Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

新天地

初めての土地での新生活が始まった。
私はメンタル弱者なので、東京を離れる前日の夜もビジネスホテルで泣いていた。深夜も寝られずに、涙が溢れ出していた。4時間睡眠の後、新幹線の駅のホームでも泣いていた。7月の4連休前に大宮駅で泣いているヤバそうな女を見た記憶があったら、それは私です。と言うか、こんなに泣いていて、よく一人で生きてこられたな。最近、HSPという性格気質が話題だが、自分に当てはまるんじゃないかとか思ってしまう。ガサツなので、たぶん違うが。

メンタルよわよわネガティブ人間だが、いつまでも泣いているわけにもいかない。
鍵をもらって部屋に入ると、昨日まで暮らしていたお部屋とはまったく違う開放感溢れる空間が目に飛び込んできた。大きな窓、対面式キッチン。電気をつけなくても、ふんわりと日光が差し込んでくる。干したてのお布団にダイブしたい気持ちになった。
「わー、ひろーい、しんじられなーい、ほてるみたーい」
とお腹を押したら登録されている言葉をランダムで繰り出すクマのぬいぐるみのような反応をしつつ、お部屋の中をくるくるしていた。
どこに家具を置こうかとルンルンしたのも束の間、心配性なので、激しく落ち込みがやってきた。
「大量の段ボールどうやって処分しよう。段ボール回収日、月に一度やん」
「一年でまた引越しなのに、デスク購入しちゃった。勉強なんて、コタツとかでもできるし、引越しの邪魔。無駄だったのでは」
「こんな高級な空間に慣れちゃったら、次はどうすればいいんやろ。東京だと、このクオリティのお部屋に住めないのに」
「そもそも家賃ちゃんと払えるのか自分。生活していけるのか。取りあえず節約しなきゃ」
メンタル不安定人間、極まっている。
不安感に蝕まれると、全てが悪い方に転がっていくように思える。
小物を揃えるため、片道徒歩10分の100円ショップ等を一日で三往復した。雨の中、片手で持てる荷物は限られている。ビニール袋の持ち手が腕に食い込んで痛いし、雨のせいで足元はぐちゃぐちゃ。車がないため、まとめて購入することもできない。暗い道にある水たまりに、盛大に片足を突っ込んでしまった時には、「なんで私だけ、知り合いおらへん上に、政令指定都市じゃないねん。車運転できひん言うたやろ。絶対にこの会社辞めてやる」と本音が漏れてしまった。また泣けてきた。
購入したステンレス製の棚を組み立て、これまた購入してきたばかりの石鹸やらスポンジやらを並べて、浴室に設置してみる。良い感じの雰囲気になったのではと自画自賛し、一瞬、気持ちが明るくなった。けれども、すぐに憂鬱ゲージが上昇する。一年後の引越しの際に、棚を解体or処分する手間があることに気がついたためだ。「なんで私だけ毎年引越しやねん。例年どおり、北関東に回せばいいやろ。絶対にこの会社辞めてやる」と本日二度目のやめるやめる詐欺を宣言した。
小物を揃えながら、だだっ広い部屋で宣誓をしている時に、通販会社から電話が掛かってきた。GWにインターネットから注文した会社だったが、新型コロナの影響で会社が注文受付を停止していたらしく、私が引っ越す1週間前に発送連絡をしてきた。もういなくなる住所に発送されても困るので、メールで住所変更を送付したところ、3日後に承知した旨の連絡が来た。
承知した、と言っていたのに、電話連絡。悪い予感しかしない。
すみません、と相手は恐縮そうな声を出した。
「東京の住所ではなく新住所に発送してほしいとメール頂いていたのですが、もう既に数日前に、東京の方に送付してしまっておりました……」
「いや、もう私、いないんですが」
相手が関西弁なので、私まで(エセ)関西弁になる。
「不在だった場合は、こちらに返送されてきますかね」
質問されたが、それは客側である私が聞きたいことだ。
「それは私にも分かりませんが……どういう形態で送付されたんですか。郵便?宅配便?」
「郵便です」
「それでしたら、私がこれから転居届を出します。1週間後も手元に届いていなかった場合は、私から再度御連絡するということでどうでしょうか」
「え、助かります!ありがとうございます!」
私ではなく、先方が嬉しげな声で礼を言う。
「ありがとうございます。よろしくお願いします~」
「はい、よろしくお願いします。失礼します」
なぜ売主側のミスに私が解決策を提示しているのだろう。これも全て、一年間のブラック職場のせい……いや、おかげだ。トラブル対応への耐性がついたため、少々のことでは動じなくなった。ちょっとはメンタルが強くなったのかもしれない。初めてブラックな職場環境に感謝した。やめるやめる詐欺はまた白紙である。

今回の転勤は、形式上は異動ではなく出向である。と言っても、出向先は、グループ会社みたいなものだ。そうそう文化も違わないだろうと呑気に構えていた。泣いた後は、楽観的になるのだ。便利な性格である。
「向こう、そんな服装で勤務している人いないから!皆パンツスーツだから!」
前の部署にいた時、様々な人からピンクの花柄スカートに突っ込みを受けていたため、さすがに初日から着るわけにはいかないと、自分の中では落ち着いたコーデを考えた。トップスは、袖口にリボンが付いているし、二の腕部分の袖はレースで切り替えられているが、無難にホワイトを選んでおいた。通販にも「オフィススタイルにおすすめ」と紹介文があったし、許される範疇だろう。さらに、OL御用達・黒色のレースタイトスカート。ロングネックレスも大ぶりピアスも封印だ。髪は黒色に染め直し、ゴールドのインナーカラーも全て切って、胸まであったロングヘアから顎上のボブスタイルになった。きちんと感はあるだろうと、自分のオフィススタイルに及第点を出しておく。当然、採点は甘い。
さあ、皆様はどんな服装をしているのか。緊張しつつ、 職場に到着した。
「はじめまして……」
恐る恐る声をかけると、隣の女の子が笑ってくれた。パンツスーツだった。真っ直ぐ視線を投げると、隣の係の女の子と目が合った。パンツスーツだ。
誰も、スカートを履いていない。
明らかに私は、別組織から来た人間となっていた。まあ、実際、出向だから元々は別組織の所属なのだが。オフィスカジュアルの定義ってなんだっけと首をひねったが、服装に関しては他人の目を気にするタイプではないので、深く悩むのをやめた。

服装以外にも、今までの職場と多くの点が異なっていた。まず、電話があまり鳴らない。だから、職場全体が驚くほど静かだ。前の職場は、ひっきりなしに鳴り、常に誰かの話し声がしていたのに。そして、上司の電話を下っ端が取るというルールも存在しないらしい。
「上司がいない時に電話を取るとき、どこのボタンを押せばいいんですか?」
聞くと、隣の女の子は不思議そうな顔をした。
「え?そんなことしないよ?だって遠いじゃん」
「え?手元にある電話で取りますよね。代理応答っていうか」
「ごめん。やったことないから分からないわ」
本当に取らないで良いのかと不安になったが、確かに皆、上司の電話は放っていた。もしくは、上司の席に近い人が、鳴った電話から直接応答していた。私の今までやってきたことは何なのだろうと虚しくなった。
次に、メールが来ない。前の職場は、一日で200件以上のメールを受信し、立て続けに返信や転送をしていた。ここでは、一日に一通もない。えらい差だ。
今度の職場は、上司から「パリピへ、飲み会のお店のストックを共有します」なんて業務と関係性ゼロのメールも来ない。なんとなく悲しい。ついでに係内LINEグループもないらしく、同い年である隣の女の子も連絡先も知らない。同期や先輩にいつもダル絡みしていたので、なんとなく悲しい。仕事とプライベートが完全に分けられているようだ。
そして一番驚いたのは、定時で皆が帰っていくこと。残業100時間なんて概念は、存在しない。5時30分に帰宅した時「こんな職場が存在していいのか。やるべき仕事があるのではないのか」と、ワーカーホリックの禁断症状が現れてしまったほどだ。
「基本、定時で終わるから、めっちゃ楽だよ。本当に暇だと思う」
前の部署で、先輩や上司からしきりに「出向の楽さ」を語られていた。なるほど、確かに仕事の面では楽だ。夢の定時帰宅のお陰で。
けれども、自分の生活を比較すると、まったく睡眠時間が変わっていない。むしろ減っている。私は、眠い目をこすりながら出勤する毎日を送っているのだ。とどのつまり、まったく暇ではない。

「前の職場では、どういう仕事をしていたの?」
異動してすぐに、上司との勤務面談があった。彼自身も、出向者が部下になるのが初めてらしい。
「対外的な文書のチェックとか、メールの情報展開とかですかね……総務課だったので」
「つまり、今回の部署に関わるような業務はやっていなかったと」
「そうですね。まったく」
トラブルの対応能力しか身についていないが、ここでは役立ちそうにない。電話対応もほぼ必要ない場所だ。
「今回の業務で不安なことは……と言っても、全部不安なことだよなぁ、きっと」
「はい……。特に、業務で使う専門知識がないのが一番心配ですね」
今度の部署は簿記が必須である。先輩からは「簿記ができた方が良いけど、出来なくても何とかなる」と聞いていたが、知識ゼロで向かうのは怖かったので、簿記3級の参考書は目を通しておいた。正確な仕訳ができるわけではない。適当にかいつまんで読んだだけ、だ。
「なるほど。こちらでは定時に仕事が終わるけど、自由時間は何している?趣味とかは?」
「趣味は……アマプラで動画観るくらいですかね。あまり趣味なくて。後は、勉強しています。簿記とか、英語とか」
思いもよらなかったらしい回答に、上司は「べんきょう」と返した。勉強しないと追いつかなくて、と私は言い足した。
「こっちに知り合いはいるの?前の職場の先輩とか」
「誰もいないです」
「今まで信州に来たことも、ないんだよね」
これは、着任前の挨拶で伝えていたので、上司も知っていたことだった。私は肯定するために、頷く。
「車も持ってないんだっけ」
「持ってないです。ペーパーなので、運転もできないんです」
「車ないと、行動範囲狭まるもんなぁ。息抜きでどこか行くこともできないし。じゃあ、誰か相談相手とかはいる?親とかには、そんな逐一連絡したりしないだろうし……東京に彼氏がいるとか」
「彼氏と呼べる人はいないです」
「……そうか。精神的に大丈夫か?知り合いもいない場所で、気分転換もできないで、相談相手も近くにいないとなると」
たぶん、としか言えない。上司にまとめられると、病みそうな要素しかないが、ブラック勤務に一年間耐えたので、たぶん大丈夫じゃないかという憶測しかない。
「なんか、困ったことがあったら、すぐに私に言ってください。男性では分からないことがあれば、女性に頼むので」
早々に、上司からメンタルを心配される環境下にいるのだが、拍車をかけたのは、職場から渡された大量の課題である。必須知識をまとめたドリルや資料一式を渡され「読んできてもらえると助かる」と頼まれれば、ゼロ知識からの研修受講者は私しかいないので、やらざるを得ない。と言うか、「ドリル」という響きを24歳になって聞くとは思わなかった。
さらに、別の部署の方から告げられたことが
「簿記やってたんだっけ」
「今週中に3級の参考書が終わるくらいの知識しかないです」
「その状態のところ悪いんだけど、うちは毎月、簿記2級未取得者は取得に向けた模試をしているんだよ。ヨシナリさんにも受けてもらうから、2級の勉強を進めておいてくれないかな」
3級の仕訳も正確にできないレベルだぞ。大丈夫なのか。
試験日程をもらったところ、次回は8月26日だった。あと1か月もない。とりあえず、3日間で3級の参考書の例題を全て解き直し、すぐに2級に取り掛れるようにしよう。
かなり無茶ぶりな勉強計画を立てたが、雨の日と同様、悪いことは続くものなのだ。
出向元から、通信研修教材が届いた。出向で暇(なはず)だから、自己研鑽に励めということだろう。
ダンボールに入っていたのは、簿記1級のテキストだった。もう見たくもないが、これもやらなければ仕方がない。必須の研修だ。
まあ、2級の勉強が落ち着いた頃に、まとめてやっていこう。
まだ手をつけたくはない1級。さあ、どのくらいの分量だとスケジュール表を見たとき、愕然とした。運の尽きだった。
初回の添削提出日は、8月27日。
え?26日までに簿記2級をやらなければならないだけではなくて、27日までに1級の勉強もやらないといけないの?3級も完璧じゃないのに?それに、将来的に必要な英語も勉強しないといけないとか、私の一日って36時間だったっけ。
途方に暮れたが、放り捨てるわけにもいかず、泣く泣く購入したばかりのデスクに教材を並べた。

 

こうして私は、自己研鑽という在宅勤務により、睡眠時間が削られている。
そのうち暇になることを願って、部屋の電気を消した。
おやすみなさい。