Weekly Yoshinari

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マグネット行脚(エミリア・ロマーニャ州横断④)

前回はこちら

yoshinari.hatenablog.com

おさらい!!!今回の強行軍!!!

今回の旅程は三泊四日。

まずはミラノからお馴染みの格安Flixbusを使い、3時間15分をかけてボローニャへ向かう。ボローニャでマグネットを回収。その後はボローニャから電車で30分程度の位置にある小都市・フェッラーラへ向かい、そのまま宿泊。

2日目の午前中に電車で1時間15分程度揺られ、フェッラーラからモザイク画で有名な都市のラヴェンナへ向かい、マグネット回収。午後にはラヴェンナから電車で1時間程度かかるリミニへ向かう。リゾート地としても知られるリミニに宿泊し、翌日に備える。

3日目はついに、リミニからサン・マリノへ入国する。リミニからサン・マリノもバスで1時間程度の距離だ。サン・マリノを満喫したら、リミニへ戻り宿泊。

4日目はFlixbusで5時間以上かけてリミニからミラノへ戻る。

横断開始から3日目の朝。昨日とは打って変わって、青空が広がっていた。

体調は万全とは言えない。このままベッドで寝ておきたいという気持ちは消えない。だが、これは2度目の挑戦だ。2024年年末に諦めたサン・マリノ観光を諦めるわけにはいかない。リミニまで辿りついたのだから。

リミニはサン・マリノへの玄関口となる都市だ。リミニ駅からサンマリノ行きの直行バスが出ており、所要時間は1時間以内といったところ。バスの本数は多いとは言えず、日帰りするには十分だが、時間を見計らって計画を立てておいた方が無難なスケジュールだった。

Googleマップでは、ビーチ側にあるホテルからリミニ駅の反対側にあるバス乗り場まで徒歩20分程度と出てきた。駅を迂回して、ぐるっと半周する経路を示してきているためだ。日本のように自動改札機があるならば駅のホームを突っ切って反対側へ出ることができないので正解のルートになるのかもしれないが、騙されてはならない。ここはイタリアである。駅のホームに自動改札機はなく、出入り自由。ビーチ側のホテルからサン・マリノ行きのバス乗り場までは10分程度で到着できる。

方向音痴として、新しい場所へ向かうのは多少の緊張が伴う出来事だ。バス停が分からなければどうしようかと少し早めにホテルを出発したが、心配ご無用。サン・マリノの直行バス付近には、たくさんの観光客が集まっていた。ビーチでは全く観光客を見かけなかったのに、一体皆様はどこへ宿泊していたのか。

サン・マリノ行きのバスの時間は購入したチケットの時間通りにしか乗れない。次のバスの人、次の次のバスの人が集まり、とてもではないが、一台のバスに収まりきれる人数とは思えない観光客がバス乗り場付近にたまっていた。いや、次の次のバスを予約している人数を差し引いても、バス一台には収まらない混雑ぶりだ。

定刻からやや遅れて、バスが到着した。ナンバープレートはEUではなく、サン・マリノ独自のものなので見間違えることない。周囲の観光客にも安堵した空気が流れる。

バスは2台立て続けにやってきて、日本の満員電車のように人を詰め込み出発した。私は何とか空席を見つけられた。山を登っていくので、50分ほども立ちっぱなしで乗車するのは少し辛いかもしれない。バスは観光客用ではないので、途中乗車や途中下車する市民もいた。

入国審査はない。車窓からサン・マリノの標識を見つめ、自分が国境を超えたのだと知った。日本でも道路を走っていると「さっきまでA市だったけど、ここからB市なんだ」と気がつく時があるが、それと同じだ。サン・マリノ国ではなくイタリア国サン・マリノ市に入ったような感覚だった。

バスの終点は山のふもとにある。バス停前にはお土産屋が並んでいた。軒先に、イタリア国旗のマグネットはない。やっぱりここは異国なのだ。

入国をした私が真っ先に向かったのは、観光案内所だ。日本で各地にある観光案内所へ立ち寄った経験はほぼないのに、なぜ異国でこの場所を求めたのか。

それは、パスポートに入国スタンプを押してもらうためだ。

入国記念という意味合いなので、5ユーロかかる。受付の女性に愛想はなかったが、切手の上に、丁寧にスタンプを押してくれた。お土産代と考えると、お得なのではないだろうか。

 

さて、今更ながらにサン・マリノについてWikipediaの情報を踏まえて簡単に説明したい。

サン・マリノ共和国は、イタリア半島中部に位置する世界で5番目に小さい現存する最古の共和国である。国土はティターノ山を中心に広がる丘陵地で海に面していない。首都はサン・マリノ市だ。

この少し調べただけで、自然豊かな風景を思い描ける国では何を観光すればいいのか。

観光ガイドに紹介されている有名どころとしては、世界遺産にも登録されているサン・マリノ市内の歴史地区だろう。歴史地区には3つの塔と呼ばれる要塞や庁舎のあるリベルタ広場が見所としてあげられる。

また、日本人として興味があるのはサン・マリノ神社だ。日本の神社本庁が援助したという2014年に創建された神社だ。首都からは外れているが、興味あれば訪れてみるのも良いかもしれない。

 

車酔いや疲労によって体調は悪い。おまけに曇り空が広がっている。目の前には緩やかな坂道。これを登らなければ、観光名所にもたどり着けないのか。

入国スタンプをもらっただけで満足した運動音痴の私は、このままバス停まで回れ右したくなった。

次のバスでリミニまで戻ってしまっても良いのではないか……いやいや、ダメだ。ここまで来たのだから、リベルタ広場くらいは写真におさめなければ。

それに、歩き回った分だけ、お気に入りのマグネットが見つかる可能性だって上がるのだ。そのために来たのだろう。

気持ちを奮い立たせ、何とか坂道を踏みしめ始めた。

道の両側にはお土産屋さんが並んでいる。マグネットは言わずもがな、サン・マリノ発行の硬貨や切手も限定商品として販売されている。サン・マリノグッズ以外で目につくのは、香水や高級ブランドのファッション雑貨だろう。Tax Freeの文字が踊っている。この国には消費税がなく、免税状態だかららしい。お金に余裕がない貧乏大学院生は、たとえ免税だろうと高級品に手が届くはずもない。たくさんのお店の前を通り過ぎるのみだ。

人の流れに従ってたどり着いたのは、ケーブルカー乗り場だった。麓の町とサン・マリノ市を繋いでいるようだ。ヨーロッパらしいオレンジ色の屋根の街並みを一望できる。 

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サン・マリノ国旗がはためき、たくさんの観光客が写真撮影をしていた。風が吹くたびに表情を変えるので、意外に撮影が難しい。スマホのカメラのボタンを連続で押しまくり、及第点の一枚を収めたところで、次の場所へ向かうことにした。

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サン・マリノは狭い。なんせ世界で5番目に小さい共和国。観光地も密集しており、人の流れに従えば、どこかにはたどり着ける。

意図せず行き着いたのは、リベルタ広場だった。春から夏にかけては衛兵の交代儀式が行われているらしいが、残念ながら4月初旬のこの日は何もなかった。

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庁舎は外から見たのみ。サクッと写真撮影だけで終わったので、またまた人の流れに従って、三本の塔のどれかを目指すことにした。なぜ、「どれか」という曖昧な書き方なのかといえば、とりあえず目に着いた場所へ向かっているだけで、明確な目的地がないためである。

サン・マリノ国旗にも書かれている3つの塔は、遠目でも目立つ。それぞれ、グアイタの塔、チェスタの塔、モンターレの塔と呼ばれている。チェスタの塔の中には武器博物館もあり、非常に興味がそそられた……が、私には歴史的な興味関心を上回る欲望が渦巻いていた。

もうリミニへ戻り、ホテルのベッドで寝たい。

勾配のある道が続き、バファリン漬けの身体には限界だったのである。

何らかの塔の写真撮影だけをすませ、リミニ行きのバスの時刻表を調べる。元々、14時台のバスに乗って帰ろうと考えていたが、残り3時間以上も歩き回って時間を潰せるとは思えなかった。これより早い帰宅となると、約1時間後、12時台のバスしかない。もう14時台のチケットは購入していたが、頼めば12時台のバスにも乗せてもらえるかもしれない。

12時台のバスで帰ろうと、私は坂を下り始めることにした。もちろんマグネットを探しながら。

 

お土産屋を見かける都度、マグネットを物色した。どこのお店にもマグネットが飾られているが、なかなか「これぞ求めていたマグネット!!」というものとは巡り合えない。
塔の付近から下って山の真ん中までやってきた時、そろそろ決めなければと、お土産屋さんの前で立ち止まった。軒先に貼られているマグネットをしゃがみこんで手に取っていると、後ろから声をかけられた。

「イタリア語分かる?お店の中見ていきなよ。もっとたくさんのマグネットあるよ」

大型犬を散歩しているご夫婦と会話していた中年女性は、このお土産屋さんの店主だったらしい。相手の反応を待たずにイタリア語を話し続けるのがイタリア人ぽい……いや、サン・マリノの国民性なのか。

横に長い店内は外から見るよりも広く、所狭しとお土産屋が並んでいた。個人的にも風雨に晒されていないであろう店内のマグネットの方が好きだ。

長い時間をかけて選んだのは、サン・マリノの衛兵の盾に3つの塔が描かれているデザインだ。

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マグネットも手に入れた。目的は果たした。もう満足だ。

滞在わずか2時間半ほど。私はリミニへ戻ることに決めたのだった。

リミニまで戻るまでのバスの中で私は今まで以上の車酔いを経験した。ようやくたどり着いたリミニ駅前のバーガーキングで腹ごしらえをした後は、ゆっくりリミニを歩き回った。カラフルな街並みを見たり、21年に完成したというティベリウスの橋を歩いたり。2000年も前から存在したこの町の時間は、ゆったりと流れていた。

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もちろん、リミニのマグネットもゲットした。

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詰め込みすぎたスケジュールのせいで体調は万全とはいかなかった。だが、エミリア・ロマーニャ州を横断したこの4日間は、幸せに満ち溢れていた。

私が10年後に思い出すのは。

楽しかった。綺麗な日々だった。

微笑みを浮かべながら、時間を巻き戻う方法を夢の中で手探りしていることだろう。

(完)

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更新に長い時間がかかりましたが、ようやく完結です。メインパートであるサン・マリノ到着編が駆け足になり、すみませんでした。リミニの話は別で書きたかったのですが、イタリアで使用していたスマホが壊れました。このブログもイタリアのスマホで開けなくなった上、写真データも他の媒体に移すことができず、これ以上書くことができなくなりました……。日本のスマホに写真データはほぼ移していないので、写真もわずかしか載せられませんでした。

データを取り戻したい……。

マグネット行脚(エミリア・ロマーニャ州横断③)

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おさらい!!!今回の強行軍!!!

今回の旅程は三泊四日。

まずはミラノからお馴染みの格安Flixbusを使い、3時間15分をかけてボローニャへ向かう。ボローニャでマグネットを回収。その後はボローニャから電車で30分程度の位置にある小都市・フェッラーラへ向かい、そのまま宿泊。

2日目の午前中に電車で1時間15分程度揺られ、フェッラーラからモザイク画で有名な都市のラヴェンナへ向かい、マグネット回収。午後にはラヴェンナから電車で1時間程度かかるリミニへ向かう。リゾート地としても知られるリミニに宿泊し、翌日に備える。

3日目はついに、リミニからサン・マリノへ入国する。リミニからサン・マリノもバスで1時間程度の距離だ。サン・マリノを満喫したら、リミニへ戻り宿泊。

4日目はFlixbusで5時間以上かけてリミニからミラノへ戻る。

無事にラヴェンナでのマグネット回収を終えて、駅へと引き返した。せっかくの2度目のラヴェンナ滞在はわずか1時間ほどとなった。

後ろ髪を引かれた。

自分の人生で、もう二度とこの街に来ることはないだろうに。もう少しラヴェンナを観光すべきでは。

だが、ボストンバッグを肩にかけたまま岩のように重い身体で歩き回るのはこれ以上無理だった。朝から何も食べていないというのに、お腹も空いていない。ピッツアやパニーニのような大きなものはお腹に入るはずはなく、エスプレッソを楽しむことすらできない。

諦めて、リミニ行きの電車へ乗り込んだ。今度は定刻での発車だった。

 

アドリア海沿岸にあるリミニは、イタリア人のリゾート地として位置づけられる。エリアとしては、駅を挟んで旧市街側とビーチ側に分かれている。私がホテルをとったビーチ側はビーチハウスが立ち並び、夏の活況を窺わせる雰囲気であった。この日は少し曇った4月上旬。ビーチも本格始動とはいかず、元気そうな若い男性達がビーチバレーをしているのみだった。

リミニに到着したのは14時も過ぎた頃だった。到着予定時刻りも1時間早いがチェックインさせてもらえたので、部屋に到着するや否やベッドに寝転んだ。一歩も動きたくなかった。このまま眠り込んでしまいたかった。

ベッドで大の字になりながら、このままではダメだと鞄からスマホを取り出す。朝から何も食べていないのだ。お腹に何かをおさめねば。おにぎり程度で十分なのだが、イタリアにそのようなものはない。ホテルのすぐ近くにあるピザでも食べに行こうと、のそのそ支度を開始した。

 

リゾート地だから、レストランには困らないだろう。

Googleマップの検索結果に従って向かった先で、自分の予想が大きく外れていることを理解した。高評価だったピッツェリアは閉まっていたのだ。周辺のレストランも尽く定休日である。

なるほど。バカンス期間前のリゾート地ではレストランも営業しておらず、逆に飲食店探しが難航するのか。

時間も遅い。今から歩き回る時間はない。体調も良くない。自分のエネルギー消費を最大限抑制したい。

そこで記憶を辿り、ここなら営業していたはずだと、リミニ駅からホテルへ向かった際に見かけたシーフード系のイタリアンレストランへ行ってみることにした。

店内には自分の他に、一組のカップルしかいなかった。入店すると、ウェイターのお兄さんは英語のメニューを渡してくれた。英語メニューが用意されているところに、観光客慣れしている店であることを感じさせる。これは大変ありがたい。

しかし、イタリア語で注文するのがマイルールだ。

たまに、英語表記メニューとイタリア語表記メニューで金額設定を変えられているという話を聞くことがある。外国人用価格とイタリア人用価格の二重価格を設定しているのである。イタリア語が分からない外国人に高い金額をふっかけるための巧妙な手口だ。当然、イタリア語が分からない場合は高い価格を提示されても「メニューどおり」であるし、ぼったくられていることも気がつけないわけだ。

このような事例を知っているため、英語メニューには少し警戒心を持っているので、あえて注文などではイタリア語を使うようにしているのだ。

ヘタクソなあるが、自衛以外の観点からでも、現地語は使うに限る。現地の人は、現地の言葉を使ってくれると喜んでくれることが多いからだ。この時も、お兄さんは

「イタリア語話せるの?」

とイタリア語で聞いてくれた。

「うん、少しだけ。だけど、イタリア語は難しいから完璧には話せない」

「どこから来たの?」

「日本だよ。今は大学院生でミラノに住んでる」

「へぇ、僕からしたら中国語と日本語の違いすら分からないから、そりゃあ君からしたらイタリア語は難しいよね。大学院では何の勉強しているの?」

「コミュニケーション・デザインだよ」

「それはいいね」

そこまで話していた時、カップルに呼ばれたお兄さんは席から去っていった。

車酔いして気持ち悪いくせに、シーフードパスタとともにアペロールを頼んでしまった。体調が悪いのに、アルコールを摂取してしまう馬鹿。言い訳にすぎないが、アペロールを飲まなければ気持ちが高まらないのだ。

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私がゆっくりとシーフードパスタを食べている間に、カップルは精算を終えてレストランから出ていった。もう午後3時を回っているのだ。イタリアのランチタイムも過ぎている。他の来客はなく、店内にいるのは自分だけとなった。

「これ、シェフからのサービスだよ」

私がエスプレッソを頼むと、一緒に小さいスイーツをサービスしてくれた。優しい。体調は不調よりだが、ご厚意はありがたく受け取り、ラスクのようなスイーツも食べ切った。

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観光地価格だったのは仕方あるまい。駆け込み遅めランチだったが、南イタリアでシーフードパスタを食べられて大満足したのであった。

 

このままホテルへ戻るか迷ったが、アペロールにより気分が上向いたので、勢いでビーチ沿いをお散歩することにした。ファストフード店まで行って夜ご飯をテイクアウトしようかと考えたのだが、バカンス期間ではないためか営業時間外だった。ただのお散歩である。

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ビーチはどこも閑散としている。砂浜を歩く人が遠くに見えたので、自分もビーチまで降りてみようとしたのだが、なぜか行き止まりだった。どこに入り口があるのだろう。

近くにはイタリアでたまに見かける移動式遊園地の回転木馬もあった。こちらも動いていない。

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元々、ビーチとは逆側にあるリミニの旧市街はこの日に散策する予定だった。しかし、長距離移動の車酔いと自業自得の酒酔いにより、とてもではないが、これから1時間以上も歩き続ける元気はなかった。

頭痛も消えない。お腹の調子も良くない。今日は何も食べたくない。

翌日のサンマリノ入国に備えて、この日の私は沸かしたグリーンティーを飲み、フェッラーラで購入していたスナック菓子をつまみ、最後にバファリンを摂取してから、早々とベッドに潜り込んだのだった。

無事にサンマリノへ入国できるのか。明日の自分に期待しておこう。

(続く)

マグネット行脚(エミリア・ロマーニャ州横断②)

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おさらい!!!今回の強行軍!!!

今回の旅程は三泊四日。

まずはミラノからお馴染みの格安Flixbusを使い、3時間15分をかけてボローニャへ向かう。ボローニャでマグネットを回収。その後はボローニャから電車で30分程度の位置にある小都市・フェッラーラへ向かい、そのまま宿泊。

2日目の午前中に電車で1時間15分程度揺られ、フェッラーラからモザイク画で有名な都市のラヴェンナへ向かい、マグネット回収。午後にはラヴェンナから電車で1時間程度かかるリミニへ向かう。リゾート地としても知られるリミニに宿泊し、翌日に備える。

3日目はついに、リミニからサン・マリノへ入国する。リミニからサン・マリノもバスで1時間程度の距離だ。サン・マリノを満喫したら、リミニへ戻り宿泊。

4日目はFlixbusで5時間以上かけてリミニからミラノへ戻る。

名残惜しくも中世の街・フェッラーラを去る。次に向かうのは、フェッラーラから電車で1時間少しの場所にあるラヴェンナだ。

ラヴェンナは2024年末にも訪れたことがある。西ローマ帝国など、古代と中世を繋ぐ時代に栄えた国々の首都とされた都市だ。街中には、煌びやかなモザイク画の残る教会がたくさん残されており、スタンプラリーのように共通チケットで入れる初期キリスト教建築群を巡ったものである。世界広しといえど、モザイク画の残る建築が密集した都市は他にないだろう。他都市と異なり、カトリックよりも正教会の雰囲気が濃く残る芸術作品が観られるのも面白い。

私の訪れたイタリア諸都市の中では上位に食い込むほど記憶に残る街だった。当然、マグネット回収の機会を逃すわけにはいかない。

人生で二度目があるなんて。時間と体調が許せば、1か所程度なら教会や洗礼堂を再訪しても良いかもしれない。記憶が正しければ、中心部にはお土産物屋が立ち並び、モザイク画を模したマグネットも貼られていたはずだ。マグネット回収のハードルは高くないだろう。

余裕綽々といった調子で、Trenitaliaのアプリ(TrenitaliaはJRを想像してください。)で15分後の発車となるフェッラーラ発・ラヴェンナ行のチケットを購入した。駅の掲示板にもプラットフォームの番号が表示されている。

このまま順調に進むはずだったのに。そうは問屋が下ろさない。

 

定刻になったにも関わらず、電車が来る気配はない。私はもちろん、周囲のイタリア人も不安そうにキョロキョロしている。

「この電車って、まだ来てないわよね?」

「まだ来てないよ」

そんな会話も聞こえてきて、自分だけが取り残されたわけではないのだという安心感を得る。プラットフォームも間違えていない。本当に電車が来ていないだけだ。

それからしばらく経ってから、拙いイタリア語力で聞き取ったのは、ラヴェンナ行きの電車が運転取りやめになったという情報だった。自分の耳を信じられず、電光掲示板を見やると、確かに「Soppresso(運休)」の表示へと変わっていた。突然の運休に対して念押しの確認をしたいのか、イタリア人の夫妻はプラットフォームにやって来た旧式の電車の車掌に尋ねた。

「この電車はラヴェンナ行きではないの?」

「うん、ここより先には停まらないよ。窓口へ行ってくれ」

どうやら、本当にラヴェンナ行きの電車は突然なくなってしまったらしい。発車15分前に切符を購入した時には存在していたのに。

次のラヴェンナ行きの電車はいつかと、再度Trenitaliaのアプリを開きいてチケットを調べる。

なんと次の電車は2時間後であった。

2時間!?この小都市で2時間潰せというのか!?

他にラヴェンナへ向かう手段はないかと調べたところ、私には2つの選択肢があった。まず、フェッラーラで2時間待ってから、ラヴェンナ行きの電車に乗ること。次に、30分かけてボローニャへ戻り、ボローニャで時間を潰してから、1時間かけてラヴェンナへ向かうこと。

ラヴェンナへ辿り着けるのは、待ち時間を含めて3時間後であることに変わりはない。

さあ、どうする。

2時間待ちという懸念のほか、私が気になっていたのは切符のことだった。

イタリアは日本のSuicaやICOCAのようなICカード乗車は行われていない。切符を券売機もしくはアプリで購入するシステムだ。Trenitaliaのアプリの場合、切符を買うとQRコードが表示され、乗車中に巡回する乗務員の持つタブレットにQRコードをかざすという仕組みである。

それでは、今回のような運休時には、切符の買い直しにより新しいQRコードの取得が必要なのだろうか?以前に類似の状況に遭遇した際は、反応しなくなったQRコードを見せつつ事情を説明したら、ノールック確認で通ったのだが、ここはイタリア。おそらく、ノールック確認が許されるのかは担当者の裁量次第。適当なのだ。

このまま買い直すか……。いや、買い直さなくても良かったとしたら、お金の無駄となる。

逡巡してお金を無駄にしたくない精神が勝り、敬遠しがちな窓口に並ぶことにした。なぜ敬遠するのかといえば、言わずもがな、イタリア語が得意ではないからだ。基本的に、イタリアの窓口ではイタリア語しか通じない。しかし、お金を無駄にしないためには、駅の係員に尋ねるのが手っ取り早く、そして確実な解決方法なのだ。腹を括ることにした。

窓口の列に並びながら、頭の中で文章を組み立てる。合っているのか、AIにも確認する。まるでランダムで指名されていた高校時代の英語の授業かのよう。英訳問題の正答を必死に辞書で探している時のようだった。

これだけ準備をしているのに、自分の順番が回ってきたら、一気に全てのフレーズを忘却させてしまうことも高校時代と同じだ。しかし、あの頃よりも私は度胸が身についた。口を開くと、不安は何処へ。嘘のように片言の破茶滅茶イタリアンが飛び出した。

「こんにちは。一つ質問したいんですが、私はこの切符を買ったんですが、運休になっています。別の電車に乗る時は、切符を買い直す必要がありますか?」

「買い直さないでいい!」

私が差し出したQRコードを確認するや否や、窓口の中年男性が慌てたように早口のイタリア語で捲し立てた。

「今すぐ行って!左手側に振替輸送のバスがあるから!もうすぐ出発する!!早く、早く!!」

「あ、ありがとうございます」

イタリア語力に自信がないので、指示に若干の不安を抱きつつも、駅を出る。確かに左手側には小さなバスが停車していた。ホテル送迎用のバスのような見た目をしている。先ほどプラットフォームで旧式の電車の車掌に質問をしていた夫妻がバスに乗り込んでいたので、間違いないはずだ。ただ、ここは念には念を入れて確認すべきだ。海外生活で大事なのは、この図々しい確認である。

「すみません、このバスはラヴェンナ行きですか?」

「うん。どこへ行きたいの?」

「ラヴェンナまで」

「うん、終点だよ。後ろから乗って」

車両下部の荷物置き場でスーツケースの整理をしていた運転手と思しき男性に確認すると、ぶっきらぼうに指示された。

どうやら、このバスがラヴェンナ行きの振替輸送で間違いないらしい。

乗車してから5分もたたないうちに、バスは発車した。運転手のラヴェンナ行きのバスだというアナウンスを聞いた時、安堵で座席に深くもたれかかってしまった。

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2年近くをイタリアで暮らし、なんとかハプニングを乗り越えられる程度には片言のイタリア語を身につけられていたらしい。

ちょっぴり喜びを噛み締めながらも、今度は別の不安が襲ってくる。

極度の車酔いとトイレを我慢することによる腹痛の発生である。

そもそも私は、車酔いを避けたくて、電車移動を選んだのだ。それに、電車ならば汚いながらもトイレはあるし。

耐えてくれ、私の身体!!

そんな願いは虚しく、だんだんと吐き気がつのるし、お腹の調子もおかしくなっていく。バスは「〇〇で降りたい人いますか〜?」という運転手の問いかけに「おりまーす」と答えれば、途中の停車駅に寄って停車していくシステムだったので、ラヴェンナ到着の見込み時間も不明だ。ちなみに、問いかけに対して降りない時でも「No!」と皆様が答えているのが、非常にイタリアらしかった。日本だと「降ります」の返事だけだろう。

QRコードに書いてある停車駅と運転手の問いかけを追いかけながら、満身創痍でラヴェンナ駅に到着したのは、予定よりも1時間遅い11時30分頃だった。

バスへ到着して、すぐに駅のトイレへ向かう。しかし、トイレは立ち入り禁止マークが貼られ、入り口にはポールが置かれていた。

「開いてないみたい」

私を見ながら、おじいさんが肩をすくめた。

「ええ、使えないですね」

肩をすくめ返して、駅から離れる。こういう時、日本の生活が恋しい。駅にはどこでも清潔なトイレがある。万が一、構内で見つからなければ直結のショッピングエリアへ行けばよい。しかも、どこへ行っても無料。

ラヴェンナ駅近くの公衆トイレは当然のように1ユーロを取られた。立てこもり防止か、15分間しか使えない仕組みらしい。

腹痛で動きたくなかったが、占領するわけにも行かず、目的のマグネット回収へ向かった。

ラヴェンナも例に漏れず、駅から旧市街へ行くのは徒歩10分程度かかる。本当は、旧市街のお土産屋さんでマグネットをじっくり選ぼうと思ったのだが、そのような元気はなかった。

早くマグネットを回収して、寝たい。

駅から一番近いお土産屋さんをGoogleマップで調べあげた。到着したお店は小さく、中東の香りがした。もはやマグネットのMade in Italyへのこだわりは消え失せていた。

「どこから来たの?」

「日本だよ」

「日本!僕の息子も旅行していたよ!」

気さくな中東系のおじさん一人で切り盛りしているらしい。

時間をそれなりにかけて選んだマグネットは、ラヴェンナらしいモザイク柄のデザインである。とても色鮮やか。もう少し厚みが欲しかったとか、せっかくならラヴェンナで制作されたものが良かったとか、要望を言えばキリがないが、おおよそイメージどおりのものだ。

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旧市街へ行けば、もっと様々な種類があったのかもしれないが、おじさんがフレンドリーで優しかったから、良しとしよう。

(続く)

マグネット行脚(エミリア・ロマーニャ州横断①)

海外生活の残り期間が決まった年末に、宿泊を伴う旅行は3回までと決めた。お金と時間は限られているためだ。1月から4月までの4か月間だったが、1月はテスト機関なので旅行は難しい。それならば、残り3か月間を月イチペースで回るのが現実的だろうという判断だ。旅行にかまけて卒論が終わらなければ元も子もない。

この3回ルールのうち2回の旅行先については、行けずじまいの南イタリアにしようとすぐ決まった。問題は残り一回である。行ったことのないローマ近隣か、ナポリか、トスカーナ付近か……。地球の歩き方が紹介する小都市はどこも魅力的だ。

悩んだ末、私が選んだのはサン・マリノ共和国であった。決め手となった理由はただ一つ。

エミリア・ロマーニャ州を横断し、マグネット回収を行うためである。

 

元々、2024年の年末に、三泊四日でエミリア・ロマーニャ州を旅行した。この時も目標はサン・マリノ共和国へ到達することだったのだが、ひとり旅レベルが低かった私は、ボローニャ中心部に連泊のホテルをとったことから断念した。エミリア・ロマーニャ州は広い。ボローニャからサン・マリノまで3時間近くかかるのに、当時のトチ狂っていた私は日帰りできると思い込んでいたのだ。当然、疲れ果てた私はサン・マリノ行きを諦めて、ボローニャとその周辺都市を回ってクリスマス休暇を満喫することとなった。

貴重な3回のうちの1回を以前と同じエリアを回ることに、勿体ない気持ちもわいた。しかし、行きたかったのに行けなかった場所は、日本帰国後の禍根になるのではないかとも思ったのだ。後悔の芽は今のうちに摘んでおくに限る。

そして、2024年末の自分は愚かにもBolognaグッズを冷笑していたので、訪問したにも関わらずマグネットは欠けている。それならば、ミラノから直接サン・マリノへ向かうのではなく、ボローニャからエミリア・ロマーニャ州の各都市を回り、最終地点をサン・マリノとする旅程を組めばよいのでは?という考えに至ったわけである。

 

今回の旅程は三泊四日。

まずはミラノからお馴染みの格安Flixbusを使い、3時間15分をかけてボローニャへ向かう。ボローニャでマグネットを回収。その後はボローニャから電車で30分程度の位置にある小都市・フェッラーラへ向かい、そのまま宿泊。

2日目の午前中に電車で1時間15分程度揺られ、フェッラーラからモザイク画で有名な都市のラヴェンナへ向かい、マグネット回収。午後にはラヴェンナから電車で1時間程度かかるリミニへ向かう。リゾート地としても知られるリミニに宿泊し、翌日に備える。

3日目はついに、リミニからサン・マリノへ入国する。リミニからサン・マリノもバスで1時間程度の距離だ。サン・マリノを満喫したら、リミニへ戻り宿泊。

4日目はFlixbusで5時間以上かけてリミニからミラノへ戻る。

わずか4日間で、ボローニャ、フェッラーラ、ラヴェンナ、リミニ、サン・マリノと5都市を回る強行軍である。

果たして予定通りに進むのか。

 

ミラノからボローニャへ向かうバスは出発時点で10分ほどの遅れが生じた。海外の高速バスは遅延してもアナウンスがない。バス停に停車しているバスの行先とアプリをこまめに確認し、自分は正しいのだという確信を得るしかない。たまにイタリア人から「このバスで合ってる?」と尋ねられるのは、藁にもすがる思いの表れかもしれない。

バスはさらに遅れ、到着したのは13:20。いつもながらに車酔いによる頭痛に悩まされながらも、人生2度目のボローニャに降り立った。まさか2度目があったとは。

ボローニャは都市としては中規模だろう。駅前は栄えており、観光客も多い。お土産屋は難なく見つかった。おまけに種類も豊富であり、どれにしようか目移りした。

食べ物系が可愛い。だけど、ボローニャらしさもほしい……。

そんな贅沢な願いを叶えたマグネットはこちら。

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駅近くのお店でパニーニをかじりながら、記念撮影。ボローニャの郷土料理のトルテリーニの周りに名所が散りばめられている。明るい色遣いも可愛らしい。こちらの決め手となったのは、デザイン性もさることながら、裏側のMade in Italyの記載だった。中国製とカンボジア製のマグネットが多い中、イタリア製のマグネットを手にするとやっぱり嬉しい。

ホクホク顔でパニーニをかじり、待つこと30分。無事に電車に乗車した私が向かうのは、ボローニャから1時間程度の場所にあるフェッラーラである。

 

フェッラーラという都市をご存知だろうか。私は『地球の歩き方』を読むまで知らなかった。エステ家という中世の有力な貴族の統治下にあった小都市で、世界遺産に登録された遺跡もある。美しい中世の面影を伺い知れる都市だが、残念ながらフィレンツェの影に隠れてしまい、日本での知名度は低い。自分自身も、前回のエミリア・ロマーニャ州訪問時には候補から除外した都市だった。

利便性を重視してホテルはフェッラーラ駅の正面。日本の地方都市に似た寂れた駅前の雰囲気もあいまり、出張のような気分になる。いつも疑問なのだが、このタイプのシャワールームはどうすれば綺麗に使えるのだろう。なぜ扉をつけてくれないのか。

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駅前から15分くらい歩き、旧市街到着したのはすでに16時前。街の中心部にあるエステンセ城に到着した。堀に囲まれているという、日本の城の周りと同じような構造だ。中世のお城ではあるが、テーマパークのメインスポットのような煌びやかさはない。

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中へ入ると、扉の多さが目についた。道に迷いそうだ。

城の目玉の一つである台所には、お料理の模型が飾られていた。この台所ではコース料理の基礎が生み出されたらしい。

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だが、台所よりも目を引いたのは、地下牢獄である。幽閉されたプリンセスを救出すべく王子様が魔女やドラゴンを撃退してやってきそうなタイプの本格的な牢獄だ。牢獄に本格的も何もないかもしれないが。

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黒魔術が使われていそうな部屋や、奥で無実の罪を被せられた魔法使いが鎖で繋がれてそうな部屋もある。

非常にスリルがあるお部屋だが、誰かと一緒に回った方が楽しめるだろう。私の前にいた女性グループは黄色い声をあげながら観覧していた。

暗い牢獄を脱すると、貴族も優雅なひと時を楽しんだのであろう屋上の中庭にて、果樹園と時計台をカメラに収めることができる。

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課金すれば展望台へ行くことも可能である。街の中で一番高層の建物であるエステ城から見下ろすフェッラーラは、中世にタイムスリップしたかのような穏やかな時間が流れている。馬車から車へ変わっただけで、貴族の見ていた街並みと私が心を奪われている街並みはそうそう変わっていないのかもしれない。

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エステンセ城の見学を終えて、本命のマグネット回収に繰り出した。

小規模都市の観光地ではお土産物屋さんが数多くないとは、これまでのマグネット行脚で学習済みである。パドヴァでの反省を踏まえ、Googleマップの「Souvenir」検索の結果に出てきたタバッキへ向かうこととした。困った時のタバッキ!なんでも揃うタバッキ!!

エステ城の目の前にあるタバッキはお土産物屋を求める観光客の需要を見越してか、数種類のマグネットが売られていた。迷った末、エステンセ城と大聖堂を模ったものを選んだ。これまで複数のマグネットを見てきた私には分かる。量産型のマグネットだ。裏返すとMade in Cambodiaのテープが貼られていた。

回収したFerraraマグネットをお供に、広場近くのマクドナルドで本日の夕食となった。ひとり旅御用達のマクドナルドで食べるものは日本と変わらずダブルチーズバーガーだが、海外にしかないスイート&サワークリームがお気に入りだ。少し酸っぱくて、車酔いした疲れた身体に効いている気がする。

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フェッラーラの滞在はわずか半日。時間があれば他の世界遺産を巡って街歩きをするのも良かっただろう。だが、マグネット回収が目的である私は、限られた時間を活用してサン・マリノ共和国へ辿り着かなければならないのだ。

明日はさらに西へ移動する。

(続く)

マグネット行脚(失せ物の聖人に呪われた1日・後編)

前回はこちら

yoshinari.hatenablog.com

おさらい!過密なスケジュール!

まず8時30分発のFlixBusに乗るために、 7時45分までに自宅を出発。バスに揺られること3時間15分、 11時45分にパドヴァへ到着。 礼拝堂は13時30分の予約として、 お昼ご飯は観覧前に駅前のマクドナルドで済ませる。 帰りのFlixBusは15時55分発を選び、 19時半までの帰宅を目指す。

大きなトラブルなく、12時前にパドヴァに到着した。車酔いをしやすい体質でもあり、3時間以上をバスで過ごした私はすでにクタクタだった。この時、頭の中にあったのは「12時30分には礼拝堂の前にいなければ」ということだった。残り30分しかない。

バス停から礼拝堂までは徒歩20分ほどだった。12時30分までに到着するためには、お昼ご飯を食べる時間なんてない。さらばマクドナルド。トイレだけは旧市街の中にある有料のものを探し出して駆け込めた。

そんなわけで急いで礼拝堂へ向かったのだが、方向音痴なので入り口が見つからなかった。同じく観光客と思われる親切な高齢のご夫婦が「入り口は回ったところだよ」と教えてくれて、何とか博物館(礼拝堂と同じ敷地内にある。)のコインロッカーに荷物を預け入れた。ロッカーの近くに無料トイレがあった。遠回りして有料トイレを使用した私、本当にバカ。

ここで「そんなに急ぐ必要があったのか?」と疑問を感じた方はとても鋭い。

鈍感な私は、12時30分に礼拝堂へ到着して、スマホでチケットを開いた時に、ようやく気がついたのである。13時に到着すれば十分だったと。いつの間にか「見学開始30分前に到着すべき時間」が「事前予約時間」に脳内ですり替わっていた私、本当にバカ(2回目)。

ロッカーにお水まで預けてしまい、喉を潤すことすらできない。30分間も空腹で待ちぼうけを食らったが、スクロヴェーニ礼拝堂は素晴らしかった。

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13時30分に鑑賞を終えると、即座に近所のレストランへ駆け込んで、アぺロールとボロネーゼを頼んだ。マクドナルドよりも観光客感を出せた気がする。

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ボロネーゼをフォークに巻きつけながら考えたのは、今後の予定である。礼拝堂鑑賞は果たせたので、後の目的はマグネット回収だ。Padovaと書かれたマグネットを探し出さなければならない。

14時15分過ぎにレストランを出て、とりあえず徒歩15分程度に位置する広場に向かうことにした。広場に行けばお土産屋の一つや二つ、すぐに見つかる。マグネットの利点はどこでもあることなのだから。

しかし、なかった。お土産屋が、どこにもないのである。広場って観光客が密集していて、怪しげな露天商ぽい雰囲気の中東系おじさんが立っているものではないのか?大体、そういう中東系おじさんがマグネットを売ってくれるものではないのか?

中東系おじさんが見当たらないどころか、お土産屋自体がないのである。どこだよ、Padovaグッズ。

スクロヴェーニ礼拝堂のある知名度の高さ。世界的な一大観光地であるヴェネチアからも近い都市。Padovaグッズの需要の高さは窺える有名都市なのに、なぜなのか。

広場を抜けて、来た道を戻ることにした。礼拝堂のチケットで博物館にも入れるらしいので、このままバスの時間まで博物館で作品鑑賞しようと決めた。その道すがら、一軒のタバッキがあった。そっと外から様子を伺うと……あれは、マグネットではないか!?

タバッキは日本のコンビニのようなもので、公共料金の支払いができたり、切符が買えたり、小さなスナックが売っていたりする。観光地のタバッキではマグネットも含めたご当地グッズも購入できるようである。

Padovaマグネットは種類が少なかった。私のマグネット収集のルールは各都市1つ、立体的なもの、印刷だけのものはNGという3点だ。このルールに該当するマグネットは一つしかなかった。St.Antonioという禿げたオッサンは存じ上げないが、選択の余地なくPadovaマグネットを3ユーロでお買い上げとなった。(現地で記念撮影する時間がなかったので、後日、自宅で撮りました!)

マグネット回収に成功し、再び礼拝堂の敷地へ戻ってきたのは15時だった。まだ1時間ある。イタリアの博物館はとても広いため、とても1時間で見切れる広さではない。流し見でも良い、礼拝堂から移されたというジョット作の十字架だけ拝めれば良いからと、2階建ての博物館へ入館した。

お目当ての十字架は2階にあった。礼拝堂と違って鑑賞時間に制限がないので、好きなだけ立ち止まることができる。

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1階の考古学エリアも、2階の美術エリアも存分に歩き回り、名残惜しくも15時55分に博物館を後にした。

さて、皆様はお気づきだろうか。盛大なミスを。私は気がついていなかった。

 

16時30分頃にバス停へ到着した時、別のバスが停車していた。FlixBusは出発時間が大幅に遅れることは少なく、次のバスが自分の乗るものだろうと呑気に考えていた。しかし、自分が乗らなかったバスを見送ってしばらくしても、バスが来ない。あれよあれよと17時前になった。

おかしい。FlixBusは遅れているのだろうか?

情報のアップデートを確認するため、再度チケットを開いた時、時空が歪んだかと錯覚した。

チケット時刻は15:55。スマホの時刻は16:55。

いつの間にか自分の脳内では、「16時前にバス発車」が「16時までに観光終了」へ置き換わっていたのだ。時計の読み方もままならない私、本当にバカ(3回目)。

痛恨の1時間ミスに放心状態となりかけた。バスが来ないはずだ。なぜマグネット回収した時点でバス停へ向かおうとしなかったのかと自分を恨んだ。

けれども、終わってしまったミスを嘆いたところで、宿泊先を取っていない私が本日中に帰宅しないといけない状況は変わらない。

気持ちを切り替えて、私は徒歩10分の位置にある鉄道のパドヴァ駅へ向かった。バスが無理なら電車で帰るしかない。普段はTrenitaliaのアプリ(JRのようなもの)で時刻表確認と切符購入をすませるのだが、この日に限ってエラーが起きている。私のスマホの問題のようだ。ログイン情報を更新していない私、本当にバカ(4回目)。

仕方なく、券売機でミラノ中央駅行きの電車を確認する。ちなみに、私の自宅はミラノ中央駅から離れているが、中央駅に到着すれば後は様々な方法で帰れる距離にある。最も早い出発時間のパドヴァ駅からミラノ中央駅の電車は、所用2時間程度の高速列車(フレッチャロッサ)だった。むしろバスで帰宅するより早く到着できて良いかなと思ったが、金額を見て我に返った。71ユーロ。フレッチャロッサは日本でいうところの新幹線のような存在なので高価なのは当たり前だが、自分の不注意への勉強代には高すぎる。出費を最小限にとどめるべく、高速列車を諦めて、普通電車で3時間かけて帰宅することに決めた。

 

フレッチャロッサと違い、普通電車の時は乗り換えが必要だ。予定では、17時40分にパドヴァ駅発の電車に乗り、18時38分にヴェローナ駅で下車。18時43分にヴェローナ駅でミラノ中央駅行きの電車に乗り込めば、20時35分に到着できるという流れである。

切符を購入した時点で17時20分頃であった。日本ほど駅中のショッピングエリアが充実しているわけでもなく、早々とホームに行く。スマホをいじって時間を潰すしかない。通勤ラッシュなのか混雑しているホームの空気に、今度は時間と場所を間違えていないとホッとする。

けれども、遅延大国のイタリアらしく、定刻に電車は来なかった。17時40分になっても電車は来ず、発車したのは17時50分になってからだった。乗車中もすんなりと進むわけではない・途中で電車が何度も停車する。ダンボのように耳を大きくしながらイタリア語の会話に集中すると、隣の座席ではご婦人方が「ミラノ行きの電車に乗れるかしら」と話していた。

そうなのだ。ヴェローナ駅での乗り換え時間はわずか5分。わずかの遅延が命取りとなるのだ。

スムーズにヴェローナ駅に到着してくれという祈りも虚しく、ヴェローナ駅の到着は18時43分頃であった。ミラノ中央駅行きの電車の発車時刻だった。

終わった。電車を逃した。

電光掲示板を確認すると、ヴェローナ駅からミラノ中央駅行きの普通電車は1時間に1本のようだった。これからヴェローナ駅で1時間も待たないといけないなんて。バスの時刻を間違えたツケがここまでやってくる私、本当にバカ(5回目)。

 

ヴェローナも観光地として有名で、私もはるか昔に訪れたことがある。もう少し早い時間帯なら2本くらい電車を遅らせてヴェローナ観光をするという選択肢もあっただろうが、もう夜だ。それに、駅から観光地までは徒歩20分程度かかるらしい。1時間で散歩できる距離ではない。ヴェローナ観光は諦め、10分程度だけ駅周辺の散策を楽しんだ。(楽しんでいない)

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その後、言わずもがな、涙のVeronaマグネットの回収を行った。駅構内にコンビニのようなお店があり、マグネットはすぐに見つけられた。助かった。ついでに、夕ご飯を食べ損ねていたのでツナとトマトのフォカッチャを買った。

マグネット回収できたから良かったということにしよう。ヴェローナ観光してなくない?という内なる声はかき消した。

自宅に到着したのは時計の針が22時も回った頃だった。

 

図らずも、パドヴァとヴェローナの2都市のマグネットを回収した。後で調べたところ、Padovaマグネットに書いていたSt.Antonioという禿げたオッサンは、「パドヴァのアントニオ」と呼ばれる聖人だという。「カトリック教会で、失せ物、結婚、縁結び、花嫁、不妊症に悩む人々、愛、老人、動物の聖人とされている」というのがWikipediaの説明である。

失せ物の守護聖人の都市にて、数多の忘却体験をした私。この聖人からの慈悲を与えられなかったのは、禿げたオッサン呼ばわりのせいか。日本帰宅後にマグネットを冷蔵庫に貼り付けた後は、St.Antonioを崇めていきたい所存だ。

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日本へ帰りました。マグネットは日本の冷蔵庫に飾られました。
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マグネット行脚(失せ物の聖人に呪われた1日・前編)

心づもりができていたという意味では、 突然ではないのかもしれない。

留学生活が始まった頃から、本帰国のことは頭の片隅にあった。 イタリアの卒業試験は7月であり、 私の定期人事異動の10日ほど後に予定されていた。 留学開始前に人事異動に関して職場の担当者と話しながら、 始まる前から終わりの相談をするのは奇妙だと感じたものである。

人事異動前の6月末に帰国するか、 卒業試験終了後の7月末に帰国するか。

一長一短である。 仕事のことを考えると6月に帰って日本での生活準備に取り掛かりたい。心情的には卒業試験終了までイタリアにいたい。 どちらが良いのだろう。

決めきれない日々を破ったのは、私の意思の及ばない範囲で発生した突然の問題によるものであった。

それは滞在許可証だった。12月にようやく受領した滞在許可証の有効期限は、5月中旬であった。残り2か月ほどのために、 申請料を支払って滞在許可証を更新する気にはなれなかった。

長くても5月までしか、イタリアにはいられない。

残り半年もあると思っていたイタリア生活は、 残り4か月半しかないものへと変わった。 

2026年を迎えた寒い日に、帰国時期は4月末に正式決定した。

 

夏頃から留学生活の終わりは見えてきていた。けれども、 帰国する日が決まってからとは違う。もっとハッキリと、この街が遠くなることを実感した。日本へ帰国すると、この毎日は白昼夢のように消えていくのではないかと。

すると、急に、 自分がイタリアにいた証のようなものが欲しくなってきた。その思いは日々、増しくていく。欲しいなんて弱いものではない。 買わなければならない、手にしなければならない。私が夢を叶えた証明を残しておくために。

本帰国時に荷物を増やしたくなかったので、それまでは旅行をしても極力お土産は買わないようにしていた。 美術館で絵葉書を買う程度。ご当地グッズなんて日本では使わないよ、と店先に並ぶマグネットを見ては少し笑っていた。それなのに、今や見向きもしていなかった「Italia」 のポップなフォントで装飾された帽子やショットグラスやキーホル ダーが輝いて見える。

残り4か月で、この国で生活した証を集めなければ。 何を集めればいいか?

お散歩ルートにある土産物屋を覗き、人生の証とするに足る、一番相応しいものを決めた。

それがマグネットである。

 

マグネットの利点はかさ張らないこと。 そして日本でも場所を取らずに飾れることだ。 Tシャツやキーホルダーのように収納スペースに困ることはない。 しかも安い。 高くても5ユーロほどでご当地グッズを手に入れられるのは魅力的 だ。

マグネットを買おうと考えてから、じわじわと後悔が湧いてきた。 在伊1年半が経過し、すでにあらゆる都市を訪れていたのだが、 当然のことながらご当地土産なんて見向きもしていなかったので購 入していない。 もっと早くにマグネット収集を始めていれば良かった。

今まで訪れたのは中都市や小都市ばかり。 観光ガイドの最初のページで紹介されているような有名都市には行かなかった。 小さな都市の方がイタリア独自の雰囲気を味わえて 好きだからだ。 それは珍しいマグネットを手に入れる機会をみすみす逃していたことと同義だ。今からでも挽回できるか?とはいえ、 マグネット収集のためだけに、 小都市を再訪するのも貴重な時間の無駄遣いである。 残りわずかの異国生活。せっかくなら新規開拓したいではないか。

こうして、 私は御朱印帳のごとくマグネット収集に勤しむことになった。

……のだが 、開始早々に悟った。 マグネット収集もといマグネット回収作業を甘くみていたことを。

マグネット行脚。これはマグネット回収を巡るてんやわんやの記録である。

 

渡航当初から行ってみたいと思いながらも、 何となく後回しになっていた都市がパドヴァだった。

パドヴァで一番有名なのは、 スクロヴェーニ礼拝堂という世界遺産だ。 ジョットが礼拝堂に描いたフレスコ画は西洋美術史上でも重要な作品に位置づけられている。 徳島の大塚国際美術館にて実物原寸大の複製画を見ることができるので、日本人にも馴染みのある作品だろう。 作品名を知らなくても、「ああ! Instagramで見たことある映えスポット!」 という声も聞こえるのではなかろうか。

西洋美術史好きとしては、 スクロヴェーニ礼拝堂はぜひ実物を拝みたい場所だった。

旅先として後回しになっていたのは、距離的な問題からだ。 ミラノにある私の家からパドヴァまでは片道3時間以上かかる。 皆様ならどうだろう? 片道3時間の距離にある都市は日帰り旅行先だろうか。 それとも1泊が必要だろうか。

距離的な問題に加えて、 スクロヴェーニ礼拝堂自体の観覧方法も後回しの要因となっていた 。文化財保護の観点から事前予約が必須。 そして事前予約時間の30分前に到着し、 15分間は温度調整室で待機をし、 15分間で礼拝堂を見学するという流れだ。つまり、 事前予約時間とは観覧終了時間を指すという、 少々ややこしいシステムだ。礼拝堂の観覧時間も考慮に入れて、 往復の切符を取らないといけないというのは、何とも面倒くさい。

これらの理由から「まあ、時間がある時にゆっくり行けばいいや」 と思っていたのだが、あれよあれよという間に、イタリア滞在日数は残り50日を切ってしまった。

このままではパドヴァに行かずに留学が終了してしまう。

もう諦めようか。宿泊を伴う他都市の旅行も入れているし、 卒論の執筆目標も考えると時間に余裕があるわけではない。 イタリア特有の度重なるストライキもあり、 ノーストレスで旅行できる候補日は僅かだった。

だが、ここで諦めるのは私ではない。日帰りで何としてでも行く。旅行と卒論準備の隙間にねじ込んでやる。

こうして急遽、パドヴァへ日帰り旅行をすると決めて、 往復の高速バス(FlixBus) とスクロヴェーニ礼拝堂のチケットを確保したのであった。 貧乏なので鉄道は使わない。 バスを利用して往復の交通費を15ユーロで抑える作戦だ。

 

私の過密なタイムスケジュールは下記のとおりである。

まず8時30分発のFlixBusに乗るために、 7時45分までに自宅を出発。バスに揺られること3時間15分、 11時45分にパドヴァへ到着。 礼拝堂は13時30分の予約として、 お昼ご飯は観覧前に駅前のマクドナルドで済ませる。 帰りのFlixBusは15時55分発を選び、 19時半までの帰宅を目指す。

綱渡りのスケジュールだ。直前に急いで組んだので、 熟考する暇はなかった。

これから発生するトラブルの元凶。それは、 タイムスケジュールを頭に叩き込めていなかったという点に尽きる。

驚くべき忘却力を発揮してしまったのだ。

(続く)

悔いなき人生、30年目

ピンクの振袖を着て微笑む自分の写真を見返しても、これが10年前のものだとは俄かに信じがたい。外見的にはそうそう変わっていないように思えるのだ。実際、身長や体重には変化が見られないし、大人になったら落ち着くはずだと思っていたニキビにはいまだに悩まされている。

自分が老いを感じるのはいつなのだろうかと呑気に構えていたのだが、最近になって自覚した。老いには2種類ある。容姿のように表面化するものと思考のように内在化するものだ。鏡をのぞけば視界に入るシワやシミやタルミのせいで、容姿の衰えは年齢を感じやすいというだけだ。

老いによる衰えへの自覚は内側から始まった。あれの名前はなんだっけ、と名称を思い出せないことがある。私は元々記憶力が良い方で、特に視覚からの情報ストックには自信があった。今までに観た映画や読んだ本、どこかで出会った人の名前を忘れることはほとんどなかった。それなのに、最近では検索しようと思った語彙をド忘れすることや、出会った人の名前をぼんやりとしか思い出せないことが増えた。こうして文章を書いている時でさえ、表現がしっくりこずに語彙不足に悩まされ、AIの方が魅力的な雑文を仕立て上げられるのではとすら思う。

手の中のスマホから世界をワープできる情報過多の世界にいると、能力的な老化スピードは以前より早くなってしまうのかもしれない。一つの投稿を見ると別の投稿が気になり、話題や興味関心は一瞬で飛んでしまう。AIに聞けば、深く考える前にも答えや方向性を教えてくれる。利便性や娯楽性と引き換えにして、自分の脳は不要な情報処理にメモリが割かれ、本来の能力を失ってしまっているようだ。

30歳にしてこの有様なのだから、今後50年の人生に自分の脳は耐えられるのかという不安は尽きない。内面の衰えを防ぐ手立てをしなければ。読書は言わずもがな、英語やイタリア語を始めとした語学は継続して、たまにはひっそりと雑文を書いて……。これだけでも少しは老化のスピードを落とせると信じたい。

 

老化というマイナス方向の変化だけではなくプラス方向の変化も探そうとするのだが、なかなか難しい。好ましい出来事にすら負の感情が生まれてしまうのは、アラサーだからだろうか。

大学卒業までの時期と今を比較すると、異なるのは夢や希望の有無だろう。

20歳の頃は、30歳の自分がどのような感情を抱くかという点への想像力に欠けていた。だから、

「私もいつか絶対に海外で生活したい。イタリアで毎日を過ごすってどんなにオシャレで素敵なんだろう。海外留学したいし、大学院にも行きたい!社費留学制度のある会社に就職できれば、どちらも叶えられる!絶対に海外大学院で修士号をとる!!」

という鮮やかな未来像に飛びついた。29歳。その数値が日本人の平均初婚年齢だと知っていたが、計画的に動いて留学前に結婚すれば解決できる問題だと思っていたし、自分以外のほとんどの人が結婚する状況というのも信じられなかったし、周囲が叶えられている人生ステップから取り残されることへの劣等感なんて考えもしなかった。楽観的だったし、自己効力感も高かったのだ。他人と違う人生でも自分なら悩まずに乗り越えていけるはずだという根拠のないあの頃の自信は、今の自分には残っていない。

海外大学院に入学するまでも、留学後の海外生活でも辛いことや大変なことは多かった。希望していない部署や土地で働いても、IELTSへの重課金で毎日がパスタ生活になっても、英語のグループワークで自分の主張が理解されなくても、ただ一つ「絶対にいつか海外大学院で修士号をとる」という目標だけが心の支えとなり、原動力として機能していた。

今の自分は、10年前の自分のように人生で絶対に叶えたいことがない。目標を達成してしまったからだ。壮大な10年計画が終了し、残り50年間の余生に入るという気持ちすらある。

次なる原動力を探さなければ、脳の衰えは加速してしまうのではないかという恐怖心に駆られる。

 

私は日本の30歳女性のロールモデルにはなれていない。他人から見れば負け組だろう。留学や大学院進学という20代前半で片がつくことにこだわり続けた自分に嫌気がさす。誰かと生きて、誰かを育てる年齢になってまで、自分のやりたいことを優先させていることが、ひどく幼稚に感じる。大人としてあるべき責任感や義務感を放棄した自立できていない存在であるように感じる。まるで、大きな子ども。

自分を卑下しすぎだという声が聞こえてきそうだ。それでも、卑下せずにはいられない。

このような考えに染まり心が苦しくなった時、私はいつも自分に問いかける。

この記憶を持ったまま、もう一度人生を選択できるとしても、同じ道を選ぶだろうか?

不思議なことに、これだけ辛いし泣くことすらあるのに、他の道を選ぶことは考えられない。10年前に戻れたとしても、私はやっぱり海外大学院で修士号を取るという目標を定めて、この人生を選ぶ。今の仕事に就いただろうし、不本意な部署に回されても転職しなかっただろうし、留学前に結婚をすることもなかった。

どこかで諦めていたら、私は後悔を抱えたまま30歳を迎えていただろう。

 

もう一度人生を選択できるかという前提で判断を下しているとともに、常に人生の終わりを考えて生きている。何を馬鹿なと笑われそうだが、本当だ。むしろ私からすれば、なぜ世の中の人は死を選択肢や可能性に含めず、見向きもせずに生きられているのか不思議だ。人生なんて外的要因により一変する。災害や交通事故、テロ発生など、有事を想像したらキリがない。

私は明日、死ぬかもしれない。命の火が吹き消される直前、悔いなき人生を全うしたと言い切れるのか?

この視点で全ての物事を考えていけば、理論的には自分の選択に後悔なんてしようがない。

目標設定と実現には時間的な隔たりがあり、その間には後悔に似た感情が生まれることはある。留学でいえば、結婚や出産といった人生を何度望んだことか。数えきれない。

だが、これは後悔に酷似した感情なだけであり、後悔に分類してはならないと思う。後悔は物事が終えてからするものだ。過程でするのは後悔ではない。逃げである。逃げが諦めに変化してから、後悔は生まれるのではないだろうか。

 

こうして綴っていると、自分の人生の指針が見えてくる。目先の願望をとるか、将来的な願望をとるかの賭けをして生きている。言い換えれば「明日は死なないであろう賭け」をしながら人生選択をしている。

人生は選択により成り立っている。賭けに勝ち続けて30歳になった私は、自分の歩んできた人生に一片も後悔をしていないと断言できる。

私はこれから、若さを眩しく思う日が増えていく。人生を賭けてまで得たい夢や希望は、10年前と違って思い浮かばない。子育てをしている自分の姿も想像できなければ、子どもを持たずに深夜残業している自分の姿もしっくりこない。根拠のない自信を手放した私には、大層な賭けをするだけの精神力も残っていない。

だが、どんな自分になっても賭けを止めることはない。日本へ帰国して生活が落ち着いたら、すぐにその対象を見つけることだろう。

身体的な衰えはあるとしても、世界がどう進むとしても、私は絶対に人生への後悔を残さない生き方と選択をする。

これが30歳の節目で考える、自分の未来像だ。