Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

芸術の面白さ

 

ルネッサンスとモダンアート。新古典主義印象派

様々な時代における西洋絵画を並べてみて、どの時代の作品が好きかと問われたら、きっと困ってしまう。どの時代の西洋絵画もすてきだと思うからだ。繊細で細かいタッチに惹かれることもあれば、大胆で力強い鮮やかな色に気持ちを上向かせることもある。

しかし、西洋絵画の面白さを問われれば、きっと答えることができるはずだ。

 

以下、偉そうに語って恐縮だが、私はアートの専門家ではない。

一度だけ某大学の芸術学部を受験したこともあり、高校生から美術関係の本は読んでいた方だとは思う。ちなみにこの時は、入試1か月前に土壇場で親からの受験許可を得たという事情により、付け焼刃的な知識で受験に挑み、当たり前のように不合格だった。

大学時代の研究テーマはファッション史だったので、芸術に近しい分野だったとは言えるかもしれない。しかし、ファッションはアートとビジネスの狭間を歩く面白い分野だとは思うが、自分には一生をファッションに捧げられるほどの情熱と才能がなく、現在は法律などの真反対の分野で日々格闘中だ。

よって、アート素人の個人的な意見として楽しんでもらえれば幸いである。

 

芸術の面白さや良さが分からないと、友人からも聞くことがある。特に抽象的な絵画のすごさが分からないのだと首を傾げられる。だから、私が様々な展覧会や美術館(様々と言っても、一年間に4回程度だけれど。)へ出向く意味が分からないらしい。
何が面白いの?何が良いの?
確かに。映画のように動くわけでも、ゲームのように自分で攻略するわけでもなく、絵画鑑賞は文字どおり、眺めるだけというイメージが強い。

芸術の面白さとは?
このような疑問を投げかけられた場合、私は大抵、勉強家の友人にはルネサンス、勉強家でない友人には現代美術を勧めてみる。


前者に対しては、西洋絵画は「アトリビュート」を調べてから鑑賞すれば面白いよというアドバイスだ。

ルネサンスに限らないが、西洋美術では聖人や神に関するいわばモチーフが作品内に見られることが多い。例えば、赤と青の服を着た女性を示すのは聖母マリアという具合だ。

私が大学で美術史を受講した際には、これらのアトリビュートを利用して、オリジナル「受胎告知」を描きなさいという面白い課題もあったほど、西洋絵画勉強者にとっては基礎的な知識だ。アトリビュートは、西洋絵画の鑑賞方法が分からない方にとっては、鑑賞時に注目すべき点を考えるきっかけとなるだろう。
だが、アトリビュートの理解には、基礎的な文化や宗教知識が不可欠であり、そもそも人文科学への興味がない方にとっては面白みに欠ける作業になってしまう。


そこで、勉強熱心ではないが芸術に親しみたい方へは、現代美術を勧めるようにしている。

古典的な作品よりも、肩肘張らずに鑑賞することができるからだ。

現代美術には体験型の作品が多く、深く考えなくても芸術に馴染むことができる。ただの楽しめる作品と思いきや、制作者の社会課題に対する問題意識が盛り込まれていることも多く、制作背景を確かめると、より楽しめるのも特徴だろう。

振り返ると、自分自身、最近は県外への旅行時には現代美術館へ行きがちだ。一昨年は富山ガラス美術館へ行き、昨年は青森県にある十和田市現代美術館へ行った。

昔は、ルネサンス印象派が王道だと考えていたのだが、今になり自身の視野の狭さを猛省している。現代美術の方が、鑑賞者と作品が一体化しやすく、まるで海辺にて沈みゆく夕日を眺めているような穏やかな時間を感じることができるのだ。

現代美術は、心の栄養を求める多忙な現代人向けの治療薬なのではないかとさえ思う。

 

しかし、急に芸術に興味を持つことも難しいだろう。人間、未知のことには興味が湧かないものだ。
自分自身も、美術鑑賞を楽しめるようになったのは、中学三年生以降だった。
反抗期の中学生は美術や音楽の授業を軽視していた。高校受験には不要だからだ。内申点には関係あるが、当日のテストには関係ない。美術や音楽は役立たない。表立って、どれだけ美術の授業が無駄であるかを主張する生徒もいたほどだ。そのため、美術の授業中は、数学の問題を解く生徒や寝ている生徒が多かった。

だが、私はむしろ美術や音楽の授業を熱心に受講していた。そこで、初めて美術史というものを習い、抽象画の見方を教わった。知識が身につくと、一枚の絵を前にしただけで「なぜこの大きさにしたのか」や「なぜこの色を使ったのか」など、作成背景を想像できるようになった。

美術鑑賞が好きになったのは、作品を前にして自分の意見を語れるようになったからだ。

解釈には正解がないということも、芸術は性に合っていた。そんな見方もあるよねと肯定してもらえることが心地よかった。


思うに、芸術のことを分からないと言う人は、分からないことを難しく考えすぎなのではないだろうか。答えがないものにも、正解を導きだそうとするように。

解釈には正解がないのだから、「大きい作品で迫力があるな」程度の感想でもまったく問題がないのだ。自分の感想から「なぜ」を広げて、自分なりの考察が思い浮かべば(考えた結果「さっぱり分からない」という感想しか浮かばなかったとしても)、それは立派な美術鑑賞者だ。難しい理論は必要ない。

芸術における最大の面白さは、自分にとって正しい答え、間違いのない答えを探せることなのだ。

 

色々と語ってきたが、最近の私は美術館へ行けていない。有給を取った時に、真昼にのんびりと三菱一号館美術館へ出向く程度だ。ちなみに、私の有給休暇ルーティンは社会人一年目の頃から変わらない。カレー百名店にてインドカレーとチーズナンを堪能してから三菱一号館美術館で特別展を巡り、帰宅してから寝るまで読書という陰キャなのが丸わかりな過ごし方だ。

今年もそろそろ、県外の美術館めぐりの計画でも立ててみようかな。