Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

絡まった糸をほどく (前編)

ねぇ、うちの業界にいたらさ、学歴コンプくすぶるよね。

ランチ中、同期がふと口にした。私は、そうだねと同意する。

たぶん、私達の大学は、世間一般では普通レベルかと思う。名前に聞き覚えがある程度には。
しかし、この業界では違う。
難関大学出身者がひしめき合っている。そのため、自分の卒業した大学がとんでもなく底辺なような気がしてしまう。世間一般の感覚とはズレてしまうのだ。

難関大学出身者に囲まれることなど、最初から分かっていた。それが自分の心を延々と苦しめる可能性についても。
それでも、地方の私大生だった私は、どうしても今の職業に就きたかった。

それは、心のどこかに、就職くらいは自分の第一志望を諦めたくないという思いがあったからだ。

私は大学で勉強した。そのお陰で、今の私になれた。この点については満足している。
満足しているからこそ、悩むのだ。

どうして、大学受験の時に、このくらい頑張れなかったのだろう。

私は元々、国立大学を目指していた……と表向きには話している。
事実ではある。私は浪人も含めると、計4回も同じ国立大学に落ちている。
しかし、これは少しだけ、事実と異なる。

なぜ多くの人が高校卒業後の進路として、大学進学を選ぶのだろうか。
様々な理由があるかと思うが、私の場合は周囲からの影響だった。
厳しい家庭だったので、親からは「東大か京大以外には行かせない」と言われて育った。また、通っていた高校は「東大や京大、医学部を目指して勉強しましょう」という風潮でもあった。
私には、これらの要素に抗うだけの力を持ち合わせていなかったのだ。

自分自身は、自分の能力を低く捉えていた。
学校内での成績は常に低空飛行。しかも、勉強自体が好きではない。
中学時代は勉強もろくにせず、毎日、書店と図書館に入り浸っていた。帰宅後も、常に読書。
勉強なんて嫌いだし、苦手だ。

苦手を克服しようという気持ちは起きなかった。
国立大学へ進学するには5教科7科目が必要だと知った。そんなにたくさんの科目を勉強できるはずがない。
中学生の段階で、大学案内を読み漁った結果、自分には大学進学など無理であると悟った。

無理して程々の大学に進学するよりも、自分の得意な芸術を極めていった方が、きっと人生は楽しい。

学生時代の私は、演劇が何よりも好きだった。
自分が他人になる感覚。誰かが自分の中にするりと入り込み、私はそれを遠くから眺めている。
私は、自分のことが好きではない。
もっと可愛く産まれたかった。賢く産まれたかった。後悔や願望を消去するためには、胎児からやり直さなければならないかもしれない。
舞台は、理想の自分になれる場所であった。大嫌いな自分からの逃避。
たった一時間。されど一時間でもいい。
ここならば、別の人生を編むことができた。

高校入学後、初めての進路希望調査では、芸術大学に進学したいと書いた。一生、演劇をしたいと本気で思っていた。
そこまで稼ぎがなくとも、私の心が幸せならば、それでいいと……若かったのだと思う。
「そんなに勉強から逃げたいのか」
面談時に担任教師から投げられた一言は、今でも波紋のように胸に広がっている。

当然、親からも反対された。当たり前だ。幼い頃から、偏差値主義を啓蒙していた人達である。反対しない理由がない。
芸術大学に進学して、何になると言うのか。
恵まれた環境にいるのに、どうして東大や京大を目指そうと思わないのか。
演劇なんてサークル活動で十分だろう。

私は答えに窮した。

なぜって。
演劇を仕事にしたいから。それ以外の理由があるのだろうか。

私は頭が悪いのだ。
何時間かけても予習は終わらないし、周囲のクラスメートのように高得点も取れない。模試はいつも中の下。悪い時は下の下。

勉強から逃げたいわけではなく、自分の得手不得手を冷静に考えているだけだ。
時間は有限である。特別、勉強が好きなわけでもない。苦手なことに時間を使うよりも、私は好きなことに時間を費やしたい。
演劇を仕事にしていきたい。

私の主張は、受け入れられなかった。
芸術大学の学費は出さないし、奨学金申請の書類にも署名しない」
最後通牒だった。お金の問題を出されると、16歳にはお手上げだ。

どうすればいいのだろう。
芸術大学へ行かなくても演劇を続ける方法は、一つしかなかった。
関東圏の大学へ行き、劇団へ入ることだ。

いつか役者になりたい。

夢を叶えるため、私は、関東圏の国立大学を志望することにした。

高校2年生になってから、私の成績は少しだけ上向いた。
担任から勧められたのは、所謂「旧帝大」というカテゴリーの大学であった。
世間的に見れば、そこを目指すべきだった。
けれども、私はその提案を受け入れられなかった。
東京で演劇をやりたいのだ。
地方の大学では、駄目なのだ。

惰性で机に向かうものの、まったくやる気が起きなかった。
大学進学というしがらみさえなければ、こんな苦労をしなくても上京できるのに。
私は努力をすることではなく、現状を怨むことと現実逃避に時間を割いてしまった。

だから、不合格は当然の結果だったのだと、今では分かる。

とは言うものの、当時の私は、結果を受け入れられなかった。センター試験後の合格判定が悪くなかったことも関係しているだろう。
高校時代の教師からも、合格するだろうと言われていたし、試験の手応えも悪くはなかった。

それ故に、合格発表の日は落ち込んだ。
当然の結果にも関わらず、泣いた。努力を怠った自分が一番悪いのに。私はつくづく自分勝手な人間だ。
結局、進学先は関西圏の私立大学となった。
思い描いた人生と現実が大きくずれるのは、これが初めてであった。高校卒業後に上京することを夢見ていた自分にとって、関西で生活する姿を想像できなかった。

なんて平凡な人生なんだ。
どこにでもある大学へ進学し、自分の夢も叶えられないまま、ほどほどの会社へ就職し、20代後半で結婚し、子育てと仕事の両立で悩む……一番回避したい人生のイメージが頭の中で駆け巡る。
私は、不合格になって初めて自分と向き合った。
学力という土俵で勝負するならば、周囲に言われるとおり、最大限の努力をして一番上を目指さなければ許せない性格だった、自分のことを。

「君は、うちの高校が向いていなかったのかもな」
進学先を報告に行った際、担任がふと口にした。
「ワンランク下の高校に入って、トップを目指す方が向いていたのかもしれない」
それは、私自身も感じていたことであった。天邪鬼な自分は「皆で地元の大学を目指そう」という風潮の高校へ進学していれば、「自分だけは東大へ行ってやる」とやる気に火がついていたかもしれない。
「だけど、大学受験で全てが決まるわけじゃない。せっかく関西の大学へ行くのだし、京大の院進を目指してみたらどうだ。僕は、君なら京大院にも合格できると思う」
ああ。もう次の入試はそこにあるのか。
不合格だった私は、ほつれた学歴を直すために勉強をしなければならない。そのための準備を始めなければならない。休む暇もなく。
波のような疲労感が、私の背中を覆った。

 

(後編へ続く。)