あ、これ、珍しいじゃん。
信州の小さな雑貨屋で、私は黒い筒状の箱を手に取った。片手に収まるサイズ感のくせに、妙な高級感がある。ポテトチップス、黒トリュフ味。メイド・イン・Dubai。
富豪の暮らす国はポテトチップスからもセレブリティを漂わせるらしい。確か、東京へ引っ越す3週間ほど前のことだった。私は黒トリュフよりも強い塩辛さを味わいながら、駅近マンションを物色していた。こんな呑気な生活も、もうすぐ終わりだな、なんてセンチメンタルに浸りながら。
それから3週間後。東京へと引っ越した私は、近くのスーパーで、カートに山積みされた黒い筒状ポテトチップス缶を見つけることになる。
しかも、大きい。両手で抱えるサイズ感。さらに、安い。私は損した気持ちになった。向こうではこれ以上ないほど珍しいと思っていたきらびやかな黒トリュフ味ポテトチップスが、ここでは7月のお買い得セール品だ。需要と供給の関係性のせいなのか。
損をした、損をしたと心の中で呟きながらも、私は大きな黒トリュフ味ポテトチップスをカゴに放り込む。
今晩のお供だ。
最近、私がどっぷり浸かっている海外ドラマは「The Man in The High Castle」である。第二次世界大戦でドイツと日本が勝利し、分割統治されたアメリカが舞台となっているのだが、これがとてつもなく面白い。レビューでは日本の扱いについて物議を醸している状況も見て取れるが、それも含めて軍事史好きの自分にとってはお気に入りドラマとなった。
まず、街の雰囲気がとても良い。物語の設定では、アメリカ東海岸をナチス、西海岸を日本が統治しているのだが、西海岸の街の雰囲気が映画「ブレード・ランナー」の雑多な歓楽街の雰囲気にそっくりなのだ。似せてきてるなあと思ったら、製作総指揮が「ブレード・ランナー」と同じリドリー・スコットだった。この映像美だけで一日中パソコンの前に座っていられる。
次に、アメリカ人から見た日本のイメージが興味深い。外務大臣は易が趣味だとか、街中で責任取って切腹するとか、あり得ないジャップ像がてんこ盛りである。女性は皆、揃いも揃って和服姿で、日本政府ビル内の大臣室は襖なのだが、そんな面倒な暮らしをするはずないだろう。制作陣に1930年代の日本文化との差異を指摘する人はいなかったのだろうか。統治機構も適当を極めており、なぜか憲兵隊警部が通商大臣と肩を並べる地位にあり、警部の上司は将軍である。
いやいや警部がそんな偉いわけないし。将軍ってどんな役職やねん。「ニホンノショーグン」てワード使いたかっただけやろ。
……などなど、ツッコミを入れながら眺めていると、とても楽しい。
黒トリュフ味ポテトチップスがボリボリ音をたてて飲み込まれていく。私は時間が過ぎないことを祈っていた。
月曜日なんて、来なければ良いのに。
その夜、私はまったく寝られなかった。眠りにつけない時用の約2時間分のポッドキャストを丸々聞いてしまった。睡眠時間、およそ3時間。私が高校生なら、寝不足マウントを取って勝てた。
幸か不幸か、私は毎年職場が変わる。
総合職採用者は、将来の組織マネジメントのため若いうちにたくさんの知識を吸収する必要性云々という理由らしい。1か月に一度はリクナビNEXTを開く私にとって、この組織の将来性など知ったことではないのだが、総合職を選んだのは過去の自分である。仕方がない。それに、15年後も今の会社にいる可能性だってゼロではない。
東京の職場は、地下鉄某駅近くにある貫禄のあるビルだった。信州の職場は、古びた小さな建物だった。さて今度はどうなるかと期待して向かうと、今までと一点、駅近の高層ビルだった。大きな窓から見える景色が格段に違う。電波塔は指で潰せそうなほど小さく見えて、青空が近い。
何だろう。この別世界へ来た感じ。一週間前までは信州の遥かな山々に見下ろされていたのに、今では私が見下ろす側になった。立場逆転。高笑いするムスカの気持ちである。
信州での初日との違いは、立地だけではない。知り合いがいることだ。
偶然だが、信州での直属の上司や先輩も同じ勤務地に転勤となった。
「全然違う部署ですけど、エレベーターで見かけたら、挨拶してくださいね」
と異動前に上司に挨拶をしたのだが、思いの外、異動初日に出くわした。正確には、出くわしたのではなく、上司が挨拶回りのために私の部署へやってきた。私は課内の末席だが、上司は課長補佐。私の所属する部署とは全く関係ない上、そもそも立場的に絡みがないのだが、上司は私を見つけて手を振ってくれた。
「なんだ、あの補佐。挨拶回りで手振るのか?」
「私が覚えていないだけで、実は自分の知り合いだったのかも」
上司が部屋から出ていった後、手を振られたのは自分かもしれないと思い込む周囲の先輩達がざわめいていた。初対面の末席ゆえ「私の前の部署の上司で、私に手を振っていたんですよ〜」と言い出せる気配ではなく、静かに笑いを噛み殺していた。
さらに信州の時の知り合いだけでなく、他の部署に同期がいる。
「お久しぶりです、ヨシナリです」
「え!!!久しぶりです!ここに転勤になったんだ!」
「そうなの!去年まで信州に飛ばされてたけど、今月から戻ってきた!」
「ずっと近くに同期いなかったから、やっと誰かに会えて嬉しい!」
2年ぶりの再会から約10分後、話題が転職に移っているところに闇を感じるが、それはそれとして。顔見知りの人がいるだけで、気持ちは楽だなと思った。
そんなこんなで、新生活が始まったが、残業さえなければ気持ちが軽い。
信州でもスタバを飲み
東京でもスタバを飲み
埼玉でもスタバを飲み
呑気に仕事とデブ活をしている。そして、指で数える程しか頼んだことがないので、いまだにフラペチーノの飲み方が分からず、長野駅で「フラペチーノ 飲み方」をGoogle先生に質問した。ダサい。
新しい街。これからよろしく。