Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

旅立ちの日に

小学生までは、こんな人間ではなかったのだ。いや、中学生くらいまでか。努力は嫌い。勉強も嫌い。塾の宿題はやって行かない。もしくは授業中に終えてしまい、家ではやらない。人生に対して計画を立てるような性分は、母の腹の中に忘れてきたような振舞いをしていた。

今でも思い出すのは、中学受験の時。何となく親に言われるがまま入塾したため、勉強へのやる気も成績も低空飛行だった。やる気スイッチはついていない。唯一、社会だけは参考書を読むのが好きだったため、上位の成績を修めていた。だが、嫌いな上に宿題も真面目にやっていなかった算数は、いつも偏差値30台だった。そのため、総合成績は偏差値50という感じ。合格には程遠いレベルであった。

けれども、小学生の私は謎の自信を持っていた。

一月一日から本気で勉強したら合格するでしょ。

試験は一月十二日。もっと焦れよと、当時の自分を殴りに行きたいのだが、小学生の自分はというと「大晦日までは本気出さないで、元旦から本気出そう」と呑気な誓いを立てた。

約束は守る。元旦からは勉強を始めた。ようやく過去問を解き始めた。ナメてる。過去問はとうに解き終えていなければならない時期だ。

これで不合格なら「ざまあみろ」と言ってやりたくなるのだが、私は問題を解き終わった瞬間から「絶対に自分は合格したな」という、これまた謎の自信を得た。

終了後、控室で待っていた親にもはっきりと口にした。

「どうだった?」

「うん。たぶん合格したと思う」

私が受験したのは、国語・算数・理科・社会・作文・面接と、科目数の多い中学校だった。

比較的得意な国語と社会は余裕だったし、大嫌いな算数と理科も解答欄は全て埋めた(注:解けたわけではない。)。

集団面接では「皆で協力した経験を話して下さい」と聞かれた。私は一番最後に指名された。本当は掃除当番の話をしようと考えたのだが、他の人に話題を取られた。被るのはヤバいと咄嗟に思い、班の皆で歴史新聞を作った話をさも苦労したかのように捻り出した。いつ作ったよ、歴史新聞なんて。

作文の課題はちょっと変わっていた。「妹と映画館の入口の先頭に並んでいる。まだ前の上映時の観客が出てきていないのに、別の列に並ぶ客は中へ入り始めてしまった。後ろの客からの圧を感じるし、妹からも急かされる。さあ、あなたはどうしますか」といった内容だ。たぶん、小学生的模範解答は「マナーは守らなければなりません。誰に言われても、前のお客さんが建物から出てくるのを待ちます」だと思う。けれども私は、当時から頭がおかしかった。「どちらの行動をとっても、誰かに迷惑をかけるので、自分だけでは判断できない。だいたい映画館の入場口には警備員みたいな人がいるはずなので、『入っていいですか』と聞けば解決すると思う」と書いた。勝手に自分で警備員設定を生み出すというフリーダム回答である。

結果的に、合格した。今でも、嘘八百を並べた面接とフリーダム作文のお陰だと思っている。私の試験中、父親は合格祈願ではなく安産祈願へ行ってしまったので、神頼みの効果もなかっただろうし。

そのため、合格したにも関わらず、家庭内は

「なんで、この人が合格するんだよ!何かの間違いだろ!今まで勉強してきた人が可哀想だろ!」

と自分が不合格になったわけではない兄が怒り出し、

「うるさい!合格したことに変わりはないんだから、お前はもう黙ってろ!」

と安産祈願へ行った父親が兄を叱るという奇妙な状況になっていた。

 


ともあれ、私はこの時の周囲の状況から「自分の合格は、運が良かっただけだ」と悟った。いつまでも運に頼っている訳にはいかない。高校受験は一年前から勉強をしようと決めた。

中学三年生からは、毎日一時間は勉強した。終わったら読書に励むのを楽しみにしていた。毎日、別の本を読んでいた。それからアニメを見て、漫画を読んで、小説を書いて、絵を描いていた。塾へ通っていなかったので、他の人の勉強量がどれほどのものか分からなかったのだ。だから、自分はめちゃくちゃ努力している人間だと思い込んでいた。

高校に合格した時、中学の合格発表日に怒り出した兄に向かって

「ほら!今回はちゃんと勉強したんだよ!」

と一年間で使用したルーズリーフの束を自慢した。ルーズリーフはちょうど百枚。

「嘘でしょ。百枚かよ」

私はてっきり、百枚も勉強していることに驚いたのかと思った。だが、全く違った。逆の意味で、彼は驚いていたのだ。兄は私を、自分の本棚の前に立たせた。

「僕は、高校受験のために、これだけ勉強した」

三十冊以上もあるノートで、本棚一段分が埋まっていた。

ああ、だから私は頭が悪いのかと、この時合点した。

 


中学受験のやる気スイッチはなかったが、私は昔から、面倒なことを後回しにするのが嫌いだった。通信講座も夏休みの宿題も、前半でサッと終わらせるタイプ。苦手なメンチカツを出されたら、サラダより先に食べ終えてしまうタイプ。真面目だったからではなく、早く自由時間が欲しかったからだった。

私がコツコツと勉強に取り組むようになったのは、高校生になってからだ。それは、不真面目な人間へ嫌悪感を覚えるようになったため、自らに嫌悪感を抱くような人間になりたくないという反動であった。予習をやらず、他人にノートを借りる人間が嫌だった。宿題をやらずに笑い合う人が嫌だった。

真面目でなければならないと思った。マストだった。

後回しにするのが嫌いな性格に、真面目さが加わると、恐ろしいことが起こった。

強迫観念に駆られ、全てのことに計画を立てなければ気がすまなくなり、計画どおりに物事が進まないと自暴自棄になるという、自己肯定感の低い完璧主義者になってしまったのだ。「あつまれ!どうぶつの森」が流行っているが、取り組む人に感心してしまう。私には無理だ。最初は楽しくても、いつからか義務化して「今日も村作りをしなければならない」とストレスを抱える自分が目に見える。ツムツムやスクフェスでさえ義務化してしまって、とても辛かったのに。

 


このような自分がキャリアパスひいては人生の計画を立てるのは、当然のことのように思える。

私の会社は、一年ごとに部署を異動する。また、配属ポストにも何となく予想をつけられる。二年目は地方勤務で、四年目は東京だろうという具合に。レールが敷かれているようで面白味がないかと思いきや、たまにゲームのバグのようなことが起こるので、内示の前は皆、どことなくそわそわしている。

自分の今年の予想は、政令指定都市への転勤だった。西日本出身なので、東日本のどこかだろう。例年の様子だと、名古屋か仙台が妥当なところか。東京勤務よりも時間ができるし、せっかくなら習い事でもしてみるかと、英会話スクールを探し始めるくらい確信を持っていた。

それなのに、だ。

「私の転勤先、信州なんですけど」

「信州?今まで誰もいないんじゃないの。珍しいね」

上司や先輩から、こぞって珍しがられる激レア勤務地を引いたのである。何人と同じ会話を繰り広げたことか分からない。

「良いところだよ。良かったじゃん」

「いや、でも田舎じゃないですか。私、車の運転できないから、車が必須な地域はやめてくれって人事に言ってたんですけど」

「車社会だから、それはやばいかも。仕事でも使うし。でも、まあ、何とかなるよ」

雪国のイメージしかない信州。林檎が美味しそうな街。旅行でも訪れたことない、ヨシナリ人生未踏の地である。

政令指定都市で暮らす計画は、呆気なく崩れ去った。降水確率二十パーセントの日、傘を持たずに出かけたら、帰り道に大雨で打たれたような気分だ。

さらに「土地勘ない所に行くし、社宅に住んで家賃は抑えよう」と節約を考えていたのだが、

「私に割り当てられた社宅、何かおかしいんですけど」

二人の先輩に見せると、こんなことあるのかと笑われた。

「3LDK!?広すぎるでしょ」

「これ、妻子持ちの人しか割り当てられない間取りでしょ。戸室は調整中とか書いてない?仮なんじゃないの?」

一緒に確認してもらったが、連絡表には確かに私の名前が書いてあるし、部屋番号まで指定されている。

64平米で、バルコニーは2か所あって、おまけにサンルーム付き。そして片道電車40分(田舎なので電車は一時間に2本)。こんなに部屋があって、何に使えと言うのだ。

「いいじゃん。一部屋シアタールーム作れば?」

と上司から勧められたが、そんな維持費はないため却下である。私は家にテレビも置いていないほどだ。

同期の配属地域を聞いて、落ち込まなかったと言えば嘘になる。自分以外の地方に回される人は全員、当初私が予想していたような政令指定都市だ。

「……私だけ左遷やな、これ」

「いえ、再来年は東京に戻ってくるはずなので、左遷とは言いません」

私より優秀な後輩から冷静に突っ込まれたが、都落ちの看板を持たされたのではと穿ってしまう。

私は不器用だし、失敗ばかりした一年間だったが、自分なりには頑張ってきたつもりだ。終わらない残業も耐えたし、時にやってくる無茶ぶりも、何とか乗り越えた。それなのに、自分だけが中核市に回されたのは「あなたは仕事ができないので都会には回せません」と語られているような気になった。完全に被害妄想だ。

いくら落ち込んでも、変更はできない。

私は仕方なく、物件探しを始めた。土地勘がまったくないので、取り敢えず徒歩通勤できそうなマンションをピックアップしていく。条件は、二階以上、バス・トイレ別、室内洗濯機置場くらいだ。

意外に引っかかったのは、徒歩通勤の部分だった。地方都市とは言え、駅前の県庁所在地であるため、どうしても高額になりやすい。欲を言えば、鉄筋コンクリートのマンションが希望だが、永住する訳ではないので、鉄骨造も視野に入れることにした。

すると、今まで暮らしたことのある関西や東京では想像もつかない価格帯で、部屋の広さも短い通勤時間も確保された部屋が検索画面に登場した。

今の住まいは、区内5万8000円という破格である。社会人一年目ということもあり、安さを重要視して選んだ家だったのだが、如何せん日当たりが悪い。この一年間、自宅で太陽光を浴びていない。吸血鬼やん。洗濯物も一向に乾かないし、家具にカビは生えるし、変な虫はいるしで、銀座の観光がてら私の住まいを覗きに来た母親からは

「あなた、よくこんな所で生活できるわね……」

とげっそりとした顔で呟かれたほどだ。さらには、会社の人から

「ヨシナリさんは、事故物件に住んでるらしいね」

と声をかけられた。ちょっと話が大きくなりすぎだが、あの部屋の暗さは事故物件と呼んでも差し支えないかもしれない。

その他にも、インターホンが鳴らなかったり、玄関扉には隙間があったりと、セキュリティ面にも不安が残るマンションだった。いきなりドアを強く叩かれた時は、息を潜めていたものだ。

私は検索画面に出てくる約6万円のマンションに目を輝かせた。

1LDK。徒歩通勤可能。バス・トイレは別。エアコン付。

リビングと自室を分けられるし、収納も広い。私には願ったり叶ったりだ。

私は、理想の一人暮らしを膨らませていく。雲のようにふわふわと。

今度の住まいには、きちんとデスクを置きたい。出勤前も退勤後も勉強をするために、ベッドとデスクは仕切りを作ろう。それから、本棚も必要だ。オシャレルームにしたいので、カバー付きのものが良い。可愛くないタイトルの大量の文庫本を隠すためにも。

部屋の間取りを考え出すと、段々と楽しくなってきた。気持ちはるんるん。心がジャンピング。地方都市だからこそ、広い部屋に暮らせる。もう、このまま一年間、引きこもりしても良いんじゃないのか。

部屋探しを嬉しげに会社の人に話していたからか、会社では「ヨシナリ田舎に行きたかった説」と「ヨシナリ東京に残りたかった説」の二説が噂されているようである。異動内示前に「ヨシナリ政令指定都市に行きたかった説」を広めておけば良かった……と思うが、私は見知らぬ土地で、広い部屋で読書に耽り、楽しく過ごすのだろうと思う。

「ヨシナリさん、信州の方に行くんだ」

「そうなんですよ。政令指定都市かと思ってたのに。遊ぶところなさそうだし、知り合いもいないから、絶対やることないですよね」

「大丈夫。日本酒が美味しいから」

別の部署の上司からの言葉が、リンゴよりもお寺よりも澄んだ空気よりも響いた。

読書しながら、日本酒を飲めるって最高やんけ。

結局、物件を見に行ったところ、家賃は78,000円ほどになってしまった。その代わり、築浅・オートロック付・独立洗面台付・浴室乾燥機付・職場まで徒歩5分・最寄りスーパーまで徒歩5分と、6万円のマンションには付いていなかった設備&条件が整っている。東京だと12万円を超えちゃうような物件だ。

「地方勤務って、手取りどのくらいなんですかね。家賃補助あるとはいえ、約8万円は高すぎますかね」

念の為、上司にLINEしてみた。良いマンションを選んだがゆえの生活苦は、まっぴらごめんだ。

「それくらいなら何とかなるんじゃない。お金なら、また東京戻った時に嫌でも貯まるよ」

「なるほど。家いる時多そうだし、快適な場所の方が良いですかね」

すると、職場から徒歩10分の2LDKマンションの検索結果が送られてきた。

「シアタールーム作ればいいじゃん!」

上司のシアタールームへのこだわりは何なんだ。自分がシアタールーム付きのお部屋に住みたいだけなのでは。

いや、良いけどね。シアタールーム。憧れるよね。だけど私は、日本酒片手に読書をする毎日で十分に幸せです。

理想の休日を送るべく、平日はお仕事を頑張っていきたい。