Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

自分が自分であるために

少しずつ、コロナ前の生活が戻ってきている。氷像のてっぺんが丸くなっていくように、冬は終わりを告げ始めているのかもしれない。

 

時間が動き出す。それと同時に、私はいくつもの岐路に立っていることに気がついた。

 

私の会社には社費留学制度がある。自分の内定時からの目標は、入社5年目の夏から留学へ行くことだった。そのために、残業100時間近い部署に配属されても、信州に回されても、時代錯誤な職場環境にも耐えてきた。

疲労からかテストの前日に嘔吐して約25,000円の受験料をドブに捨てたこともあったが、例年の内定者よりは頑張って準備してきた。先輩からも「現時点でその程度取れてるなら、もう勝ち確定。逆に何を悩んでるんだ」と言われたが、コツコツと細々と勉強を続けてきた。

 

だが、内定をもらえなかった。

 

現在留学中の先輩が内定をもらった時よりも、良い点数が取れていた。今年、内定をもらった先輩よりも取れていた。

 

もしかしたら人事は「信州から引っ越したばかりで大変だろうし、年齢的に来年もチャンスがあるから」と前向きに考えて、私に内定を出さなかったのかもしれない。

しかし、孤独な信州生活を送ってきた自分には堪えた。精神的に辛いことがあっても、ずっと英語を勉強してきたのに、その結果がこれか。あと3年後には海外で生活できるからと言い聞かせてきたのに。

精神的支柱が、音を立てて崩れていく。

 

私は大学受験にも失敗しているので、これが初めての失敗というわけではない。

(友人からは「失敗」という言葉を使うのは誤りではないかと指摘されたが、私の人生プランが狂ったことに違いはないので、ここでは「失敗」と言わせてほしい。)

1年間の浪人生活をしたからこそ、自分という人間のことを良く理解しているのだ。私は一度の失敗で全てのやる気を失う人間であると。

だからこそ私は、一度のチャンスに賭ける。一度で成功できるよう努力をする。人生は短いので、一度で上手くいかないものに何度も時間を割くのは無断だと思うからだ。かなり偏っている上、異論反論が殺到しそうだが、私はやり直しに時間を使うよりも、自分に向いているかもしれない可能性に時間を使う方が有意義だと考える。

 

人は、自分の目標がかなわなかった時に、どのような行動をとるのだろう。

「全然、失敗じゃないし、何度も挑戦していこうよ。1年間留学が遅れるくらい、人生の中でどうってことないよ」

私の話を聞いた大学時代の友人の言葉は、正論だ。28歳で留学に行こうが、29歳で留学に行こうが、些細なことである。

「行けないことが決まって、今は自暴自棄になってるだけだよ。また落ち着いたら、挑戦しようと思えるよ」

知り合って数年以上が経つ友人は、私のことを良く分かっている。正しい。それなのに、私はまったく「来年も社費留学に応募しよう」という思いが湧いてこない。むしろ、この結果になるならば、あんなに英語にお金と時間をかけなければ良かったという後悔の念が渦巻いていた。

 

私が英語に費やしたお金と時間は膨大だ。

読書や文章を書くことなど、自分が好きなことを諦めてきた。もう少し私が器用な人間ならば、勉強と趣味と仕事の両立を図れるのだろうが、私にはそれができない。読書をしても「こんな無駄なことをする前に勉強をしないと。本はいつでも読める」という罪悪感が湧き、心の底から楽しめない。

よく「努力が報われてなくても自分の中には何かが残る」という人がいるが、今の私は「報われなかった場合は自分の手元に残るものよりも、失うものの方が大きい」状態なのである。

 

しかし、留学をするのが昔からの夢だったのも事実だ。負けているのにも関わらず競馬に金をつぎ込む人と、基本的な思考回路は同じなのだろう。

精神的には諦めたい。これ以上はメンタルが持たないと分かっている。だが、諦められない。次なら上手くいくかもしれない。

自分の目標が留学だけならば、来年も挑戦しているかもしれない。

逡巡するのは、私には留学以外の人生の目標があるからだ。

それは、転職することである。

 

「ヨシナリは何のために海外に行きたいの?修士を取りたいの?ただ海外で生活をしたいだけなの?」

友人からの質問に答えるならば「海外での生活もしてみたいし、修士も取りたい」だ。

「日本の大学で修士を取って、海外勤務のある会社に転職したらダメなの?」

もしかしたら、それが最適解なのかもしれない。社会人入学もできるし、留学をするよりも金銭的負担が軽い。

 

だが、私がこの職場で耐えることができればという期待が湧いてしまう。自分が耐えればいいだけなのだ。留学へ行くために、あと2年半だけ。

そうすれば、悩むことなく海外で修士号を取得するという目標を達成することができる。

 

私が今「普通の」職場にいれば、2年半の我慢など大したことかもしれない。もちろん、再挑戦が嫌いという自分の信条には反するが。

なぜ、たった1年間を重く捉えるのか。友人の助言を素直に受け取れないのか。

それは、職場環境がブラックだからである。

 

先輩が辞めて、同期が辞めて、先輩が休職しているような環境に2年半も居続けることは、果たして自分のためになるのだろうか。

本当は、考える暇もなく、転職活動を始めなければならないのではないかという疑問が頭をよぎる。

2年半は体感的に長いのだ。

 

そんなわけで、最近、家の中でぼーっとする時間が増えた。

なんのやる気も湧かない。映画を見ても、転職先を探すためにアプリを開いてしまう。英語の勉強をしてもうわの空。結局、InstagramTwitterを交互に開き、時間だけが過ぎていく。

 

自分の人生、どこで狂ったんだろうと思う。

就職時点?高校で浪人したこと?それとも中学受験をしてしまったこと?……考えると、産まれたことが間違いだった気がしてくる。

たかだか留学に行けなかったくらいで大袈裟だと言われそうだけど。

 

私は私であり続けるために、どうしたらいいのだろうか。

25歳にもなって、15歳のような悩みを持ち続ける自分も馬鹿らしい。その馬鹿らしさを自覚しているので、さらに落ち込む。

 

もうすぐ2021年が終わる。

私の想定していなかった未来は、すぐ側まで来ている。

このまま、ずっと家にいて、布団の中で暮らせれば幸せなのに。

 

去年も暗いことを書いているが、今年も輪をかけて暗い気持ちで1年を締めくくってしまった。私も一度くらいは明るい気持ちで年越しをしてみたい。

来年の目標は、明るい気持ちで年越しをすることにしてみようと思う。