Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

絡まった糸をほどく(後編)

私大は合格発表が早い。推薦入試やAO入試の合格者も多いため、入学式の日には既にコミニュティが作られていた。
周囲の新入生が桜とともに写真に収まる中、入学式の10日前に入学が決まった私は、当然ながら独りぼっちであった。
「皆さま、ご入学おめでとうございます」
壇上では、白髪頭の学長が祝辞を述べている。
おめでたくないよと、私は心の中で毒づいた。
本当は、この大学に来るはずではなかったのに。この式に参加するなんて、私の人生の計画になかった。人生設計はまさに今、狂っている。
後悔は跳ね返る。壁にぶつけたボールが手元に戻るように。
どうして、努力が出来なかったのだろう。頑張れなかったのだろう。
お祝いの言葉は、右から左へ抜けていく。溢れる後悔が心の底に溜まったところで、堅く決意した。
大学院なんて遅い。善は急げ。もっと早くだ。
この大学には2年間で別れを告げる。絶対に、別の大学の卒業式に出席する。

編入学という制度のことは、以前から知っていた。
入学式の後、私は具体的な情報を集めた。TOEICが必要であることや小論文の試験があること。大学によっては面接もあることまで。
周りが新生活を始める軽やかな季節。私は浪人時代に努力しなかったツケを払うために、図書館で勉強をすることにした。
目指すなら、今度こそ本気で難関大学へ行きたい。編入できる大学の中で、一番難しい大学を目指したい。だから、京都大学を目指そう。
編入試験では絶対に失敗しない。
この大学を去るために、私は努力すると誓った。

ただ、編入を目指すにあたって、一つだけ問題がある。
それは、お金についてだ。学費や生活費、その他全て。
親は、私立大学の学費や入学金を既に支払っている。国立大学へ編入すれば、余分な費用がかさむこととなる。
我が家は裕福ではない。私大に進学できたのも、親がなけなしの老後費用を切り崩してくれたり、兄が奨学金を貰ってくれたお陰だ。
反対されそうな状況であった。
私は帰省した際に、おそるおそる、両親に尋ねた。
編入試験に挑戦してみようか、迷っているんだけど。
「いいんじゃないか?挑戦してみたら」
まず答えたのが父親であった。私は衝撃的だった。
今までの人生で、父親が私の進路に対して直接意見を述べたことはない。まして、母親よりも先に答えたことなどなかった。どちらかと言えば「自分は高卒で、大学のことはよく分からないから」というスタンスであった。それに、私大に合格した際も「偏差値はともかくとして、それ以外の面では、不合格だった国立大学よりも良い大学だと思うけどな」と母親に漏らしていたらしい。
そんな父親が、背中を押してくれるなんて。
「今の大学にいるより、良いじゃない。京大とか、阪大とか、神大とか」
母親は、関西の難関国立大学の名前をあげた。
二人の反応は、あっさりしたものだった。

反対されると思っていた親からの了承も取り付けた。これで、思う存分、編入試験の勉強に時間が割ける……はずであった。
しかし、我に返った。
自問自答する。
どうして私は、京都大学編入したいのだろう。
学びたいことがあるから?やりたいことがあるから?
いや、違う。
過去の自分を捨てたいからだ。努力を怠っていたというコンプレックスを克服したいからだ。関西私大卒ではなく国立大学卒の肩書きを手に入れた方が、将来的にも有利だからだ。
理由を並び立てた私は気がついた。
本来、大学は学びたいことがあるから進学する場所のはずである。
今の理由では、演劇をやりたくて大学受験にのぞんでいた高校時代と何も変わっていないではないか。

仮に、運良く京都大学編入できたとしても、その後の私はどうしたいのだろう。
官僚になりたいのか?
弁護士になりたいのか?
外資系コンサルに入りたいのか?
全て、今の大学にいても、努力次第で叶えられる。
もちろん、可能性は低い。限りなく。数万人の学生がいるのに、官僚になる人も、弁護士になる人も、外資系コンサルに入る人も、年間に数人ずつしかいない。
だが、いるのだ。毎年、その道に進んでいる人は。
この大学でトップを目指し、数人のうちの一人になればいい。
京都大学卒業後の自分を思い描こうとした時、私には一つのイメージも浮かばなかった。
やりたいことも、就きたい職業も。何もかも。
京大だからこそできることは、一つもなかった。

私が編入したい理由。
それは、学歴コンプレックスだと言い換えられる。
このまま編入試験に挑戦すれば、学歴コンプレックスから抜け出せるのか?
……そんなはずはない。
編入試験が上手くいったとしても、大学受験で第一志望校に不合格であった事実は変わらないのだ。
むしろ、後悔を助長してしまう可能性だってある。

学歴を変えるためだけに、編入試験に挑戦すべきではない。

それならば、踏み出すべき一歩は、編入試験ではない。
この場所で、今の大学で、最大限の努力をしていくことだ。
この大学を卒業した後に、私はどうなりたいのか。
学歴や受験の失敗に囚われて編入を目指すよりも、学歴以外の価値観を身につけることの方が、よほど重要だ。
私はなりたい自分を描けていないのだから。

この大学で精一杯頑張る。置かれた場所で努力をすることが、一番必要なことだ。
決心したその日から、編入試験の勉強をやめた。

現在、私の周囲にはたくさんの難関国立大学卒業生がいる。
彼らは自信に溢れている。一見、コンプレックスなんて抱いていないようにも見える。私とは違う。
頭の中で、受験生の時にかけられた言葉がこだまする。
「そんなに勉強から逃げたいのか」
どうだったのだろう。
当時は、舞台に立つことを本気で夢見ていた。苦手なことから逃げ出したいという気持ちより、夢を叶えることが彩やかな人生を歩める方法だと信じていたのだ。
「ワンランク下の高校に入って、トップを目指す方が向いていたのかもしれない」
どうだったのだろう。
高校時代の担任が告げたように、別の高校へ入学していれば、私は東大卒や京大卒の肩書きを得ていたのだろうか。
難関国立大学卒の私の人生は、今よりも輝いていたのだろうか。幸せだったのだろうか。
私には分からない。

全て、分からないこと。だって、今の私の人生ではないのだから。
つまり、考えるだけ無駄なのだ。
私ではない私。異なった私の人生など。

学歴コンプを乗り越える方法。

それは、絡まった糸を解く行為と似ているように思う。

正直、今でも、気の緩んだ瞬間に、劣等感に苛まれることや後悔の念が湧いてしまうことがある。
大学院の留学先を検討する際、プログラムよりも世界大学ランキングを重要視する自分に気がついてしまうこともある。

そんな時、息を吐く。十秒間、ゆっくりと。心を落ち着かせてから、今の自分を逆算する。
今の私がこの職場を選んだのは、大学時代の経験があったからだ。
大学時代の経験を得られたのは、私大に入学したからだ。
私大に入学したのは、第一志望の大学に不合格だったからだ。
「あなたと出会えて良かった」と口にしてくれる友達に出会えたのも、「あなたの今後をずっとずっと応援している」と今でも連絡を下さる方と出会えたのも、全ては十八歳の私が出発点だ。

細い糸を辿ると、過去の失敗に行きつく。

あの場所にいなければ、手に入れられなかった人生と幸せは、確かに私の掌にある。

私は、今の自分に一片の後悔もない。

春だ。新しい季節だ。
いつか糸を解く必要がなくなるくらい、努力を重ねていきたい。