Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

ネズミの時間

一通のメールが届いた。本文には「おめでとうございます」とともに、クラッカーのイラストがあった。

今日が、この雑文を書き連ねて一年になる日だと知った。

 

Weeklyと名付けて見たものの、日々の煩雑さに翻弄され、まったく筆を進められないまま一年が経ってしまった。私にブログを進めてくれた同期や、私の馬鹿話にも付き合ってくださった先輩や、時に優しく時に厳しく指導してくださった(あれ、厳しく指導されたっけ?)上司とも離れ、信州で一人暮らしを始めることになるなんて、一年前には想像もしていなかった。

細々とでも雑文を散らかしているのは、書き続けることが私の原動力になると、心のどこかで信じていたいからだ。

一年前も、それなりに辛かった。私の悩みは、残業時間が長すぎることよりも、仕事ができないことに対するものだった。そして、自分にとっては、入社前に希望していた部署ではなかったということも。「私ではなくて他の同期が回されていたら、もっと上手く仕事をやったのかな」とか、「他の人だったら、こんなことに悩まずに仕事を進めているのかな」とか。それに加えて、私は何も学ばないまま一年間を終えてしまったことへの漠然とした不安感を抱え、前の部署を去ってしまった。

この反省から、異動先では多くのことを学ぼうと思っていたものの、今度は新たな悩みが浮上した。

仕事がない。

コロナ禍の影響もあるが、それにしても仕事がない。あまりに暇すぎて、上司に「もう自分の仕事が終わってやる仕事がない」と直談判しに行ったが、上司も扱いに困っているようで、私の仕事が増えることはなかった。

前の部署では、自分の無能さが辛かったが、今度の部署は人間関係から仕事内容まで、全てが辛い。一年後にストレステストの点数が上昇するなんて、思ってもいなかった。

 

私は性格的に、どこへ行っても悩みが尽きることがないのだと思う。「自分に限界を作るな!」と言えば聞こえはいいが、自分のネガティブさからは「限界を作ることができない」と評した方が正しいだろう。完璧になりたいのに、私はどれだけ頑張っても完璧になれない。

生き急ぎすぎ、と小学生の頃から言われている。

――もっとゆっくり生きればいいのに。本当に頑張り屋さんなのね。

――なんで、こんな簡単なこともできないの。なんで一番を取れないの。

どれだけ努力しても、私は親から求めれた子供になれず、完璧になれない劣等感を拗らせたまま大人になってしまった。

 

幸せってなんだろう。なんで生きているんだろう。

考えを巡らせるたびに、自分が一枚の紙のような薄い存在であるようにしか考えられず、さらに気持ちが重くなってしまう。無限のような時間が余計に、自分の精神を蝕む問を探し出してしまう。

私は人間なのに、ネズミのような時間を生きてしまっているのかもしれない。頻脈だし。関係ないか。

悩んだって、時間はめぐる。幸せを見つけられなくても、そもそも幸せの定義づけができなくても、私は毎日を精一杯に生きている。いつか「あの暇すぎる8時間勤務を返してほしい」なんて恋しくなる日が来るかもしれない。

そんな白紙の未来に書きたい内容をこねくり回して、まだまだ時間は続いていくのだ。どこへ行っても、大丈夫。書くことがある限り、私はどこでも生きていける。

一年おめでとう。

明日は仕事があることを祈りながら。