大学進学を機に、私は実家を出た。私と両親は、なかよしこよしという関係ではなかった。むしろ母親など「あなたがいなくなったら、フランス語の勉強再開しようかしら」と漏らし、第2の人生を心待ちにしているようでもあった。
しかし、実際にその時が訪れると、心境は真逆であったらしい。最初こそ解放感に包まれていたようだが、徐々に18年間育てた娘が巣立ったことに対して、寂しさが生まれた。全てのことに対して、やる気を失ってしまったのだという。
心の穴を埋めるために両親が選んだ解決方法は、犬を飼うことだった。それも、私と兄に被せるように、姉妹で。
かくして、ヨシナリ家には巣立った子ども達の身代わりとして、2匹のプードルがやってきた。
それまで、私の人生にペットという存在はなかった。そして、苦手な存在でもあった。
言葉が通じず、何を考えているのか分からない。突然、噛んでくる。吠えてくる。
通学路に犬がいれば迂回していたくらいだ。
大学進学後、初めての帰省で、私はその小さな生き物と対面した。
一匹はシロ。ふわふわとした毛の中には、ボタンのような丸い瞳が隠れている。ぬいぐるみのようだった。
もう一匹はシルバー。シロよりも一回り小さくて細かった。小さい分、さらにぬいぐるみ感が増していた。
私の恐怖心を感じ取っていないのか、犬は私に擦り寄ってきた。
「やっぱり匂いで分かるんだ。他の人に対しては、こんな懐かないもん」
母親と私に挟まれた2匹の犬は、とても幸せそうだった。いや、正確には、幸せそうな自分たちを演出していた。
私は、この生命体の賢さを舐めていたのだ。
母親や父親と一緒にいる時、彼女たちはおもちゃを咥えて私の膝元にのってきた。つぶらな瞳でこちらの顔を捉え、頬を舐めてきた。
だが、三人(正確には一人と二匹)になると、途端にそっぽを向いた。あろうことか、カーペットの上でオシッコを漏らし、その周りをくるくる歩き回っている。
「お母さんとお父さんなら、すぐに片付けてくれるんだけどな〜。1年に1回しか帰らないのに、片付けられるのかな〜??」
挑戦的な瞳で、遠巻きに私を見てくるシロ。
犬ごときに舐められてたまるか、と私は床上のオシッコを拭き取った。雑巾を洗い、リビングへ戻ると、今度はシルバーがうんちをしていた。トイレではなく、フローリングに。
「残念だったね〜。お姉ちゃんだけじゃなくて、私のお世話もいるのよ〜」
普段、シルバーは鳴き声をあげない。そのくせ、この時だけは、キャンキャンと吠えてきた。
犬語の解読装置を発明してくれないかと本気で思った。
けれども、この試練を乗り越えると、彼女たちは今まで以上に、私に懐いてくるようになった。
「シルバーなんて、まったく人のお膝に乗ろうとしないのに。珍しいわね〜」
と母親が驚くほどだった。
冷静になり、二匹を観察すると、私は彼女たちがまったく異なる性格を持つことに気がついた。
両親は、姉であるシロは私の兄と、妹であるシルバーは妹である私と性格が似ているのだと言う。
最初は「まさか、犬にそこまでの違いがあるはずない」と笑い飛ばしていたのだが、彼女たちと接する時間が増えるにつれて、私は両親の言葉を理解するようになった。
非常に不思議なことなのだが、私は犬を通じて、私という人間を客観的に捉える機会を得たのだ。
私は常々、変わり者だという印象を抱かれる。自分は自身を一般的だと思っているので、他人からの印象には若干の不服があった。
シルバーは、犬らしくない。変わっている。たぶん、彼女自身は自分のことを変わり者だと思っていないのだろうけれども。
例えば、シルバーはお腹を撫でられるのを嫌がる。両親に対しても、よほどの時でない限り、お腹を見せない。シロはすぐに「お腹を撫でろ」と要求してくるのに。
その代わり、彼女は甘える手段として、高い場所での抱っこを好む。私や両親が立ち話をしていると、威嚇するような声を出すのだが、それは「高い場所からの景色を見せろ」の意味らしい。父親の身長は170センチ後半なのだが、怖気付くことなく父親の肩に顎を乗せて眠り出す。ちなみに、シロは高い所がとても苦手だ。
さらに、シロは自分でケージに戻ることができない。「もう遊びは終わり」と声をかけても、両親に抱っこされるまで待っている。
しかし、シルバーは自分からサッとケージに戻る。こちらの言うことを理解しているかのように。
「ブリーダーさんから引き取る時点で、全然、性格が違ったのよ。シロはね、車の中で寂しそうに吠え続けてて。それに比べて、シルバーは、引き取るなり寝ていたわ」
母親は良く、二匹を引き取った当日のことを話す。
確かに私が犬だったとしても、泣かずに寝ているだろうと、納得してしまう。
これは、私が変わっているからなのだろうか。
引き離されると泣くことが、普通の行動なのだろうか。
私はシルバーを見て、変わっているとは思う。
だが、犬らしくないシルバーのことが嫌いではない。彼女の独立独歩な性格が、私は好きだ。
たとえ、私とシルバーが普通でなくとも、自分が満足していればそれでいいのか。
膝の上で眠るシルバーを撫でるといつも私は、自分自身を思い返すのだった。