?ありがとう!それ、他の子も言うてくれてるんよね。皆、ありがとうすぎる」
彼女は信州にも遊びに来てくれた。寂しがっている私のために、ぬいぐるみを連れてきてくれて。そんな彼女とともに、ジェラート片手にローマやヴェネツィアを巡るというのも、それはとても楽しいかもしれない。
そうなのだ。彼女や今でも会ってくれる関西在住の友人たちから見れば、私だって「去りゆく人」なのだ。そして、私は彼ら彼女らにとって、すでに「去った人」でもあるだろう。
去ったり、別れたり、再会したりを繰り返しながら、それでも自分にふと会ってくれる人の存在自体が、いつまでも心を満たし続けてくれるのかもしれない。

泣き止んだ彼女とは、駅の改札口で別れた。小動物のように可愛らしい、いつもの友人だった。
「話を聞いてくれてありがとう。しかも、仕事終わりの疲れてる時に」
「こっちこそ、ありがとう。関西に帰っても、元気でね」
大学の卒業式の日以来というくらい、別れを惜しんだ。
「イタリア行く前に、絶対に関西には行くから会ってな」
「美味しいお店探しておくわ」
去りゆく人である彼女に、私は笑顔で手を振った。改札を通ってからも、何度も振り返り、手を振った。
明るく見送ることができただろうか。
電車へ乗りこみ、カメラフォルダを開く。
一番最後の写真は、1時間前に撮ったばかりのツーショット。そのまま遡ると、彼女との思い出が溢れていた。
なぜか銀座ではなく秋葉原アフタヌーンティーへ行ったこと。ミュシャ展、シャネル展、浮世絵展と数え切れないほどの展覧会チケット。善光寺での一枚。上京してすぐに自由が丘まで足を伸ばしたこと。大学の卒業式。学生団体での追いコン。今ほど親しくなかった大学一年生の学祭で、騒ぐ金髪ミニスカート姿の私に冷めた目を向ける彼女の姿も、カメラフォルダには残っている。この写真を見つけて、大笑いしたのはいつのことだっけ。
いつかは去りゆく人になる自分。
だけど、この瞬間だけは、去られる人でいさせてほしいと、写真をたどった私は強く思ったのだ。