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チーズと私とマッチングアプリ② - Weekly Yoshinari
ついにヨシナリがマッチングアプリを始める編!
まだ誰とも出会いません、ごめんね。
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このグローバル社会、出会いが欲しければいくらでも簡単に見つけられる。その方法の一つが、今では出会いの場として定着しつつあるマッチングアプリだ。
私がマッチングアプリを始めたきっかけは、かなり単純。夏の某日に2人の友人と遊んでいる時、深夜テンションで
「出会いないねんな〜。あ!!マッチングアプリ登録すればいいやん!」
と気がつき、ダウンロードしてみたのが始まりである。
「顔写真出すの怖くない?これ、皆本名でやるんやろうか」
「へぇー、自己紹介も書かなあかんねや」
カフェの一角で、友人は口々に感想を述べながら、私のスマホを覗き込んだ。
自己紹介の例文については、アプリ側が「マッチング率アップ!!」として紹介しているテンプレートをそのまま使ってみた。
「はじめまして。ヨシナリです!普段は都内で事務職として働いています。趣味は読書です。好みのタイプは優しい人です。まずは友達から、よろしくお願いします!」
確か、こんな文面だったかと思うが、読んだ途端に友達は2人して笑い出した。
「仕事内容、虚偽やろ。ここでいう事務職って、企業の一般職を言うやつじゃないん?」
「ヨシナリが、こんなこと言うイメージはない」
私もこの自己紹介を読み返しながら、自分らしくないよなぁと思ったが、最初から冒険する勇気はなかったので、無難にまとめておいた。
登録したそばから、来るわ来るわ「いいね!」のハートが。たまにメッセージ付きの「いいね!」も来る。メッセージ付きの「いいね!」とは、ただ「いいね!」のハートを相手に送るだけでなく、あわせて「自己紹介を読んで気になりました!ぜひお話したいです!」とか「僕も小説好きなんですよ。あと顔もタイプです!」とか自分をアピールする文章を送れるものである。アプリ運営者は、このメッセージ付きの「いいね!」を利用すれば、マッチング率がアップすると謳っている。
私は最初、「いいね!」を送ってくれた相手を片っ端から承認していた。何となく、課金してハートを送ってくれたのに無下にするのが申し訳なかったからだ。だが、先がないのに承認することは課金した相手のためにもならないと考え直し、それからは一応相手のプロフィールを読んでから承認するようになった。フィーリングで選ぶという手抜きさは、私の中には存在しない。この生真面目さからして、自分にマッチングアプリが向いていないのは明らかだ。
「マッチングアプリ始めるなら、金曜か土曜がおすすめ。ログイン率が高いから、良い人が見つかりやすい。アプリを登録開始した時に、ボーナスポイントみたいなのが貰えるんだけど、それも人が多い方が使いやすいと思うから」
というのが、アプリ成功者でもある幼なじみからのアドバイスだった。この言葉に従って土曜日にアプリを始めたものの、私は自分から「いいね!」を送ることができず、常に受け身の姿勢だった。ここでも遺憾なく発揮される私のコミュ障。
だが、受け身でいても、一応若い女性なので「いいね!」を集めることができた。
私が相手からの「いいね!」を承認すると、メッセージを送り合うことができる。メッセージ自体はLINEみたいなものだ。この段階において「外見がタイプだったんです」系の方は削除することにした。私は特段、外見が優れているわけではないのでお世辞感満載だし、出会ってもない人間の外見を評価する人とは価値観が違うと思ったからだ。
同時並行でやり取りすること、その数30人ほど。
「読書好きなんですね!何の本が好きなんですか?」
「お仕事普段、何されてるんですか?忙しいですか?」
「美術館行くのも好きなんですね。どの時代の絵画が好きなんですか?」
等々、大体は相手が質問を送ってくれて、私が返答するという流れになっていた。皆から同じような質問が来るため、誰に何を答えたのかを覚えておくのが面倒だった。
さて、再三申し上げているが、私はモテない。
「マッチングアプリ使ったら、絶対に彼氏できるから!」
と周囲からは太鼓判を押されていたが、私のモテなさは際立っている。
例えば、こんな会話。
なぜ私は憲法九条と平和について語ることになっているのか。なぜなら相手から聞かれたから。どうして、こんな話題になったかについては、覚えていないけれども。
いずれにせよ、初対面の人と避けるべき話題は政治と宗教だという通説を、見事に逆走する流れである。
このあまりのモテなさ具合かつコミュ障ぶりをTwitterで愚痴ったところ、私の男友達(モテる)からは、こんな助言をいただいた。
一歩引いた余裕感、とは……。ヨシナリパニックです。モテる男の言うことは理解ができません。
アプリの利点として、事前に自分好みの相手を選択できることがある。私の場合は、さすがに父親と同年代の方からの「いいね!」はお断りしたものの、全体的な年齢層は広い方だった。年齢よりも学歴と職業にこだわりたかったからだ。
これにも、いくつか理由がある。
まず、自分自身が大卒であるため、相手も大卒以上であって欲しいから。こういう話をすると
「そんなに他人の学歴が大事なのか!?学歴を評価軸にするなんて」
等々、お叱りを受けることもあるが、私自身も学歴と賢さが比例しないことを承知しているため、相手に学歴を求める理由は学歴至上主義によるものではない。自分自身、父親が高卒で母親が大卒という環境で育ったためだ。
私が自分の生い立ちを語るときに
「うちは父が高卒で、母が大卒なんですよ」
という話をすると
「逆なら良いけど、それは大変だっただろうね」
と同情と驚きの言葉をかけられることがある。
労いで終わるなら良いのだが、時には「お父さんが高卒だったんだから、ヨシナリさんも大学には行かずに働くんでしょ?」というような、親の学歴によって私自身の能力や希望を決められる発言をされて、悔しい思いをすることもあった。今考えると、私以上に、両親の方がやるせない出来事に遭遇した回数は多いだろう。
この令和の世の中に「女が高卒で、男が大卒の組み合わせならまだしも」や「やっぱり高卒じゃなくて、大卒じゃないと!」という考え方は古臭くてナンセンスとは思うが、現実的にはまだまだ根深い考え方なのも事実である。私は自分の子どもに、学歴の違いで諍う姿を見せたくはない。そして、学歴によって他人を判断する馬鹿な人からの圧力を受けてほしくない。
このように、学歴の違いが価値観の違いにも繋がるのだと幼い頃から間近で学んできたため、自分と異なる学歴の人を選ぶのは抵抗感があるのだ。
職業にこだわりたいのも、学歴と似たような理由である。私の仕事は、それなりの職業についている人でなければ仕事内容すら理解してくれない類のものだ。世間的にもブラックと言われている業種であるため、「ああ、忙しいもんね。週末は会えなくても仕方ないよ」というような仕事に対する理解が欲しい。「なんで、毎日LINEくれないの?今週も会えないの?先週も会えなかったのに。寂しいよ」と言われると、その時の精神状態にもよるが、かなり不機嫌にはなってしまうと思う。なんでって、忙しいからに決まってるだろう。そんな余裕がないことくらい、LINE送っていない部分から判断しろ……とか考えてしまう。
こういう可愛げのない部分がダメなのだとは自覚している。私自身が「会えなくて寂しいよ〜」とか思っても、相手に伝えるのは嫌いなので、他人にも自分と同じ価値観を求めてしまっているのだ。もっと寛大な心を持たなければとは思うのだが、日本昔話の悪いおじいさん並みにひねくれているので、いまだ直せずにいる。
逆に、一般的な女性と異なり、年収には強いこだわりを持たない。私が1000万円稼ぐ代わりに、専業主夫をやってほしいとさえ思う。ただ、有名企業で働く専業主夫志望者は少ないと思われるところ、職業で絞ると高年収の方が増えるので、この条件は現実的ではない。
さらに、外見についても、よほど相手が特徴的な外見をしていない限りは許容することにした。これもまた、私は外見に優れていないため、高望みすることはできないという身の程をわきまえてのことである。
このような、ユルユルすぎる条件の下、ダラダラとメッセージを送り合う日々が始まった。
受け身であっても、毎日やり取りをしていれば「今度会いませんか?」という流れになってしまうものだ。そして私は、見ず知らずの人からの誘いを断るのが苦手な方である。悪く言えば八方美人なのだ。
「今度一度、ご飯に行きませんか?」
「良いですね!!最近は仕事も落ち着いているので、大丈夫ですよ」
愛想を振りまいてしまう私。トントン拍子に決まる夜ご飯の日取り。
その場のノリで始めたはずなのに、流されるままに直接会うことになってしまった。この主体性のなさ。アプリには不向きである。
※
次回。
長かった前置きが終わり、ついにアプリ使用者と対面する編!