Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

Where is my stage?

春の匂いが染み込んだ夜は、少しだけ冷え込み、そしてきらめいていた。

「ヨシナリのことが大好きやから、他の誰よりも、ヨシナリの幸せを願ってるねん。ずっと、ずっと応援してる」

京都の四条河原町で、私と友人は抱き合って別れた。毎日のように話していた友人だった。優しくて、強くて、面白くて、いつも私の味方でいてくれていた。上京する私と、大阪で働く彼女は、気軽に会うことができなくなる。大学卒業から数年経っても交友が続くことは少ないとは、周囲の人の話から耳にしていた。だからこそ、卒業式翌日の夜は不安だったのだ。もう二度と彼女と会えなかったらどうしようと。

「私も大好きやで! また、絶対に会おうね。関西に来たら、絶対に連絡する。いつまでも変わらんでいてな」

「うん、いつでも連絡して。飛んでいくから」

別れを惜しみながら、私達は別方向へつま先を向けた。振り返ると、目が合った。また大きく笑いあう。これが、本当の最後。手を振る彼女の傍を、四つ葉のクローバー号が走り去っていった。見つけたら幸福を呼ぶと言われている京都では有名なタクシーだ。

願わくば、彼女の夢が叶いますように。彼女の笑顔と幸福のタクシーのツーショットを心の中に収めた。

 

大学卒業から三年半以上が過ぎた現在、彼女から連絡が来た。

自分の初舞台が大阪で開かれるから、ぜひ観に来てほしいという内容だった。

「ほんまは、役者になりたいねんな」

公務員試験の勉強をしながらも、彼女はそう呟いていた。その後、彼女は公務員ではなく民間就活を開始し、内定獲得後から自分の貯金で養成所へ通いだした。

夢を叶えたのだ。私の友人は。

「ぜひぜひ、観に来てほしい!コメディやから、観やすいと思う!」

「お誘いありがとう!絶対に行く!」

彼女がどれだけ苦労してきたのかを、知っている。彼女の努力を考えると、胸が熱くなった。行かない選択肢なんてない。

友人が夢を掴んだ嬉しさとともに、心の中で後悔の種が芽吹くことを自覚した。

 

私も、何かが違えば、役者になるという夢を叶えられたのだろうか。

 

自分でない私に憧れたのは、中学生の頃だ。

学校の体育館。小さなステージ。有志が集まって上演された拙い劇を、私は体操座りのまま見上げていた。

私の世界は、客席じゃない。向こう側にある。

主役を演じていたのは、「上手い」と評判の女の子だった。幼い頃から声楽を習い、将来は舞台女優を目指しているという。私には、彼女の声も、劇の内容も頭の中に入ってこなかった。ただ、舞台に立つ自分の姿だけが、心の奥で踊り出していた。

自分だったら。

やったこともないくせに、私は夢を膨らませる。根拠のない自信とともに。

私なら、ここにいる誰よりも、うまく演じられる。

 

翌年、私は演劇プロジェクトに参加し、舞台女優を目指している女の子と、オーディションで競った。 

誰もが舞台女優志望の彼女で主役が確定していると思っていたところに、目立たない女子生徒による突然の立候補。当たって砕けろだよ、と周囲からは驚きと冷やかしの混ざった目を向けられた。

「まさか、プロを目指そうとしているあの子に挑もうとしてるの?絶対負けるのに?」

皆が驚くのも無理はない。誰からも期待されていないとは知っていたので、オーディションでは足が震えていた。

半年後、街の片隅の体育館で、私が主演する初舞台の幕が上がることになった。

 

高校生になった私は、迷わず演劇部に入った。廃部寸前の弱小演劇部。地区大会ですら、10年以上も入賞できていない。先輩もおらず、私の仕事はどこかの青春アニメのごとく、組織を立て直すことから始まった。一年生にも関わらず部長になり、手当たり次第に出身中学の同じだった友人に声をかけた。

当時は、演劇に一生を賭けると誓っていた。演劇こそが全てだった。

「お前、どういうことだ」

夏休み前だったと思う。中間テストと期末テストの結果を踏まえた面談の際、私の進路希望票を手にした担任は、ため息をついた。

私の通っていた高校では、一年生の時から進路希望票の提出を課せられていた。初回の調査では東京大学を志望校にしなければならない……そんな暗黙のルールを突き破り、わら半紙に書きこんだのは、東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科だった。

「どういうことと言われても。演劇をするために、芸大に行きたいんです」

「そんなに勉強から逃げたいのか」

「勉強より演劇の方が得意だし、好きだからです」

反論しながら、私も心の深い部分に黒々とした空気をため込む。

第一、入学当初に担任自身が言ったのだ。

今の成績だと、地元の国立大学は難しいし、近隣の国立大学もギリギリだ、と。

それなのに、勉強以外の道を志望すると怒られる。理解不能だった。

「演劇やりたいなら、文学部に行けばいいだろう。文学部へ行ったら、演劇の研究もできる」

この成績では文学部も無理なんだろ?と毒づきながら、私はまたもや言い返す。

「私がやりたいのは、演劇の歴史とか、学問的な視点じゃないんです。もっと本格的に演劇自体を学びたいんです」

「演劇サークルに入れば良いだろ、そんなの」

「趣味でやるんじゃなくて、プロになるために、誰かに教わりたいんです」

平行線のまま、面談は終わった。

 

私の成績と進路希望票を見て否定的な反応を示したのは、教師だけではない。言わずもがな、両親だ。

「なんで、芸大なのよ。何のために、こんな遠い高校行かせたと思ってるのよ」

公立高校だから授業料はかかっていない。さらに言えば、私は別の高校に行きたかったのだから「行かせた」ではなく「行かされた」が正しい表現だ。

そんな積もった不満が顔に表れていたからか

「授業料かかってなくても交通費かかってるし、あなたが行きたいって言ったから行かせた」

と追撃された。言い返すと面倒くさいので、私は黙っておく。

「芸大なんて行かせないから。地元の大学より偏差値高いところじゃないと、下宿もさせないから。私立大学もダメだから」

「そんなこと言われても、困るわ。じゃあ私、大学行かない」

「なんで、そうやってすぐ諦めるのよ!なんでお兄ちゃんみたいに、東大とか京大目指すくらい勉強頑張らないのよ!」

逆に、なぜ全ての人間が勉強を頑張る必要があるのだろうか。人間には得手不得手や好き嫌いがあるのだから、一つのことに固執することは間違っているはずだ。

「よりによって、演劇なんて。ああいう世界はね、ろくな人間いないんだから!」

断定的かつヒステリックに怒鳴られたが、両親は芸能関係者ではない。

「絶対に演劇のために大学なんて行かせません!一銭も出しませんっ」

「いいよ、奨学金借りるから」

「なにバカなこと言ってるのよ!奨学金借りさせずに大学進学させるために、どれだけ親が苦労してるか知ってるの!?」

もはや話し合いでもなく、私は一方的に叱られた。

自分のやりたいことを考えなさい。自分で決めた道を進みなさいと、大人はアドバイスをする。しかし、金銭的な問題がある限り、子どもには自分の道を選びきることは不可能なのだ。

だから、役者を目指す人生を捨てることにした。取り敢えず関東の大学を志望してみたものの、根本に抱えた「私が行きたいのは、この大学ではない」という思いをかき消すことができず、勉強には身が入らずじまいだった。

 

大学入学後も、演劇サークルへ入ることを検討した。だが、私立大学へ進学してしまったので、生活費を稼ぐためにアルバイトをしなければならず、時間と費用がかさむ演劇に打ち込むという選択肢はなかった。

大学時代にも友人から宝塚歌劇団劇団四季などの鑑賞に誘われた。だが、私は断った。観たいという感情が湧かなかった。

だって、舞台を見ると嫌でも思い出すのだ。

眩しいライトを浴びながら、別人に変身した「自分」が箱庭の世界を動き回り、声を響かせるひとときを。その幸福な空間と時間を、手放したことを。今の自分が、なりたかった自分ではないことを。

こんなはずではなかった、こんなはずでは。私だって、舞台に立ち続けたいのに。条件さえ整えば、立ち続けられたはずなのに。

すり抜けていった夢の残像を散っている舞台には、興味がなかった。

負の気持ちに支配された私は、舞台を観に行くことが一切できなかったのだ。

 

友人の初舞台は、大阪市内の小劇場だった。客席が温まりやすい広さだ。ここで言う「温まりやすい」は実際の温度ではなく、空気感のことである。主観だが、コメディーの場合は特に、客席の温度感は重要だ。冷えた客席だと、役者側の緊張感が高まってしまう。

舞台での友人はいきいきとしていた。そして、とても上手だった。私の知っていた彼女は、プロになったのだ。神様たるお客様を満足させる一流の役者だ。

幕が下りた時、観客である自分に満足していることに気がついた。今の私は、舞台に立ちたいという気持ちがなくなっている。大学時代まで抱いていた、役者への未練がなくなっていたのだ。

その理由は、友人の舞台を鑑賞して分かった。

役者になりたかった自分は、観客を楽しませるために、役者になりたかったわけではなかったのだ。自分のコンプレックスを直視しないため、別人になりたかっただけなのだ。

自分のことは好きではない。昔からずっと。高校受験の際、願書に記載する長所が思い浮かばず、途方に暮れていた。短所はいくらでも思い浮かぶのに。

別人になりたかったのだ。もっと頭が良くて、可愛くて、性格が良くて、運動もできて裕福な生活ができて、卑屈にならなくて、コミュニケーション能力の高い女の子にだってなれた。舞台の上ならば。私は別人になれた。別人の人生を歩むことができた。自分の嫌いな自分のことを考えないですんだ。

だから私は、演劇が好きで、役者になりたかった。

 

最近も「自分の人生が上手くいかないのは可愛くないからだ。可愛くないと誰からも愛されないのだ」という思いに駆られ、韓国での整形を検討したり、諦めたりしている。こういうことを考える自分自身も嫌で、たびたび落ち込んでいる。

それでも、舞台を観に行けるようになったことで、ちょっとだけ自信を持てた。過去のしこりを乗り越えられるくらいには、精神的に成長できたのかもしれないと、胸を小さく張ってみたり。

最近、業務上の都合で、内閣総理大臣がいらっしゃる場所へ行った。ふと、小学生の頃に、「私もここを歩く人になってみたい。ここを歩くためには、どうしたらいいんだろう」と夢心地で新聞の写真を見つめていたことを思い出した。その場所に立てていることに、我ながら驚いた。

私の夢は役者になることだけではなかった。今も、ささやかな夢を叶えている最中だ。別人になりきらなくとも、私はきっと生きていける。