Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

10年記念

 

翌朝のオンライン英会話を予約しようとしたら「条件に当てはまる講師がおりません」と表示された。

そうか。今日は大晦日。明日はお正月。元旦から仕事をしたい人がいるはずもない。

私は一人で納得して、予約をせずにパソコンを閉じた。

一人暮らしのアラサー女にとって、大晦日はさして大事なものでもない。そりゃそうだ。27回目だ。紅白歌合戦を見る習慣もないし、帰省しているわけでもない。年賀状を最後に書いた日など覚えてもいないほどだ。

それでもちょっとは特別感を演出してみたかったりもする。だって今日は大晦日なのだ。2022年の大晦日を過ごすのは人生一回きりなのだから、特別な日を仕立てあげねば損である。シャンシャン脳内会議でデブ活許可が降りたので、私は5時前に近所のスーパーマーケットへ駆け込んだ。

スーパーマーケットの混雑具合はクリスマスの日とは比較にならないほどだった。BGMの「もういくつ寝ると、お正月~」のリズムに乗りながら日本酒コーナーへ立ち寄ると、案の定、日本酒売場の棚は隙が目立った。皆、考えることは同じらしい。本当はもう少し安い銘柄が良かったのだが、仕方ない。少し高めの「久保田」をカゴにいれて、おつまみを物色し、ついでに切らしていたチーズと卵を加えて清算

半額の巻き寿司ではなく蕎麦にすれば良かったと思ったのは、スーパーマーケットを出た後だった。

 

週末の夜ご飯の時間は、いつも映画やドラマを流している。今日はどれにしようとポチポチしていて目についたのは、映画「ブラック・ミラー バンダースナッチ」だった。最近、ネットフリックスのドラマ「ブラック・ミラー」にはまっている。大晦日とは思えないチョイスだが、私にとってはベストチョイスだった。

この映画はとても面白いつくりになっている。まるでRPGゲームのように、視聴者は主人公の行動を選択できるのだ。異なる選択をすれば、異なるエンドが待ち構えているというまさに近未来的映画。舞台は1980年代だけど。

主人公の行動を選びながら、お酒とお寿司とおつまみをテーブルに広げる。わあ、豪華。

日本酒で喉の奥を温めてから、お気に入りの山椒入りマーラーピーナッツを口の中に投げた。山椒で舌が痺れる感覚が、最高なんだよな。ついでに、バター醤油味のポップコーンに手を伸ばす。ぼりぼりぼり。もう、気分は映画館だ。さらに、ふるさと納税でもらいすぎた北海道産チョコレートバーをがりがり齧る。私は甘辛ミックスしなければ気が済まないのだ。ポップコーンとチョコレートを交互に食べられた幸せが胸の中に広がった。

主人公の行動を選択する場面はいくつもある。私がたどり着いたバッドエンド以外のルートも用意されているとのことだった。グーグル先生に聞いてハッピーエンドルートの攻略を試みたものの、なぜかいつも同じ場面からやり直しを食らう。何度も異なるバッドエンドに行きついたところで、私の一人忘年会は終了した。

 

その夜は、ベッドにもぐりこんで、ミヒャエル・エンデはてしない物語』を読んだ。児童向け作品と侮ることなかれ。大人にならなければ、他人への嫉妬心や欲望が朽ちない恐怖は分からなかっただろう。

ファンタジーの世界に留まりたい気持ちは痛いほど理解ができる。きっと私が彼の立場ならば、現実世界に戻ろうとはしないだろう。想像力により別人にもなれる。終わりなき世界を旅する方が現実を生きるよりも幸せだ。たとえ、自分の記憶や名前を忘れようとも。しかし、「愛」が大事なのだと気がついた少年バスチアンは、ファンタジーの世界へとどまることが間違いだと気がつき、現実世界に戻ろうと決心するのだ。

違うよ、バスチアンくん。現実世界だって、変わらないよ。大晦日を孤独に過ごすことになるんだよ。それなら、ファンタージエンで永遠に生きるのだって変わらないんだよ。むしろ、その方が幸せだよ。過去の記憶を失ったものが留まり続ける「元帝王の都」にいた方が、現実世界で生きるより何十倍も幸せだよ。他人と比較することだって、悩みを持つことだってないんだから。

考え出すと止まらなかった。涙が泉のように湧き出してくる。2023年初泣き at 1 a.m.。

泣きながらファンタージエンを旅していたら、いつの間にか2023年に突入していたのだった。

 

なんだなんだ、目標達成できなかったではないか。

去年の雑文には「明るい気持ちで年越しをする」ことを目標にしたいと書いていたのに。これでは昨年以下ではないか。

元来、根暗でコミュニケーション能力の低い私が明るい気持ちで年越しをしようなど、毛頭無理な話だったのである。もっと自分の性格に見合った目標を設定しなければ。

2023年は「泣かずに年越しをする」とハードルを下げることにしよう。 

 

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さて、前置きが長くなってしまいましたが、自分にとっては元旦よりも本日の方が大事な日です。

高校二年生の今日、ふと読書記録をつけようと思い立ち、読書メーターに1冊の本を登録しました。

記念すべき1冊目に有川浩阪急電車』を選んだのは、実はリアルタイムで読んでいたわけではなく、「本を登録してみましょう!」というチュートリアルの時に咄嗟に思いついた本だったからという理由です。中学時代と高校時代ともに、有川浩作品が大好きでした。時に『阪急電車』は、高校卒業後の自分の姿を想像して繰り返し読んでいた作品でした。

まさか当時は、10年後も読書記録を続けられているなんて想像もしていませんでした。多くのSNSが失われている中で、いまだサービスが続いていることにも驚きです。

自分のことに関しても驚いています。受験生を目前にしていた17歳の私は、大学受験さえ終わればたくさんの本を読めるはずだと信じていたのですが、27歳の私は大学院受験生になってしまいました。逃れられない!受験人生!

 

この10年間で読んだ本は、422冊。多いでしょうか?少ないでしょうか?自分としては、もう少し読めたはずだと思います。

浪人時代までは友達もおらず、勉強もしていなかったので、無限に読書時間が取れました。

忙しくなっても、本を手放すことはないはずだ。読書を削ることなんてないはずだ。そう思っていました。

しかし大学入学以降は、めっきりと読書時間が減ってしまったのです。

読書時間が減った分、誰かと過ごす時間が増えました。友達だったり、当時付き合っていた彼氏だったり。お休みの日は、彼らとともに過ごすことになりました。また、アルバイトや就職活動などにも時間をさかねばならず、自分だけの時間を確保することが難しくなってしまいました。

比例するように、外向的な性格だと捉えられることが増えました。

明るい性格だね、コミュニケーション能力が高いね。

周囲からのかけられる言葉とともに、私の人生は大きく変わりました。高校時代の私には想像できなかったほどの友人に囲まれ、憧れだった職業にもつくことができて、可愛い花柄ワンピースを気兼ねなく購入しています。

朝から夜まで本を読み、空想の世界を旅していた私はすっかり影を潜めました。

今の私は、昔の私が憧れていた私です。そのことに違いはありません。

しかし、人間の本質とは変わらないものなのです。

次第に私は、憧れていた私を演じることに疲れてしまいました。笑顔でいることも、誰かと話をすることも、何もかも。だって、これは本来の私ではないのですから。

本来の私――それは、いつだって、一人きりの世界を漂う時の自分です。笑う必要もなく、誰とも話す必要もない時の自分です。そして、このような自分こそ、最も大切にしなければならないのだと気がつきました。

一昨年末から、自分を取り戻すという意味も兼ねて、日常的な読書を心掛けてきました。まるで高校時代のように。

本を読むとき、私は素でいられます。何かを書く時も、同じように。笑わないでいいことに、愛想を振りまく必要のないことに、誰からも否定されないことに安堵します。一人であることに向き合わなければ、私は自分でいられないのです。

だから私は、ファンタージエンに憧れを抱き、現実世界で泣くのです。

 

10年間で422の世界が私を迎えてくれました。

過去の自分の感想を読むと、少し気恥ずかしくなることもあります。高校生のくせに背伸びしているなあと。日本語のミスに気がつくこともあります。

また、読書傾向も変わったように思います。

当時は海外翻訳作品を一切読まず、かわりにライトノベルを含む日本のエンタメ小説をよく読んでいましたが、今ではむしろ海外翻訳作品を選ぶことの方が多いくらいです。英語を勉強しているお陰で、原書もゆっくり読み進めていくことができています。いつかは、イタリア語の原書にも挑戦してみたいものです。

私はこれからも、自分と向き合える時間を大切にしていきます。たくさんの本に囲まれながら。

 

10年間もの長期間を過ごしてくださった皆様、本当にありがとうございます。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。