Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

Unpretty

自分はかなりの視力差がある。右目が0.5、左目が0.02くらいだったはずだ。右目は近視が弱いが乱視が強く、左目は近視が強いが乱視が弱い。ガチャ目の見本みたいな目である。さらに間欠性外斜視。疲れた時や体調が悪い時は視線が外れてしまい、無意識のうちに片目だけでものを見てしまう状態だ。

日常生活で視力的な観点からの支障はない。遠近感が掴めないため、階段を踏み外しそうになるくらいだ。あと、学生時代は自分の運動神経のなさも相まって、球技やバドミントンが苦手だった。それ以外では特段、困ったことがあったわけではないので、医者や親は

「眼鏡で困っていないなら、わざわざコンタクトにしなくても」

といった反応だった。チキンな私は目に異物を入れることを過剰に恐れていたため、眼鏡生活を受容した。眼鏡をかけるのも、勉強、読書やPCで作業をする時だけだ。そこまで不便でもなかった。学生の時までは。

社会人になり、一日中、PC作業をするようになった。資料作成やメール送付など、PCがなければ仕事ができない。深夜までキーボードを叩きながら、私は目を瞬いた。

あれ、瞼がぴくぴくする。

眼精疲労を経験した方なら分かると思うが、瞼の痙攣はわりと不快だ。さらに、片頭痛や、肩凝り、吐き気にも悩まされるようになった。

まあ、ただの眼精疲労だろう。

言い聞かせて、バファリンを摂取してしのいでいた。

私は病院嫌いである。いくら目が疲れても、PC作業からは逃れられないため、放っておくことにした。


次に、外見から目の話をする。

単刀直入に言う。自分の目が大嫌いだ。

一重まぶたであることに加え、左右で大きさが違う雌雄眼なのだ。写真で見ると、本当に性格悪そうな顔をしているなと、自分への嫌悪感で胸がムカムカしてくる。二重のりを使っていたこともあったが、瞼が腫れたので使用をやめた。親からは、

「そんな気にするほどの違いじゃないし、別に良いじゃない」

と軽く言われるのだが、私にとっては、夜中に泣きじゃくるほどのコンプレックスだ。一重であることよりも、左右で大きさが違うことの方が嫌だった。

そこまで悩んではいたものの、整形をする勇気はなかった。学生ゆえお金がなかったこと、周囲の視線を気にしていたこと、将来的なリスクが怖いこと、何よりコンタクトも避けるほどのチキンであること。避けたい理由の方が大きかったためだ。

考えが変化したのは、社会人になってからだ。

大きさの違いが、以前にもまして目につくようになった。時間が経つにつれて、左目のみ二重のようになるのだ。それも、パッチリと窪んで。右目は、気が緩むと他人から「片目だけ閉じてるのかと思った」と言われるほどの開き方しかしていないようなのに。マスカラをすると左のみ二重になり、大きさの違いが顕著に現れた。これではメイクで隠すこともできない。

自分の顔のアンバランスさが、どうしても耐えられなかった。人間は顔で決まらないと言い聞かせても、コンプレックスを克服できない。ガチャ目で雌雄眼とか、ハードモードすぎるだろう。私は前世で眼球を虐めたことでもあったのか。

悩んだ私は、ぼんやりと考え始めた。二重まぶたに整形すれば解決するのではないか。コンタクトを入れるのさえ逃げていた人間の思いつきである。ほんの軽い気持ちだった。


二重整形には、様々な種類がある。「プチ整形」と呼ばれている埋没法は、短時間で手術を終えることが可能であり、目の腫れも小さい。そして安価。糸の留め方にもよるが、10万円以下でできる。そんなにお金もかけたくないし、仕事を休むほどの暇もないため、メスを使う切開法ではなく、埋没法が妥当な所だろうと、私は美容外科のサイトを閲覧した。

左右で目の大きさを合わせるには。二重に整形するリスクは。どのくらい痛いのか。

疑問に思ったことをとことん調べていると、そのうち、あるページに目がとまった。

眼瞼下垂だ。

聞きなれない病気だが(保険適用の外科手術なので、病気と認められているが、美容整形の側面も大きいので、病気と言っていいのか迷う。)なんらかの原因で瞼を挙げる筋肉(眼瞼挙筋)の動きが上まぶたの縁に伝わらなくなり、上まぶたの開きが悪くなる、というものだ。これにより、肩こりや頭痛などの症状が引き起こされるらしい。先天性の場合は、片方のみに発症する例が多いため、左右で目の大きさの違いが現れることもあるという。放置すると、これらの不調のみならず、視界の狭まりや額のシワ等の症状も現れるとあった。

自分に症状が当てはまりすぎていた。

思い返すと、よく他人から

「そんなに眉間にシワ寄せてどうしたの?」

「またおでこにシワ寄せて!」

と笑われていた。別に自分は、眉間にシワを寄せているつもりはないのに。

眼瞼下垂はセルフチェックができる。眉を抑えたまま、目を開けられれば問題がない。試してみたところ、まったく目が開かなかった。特に右目が酷い。こんなに開かないなんて。糸目がやっとだった。それ以上開けようとすると、痛みで涙が溢れてきた。人間の身体はよくできている。瞼の筋肉を使えない代わりに、眉毛の筋肉を使って目の開閉をしているのだ。だから、目を開けるだけで眉間にシワが寄ってしまう。

さらに、左目には力を入れられるが、右目には力を入れられないことにも気がついた。全体的に、右目の筋力がないのだ。

私が眼精疲労だと放置していた症状は全て、眼瞼下垂のせいなのでは。

疑問を晴らすべく、私の調査は、二重整形手術から眼瞼下垂手術へとシフトした。


眼瞼下垂の一般的な手術は、二重整形よりもややこしいものだった。二重整形のように、糸を留めて終わりです、とはならない。皮膚を切って、筋肉を縫い合わせることになる。そのため、手術の過程で一重まぶたから二重まぶたへと変わることが多く、外見への影響が出やすい。軽度の眼瞼下垂ならば、医師の診断がなくとも美容形成外科で手術をしてもらえる。目の病気ではあるものの、眼科と美容形成外科の境目のような存在なのだ。

さらに、眼科と美容形成外科の違いは、手術費用にも反映されている。保険適用されれば5万円以下だが、自費診療ならば50万円になる。保険適用されるか否かは、医者の診断次第らしい。この点、自分の場合は、見た目・症状ともに顕著なため、保険適用になるとは思った。

ただし、保険適用の場合、二重幅のオーダーができない場合が多いという。あくまで、症状の緩和が目的だからだ。「手術はします。ただし、デザインについては医者に任せて下さい。ご希望には沿えません」というスタンスだ。症状の緩和且つデザイン性も気にするならば、美容形成外科へ行き、自費診療をするしかない。

これは困った。だって50万円だ。大金だ。そこまで払うなら、手術しなくて良くないか。確かに、片頭痛、瞼の痙攣、顎関節症、まぶしさ、肩こり等はあるが、今までも生きてこられたのだから、これからも生きていけるはずだ。だが、大学時代よりも、バファリン摂取量が増しているのは自覚している。働く限り、事務作業からは逃れられないのだから、症状を緩和するには手術しか方法がないことも分かっている。

となると、手術をした方が良いのだろう。けれども、5万円で手術をされて、雌雄眼が解消されないのも困る。元々の出発点は、身体の不調改善ではなく、見た目を変えることによる精神的安定を得ることだっただけに。それとも、保険適用されるのに、あえて50万円をかけるのか。もったいなくないか。芸能関係の仕事をしているわけでもないのに。だって50万円だ。大金だ。そこまで払うなら(以下略)。

くよくよ悩んでいたが、医者に相談するのが一番だという単純なことに気がついたため、私は大の苦手な病院へ行ってみることにした。


私が選んだのは、保険適用可の美容形成外科だ。車内広告も貼っている大手の有名美容形成外科とも迷ったが、そのような所は自費診療のみだった。美容面にも影響のある手術のため、セカンドオピニオンをする人も多いらしいが、保険適用且つ形成外科のカテゴリーに入る病院は多くなかったため、私は眼瞼下垂に力を入れている一院に絞ることにした。眼科へ行くことも検討したが、どのみち手術は形成外科で行うことを考慮し、選択肢からは外した。本来は目の病気であるため、この判断が正しかったのかは分からない。

「ああ、片目が特に開いてないですね」

私は普段、意識して目を開くようにしているのだが、診察室で向かいに座るなり、先生から指摘された。

「一重まぶたが大きな原因だと思うので、二重にするだけで変わるとは思いますよ」

プッシャーで抑えて、目を開けてくれと言われた。二重にするだけで、こんなに簡単に、目が開けられるのかと驚いた。今まで、どれだけ力をいれて、無駄な筋肉を使っていたのか思い知らされた。

「二重にすると、筋肉は動かせていますね。埋没式……糸で縫うだけの手術で良いかもしれませんね。希望されるなら切開法でも良いですが、切開は後からいくらでもできるので、まだ若いですし、縫うだけの手術にして様子見でも良いと思いますよ」

それから、症例写真を見せてもらい、埋没式と切開式それぞれのメリットとデメリットを述べられた。

「埋没の方が腫れる期間は短いですね」

「埋没だったら、次の日から仕事に行けますかね」

埋没式と聞いて、大手美容整形の広告にある「とにかく腫れません!当日からメイクもオッケー!次の日から仕事もオッケー!」の文言が思い浮かんだので尋ねたのだが、

「難しいでしょうね。最初の3日間に冷やさなければ、内出血と腫れが酷くなるので、できれば術後3日間はお休みしてください」

とあっさり有給取得を命じられた。

これは帰宅途中に調べたことだが、眼瞼下垂の埋没式の手術と二重整形の埋没法は、違うもののようだ。

「それから、3日後から仕事はできますが、長時間のパソコン作業は控えてください。目が充血してしまい、術後の内出血にも影響してしまいます」

残業約80時間の社畜はこくこく頷いた。

「手術って痛いですか」

「最初の麻酔だけ頑張ってください」

「……頑張ります」

親不知と虫歯の治療しかしたことがない。不安がつのる。

「どうされます?もう少し考えられますか。外見のこともありますし、まだ決心がつかないとかなら、後からお電話していただくということでも大丈夫ですよ」

少しだけ迷ったが、私は悩み出すと、消極的な判断をすることが多い。麻酔が痛いと聞いただけ、特に。

今すぐに決めるべきだ。

「手術します」

「分かりました。麻酔だけ頑張ってください」

頑張ります、と乾いた笑いで誤魔化すしかなかった。


メンタルが豆腐すぎるので、前日の残業中から腹痛と吐き気に襲われていたのだが、時間は待ってくれない。入試の朝と同じ気持ちで、私は病院へ向かった。当然のように、病院への最寄り駅でしばらく腹痛と吐き気に苦しんだ。

病院へ到着すると、すぐに手術が始まった。精神統一の時間もなかった。

まず、看護師から説明を受ける。主に手術後の注意事項だ。今日は顔を洗わないこと、一週間はメイクが出来ないことなどを言い渡された。

「やっぱり緊張してる?」

「そうですね。私、親不知くらいの経験しかないんですよ」

「そうよね。そんな手術なんてしないもんね。麻酔はチクッとするけど、その後はどうにでもなれ!て感じなので、大丈夫」

その後、先生が来て、二重幅の確認。確認と言っても、保険適用の手術なので、私の希望を伝えると言うよりも、目に印をつけるためのものだ。

手術台に横になると、私は心の中で「大丈夫、死ぬわけじゃないから。死ぬわけじゃない、死ぬわけじゃない、大丈夫」とお題目のように唱え続けた。

「じゃあ、顔の消毒しますねー」

明るい看護師の声が聞こえる。やっぱり頭の中は「死ぬわけじゃない」が占拠していた。消毒の後、先生が瞼に何か書き込んでいた。

「はい、麻酔打ちますー」

目薬をさされた後、消毒の時と同じくらい明るい看護師の声を合図に、麻酔を打たれた。片目につき、瞼の表側に3箇所と裏側もたぶん3箇所。インフルエンザの予防接種の方が痛いくらいだったので、我慢はできる。それよりも、麻酔がまだ効いていなかったのか、糸を筋肉に引っかけていると思われる時に痛みが走った。と言うか、まったく痛くないとか嘘だろ。普通に痛いわ。我慢できる程度だけど。

「痛いですか?」

「と言うより、怖いです」

「大丈夫ですよ」

手術中の先生との会話はこれだけだ。私は余計な話をされるのが好きではないので、放っておいて頂けたことが非常にありがたかった。

手術のライトがとても眩しくて、目がおかしくなりそうだった。「手のひらを太陽に」が頭の中で流れ出した。「大丈夫、死ぬわけじゃない」と「僕らはみんな生きている〜生きているから歌うんだ〜」が交互に繰り出すパラダイスな脳内。ちょっとでも目を開いてしまうと叫びそうだったので、瞼を閉じることに全神経をかけたが、これが術後の酷い内出血に繋がってしまったのかもしれない。

「じゃあ一度、手術台動かしますねー」

基本的に、手術中の説明をするのは看護師だけである。手術台に座る形になり、目を開いて二重幅を確認された。瞼の裏側から糸が垂れている感覚がとても気持ち悪かった。おまけに、手をすかせば真っ赤に流れるちしおに感動しそうな明るさにいたのだ。「世界ってこんなに暗かったのか」と別世界から帰還したような気分になった。

二重幅の確認が終わり、再び手術台を倒された。またもや明るい世界に舞い戻り、糸を留められて、私の手術は終わった。

「はい、終わりです。確認しましょうか」

看護師から鏡を渡された。整形漫画であるような「え!私の目が二重になってる!これが私の新しい顔なんだ!」という反応をしたかったのだが、めちゃくちゃ腫れていて、それどころではなかった。

「手術後なので腫れていますが、一週間ほどで落ち着きますので、安心してください」

珍しく先生が説明をされた。

私の痛みとの戦いは終わった。目の奥で何かがゴロゴロとしている。


4種類の錠剤と2種類の目薬と1種類の軟膏をもらい、私は腫れた目をかばいながら帰路へついた。電車でも、スマホをいじれない。画面を見る元気もなかった。

自分の部屋に入ると、すぐさま寝転び、保冷剤をタオルで包んでまぶたにのせた。

目が使えないので、何も出来ない。海外ドラマを日本語と英語の交互で流し、リスニング力の向上を図ってみたりしたが、飽きが来る。ラジオを流しても寝落ちする。洋楽を流し、口だけ動かしてみる。

TLCの『Unpretty』が再生された時、涙がこぼれた。

自分は、何のために顔を変えたのだろう。

もちろん病気だったから。筋肉が動かなかったのだから、仕方がない。

でも、もし病気ではなかったら?これが、ただの整形手術だったとしたら?自分の病気に気がついたのは、二重整形を調べ始めたからだった。病気でなくても、私は本当に整形をしていただろうか。

可愛いと、人生は得だ。人生が幸せかどうかは分からないが、得なことは多いだろう。皆、「人間は中身だ」と言いながらも、可愛い方が得であることは分かっている。だから、可愛さを求めて、メイクを頑張る。似合う色を探し出す。たくさんの人が、美容整形を考える。

私は手術をして、少なくとも夜中に泣きじゃくるほどのコンプレックスは解消できたはずだ。自力では上がらなかった瞼が上がるようになったし、左右で大きさも整った。

それなのに、夜中の2時に涙が頬をつたうのは、なぜだろう。これでは、何も、変わっていない。

就職の時もそうだった。絶対に行きたい企業があった。自分とは専門外の企業へ行くために、勉強を頑張った。無事に内定をもらった。すると今度は、どうして私は大学受験に失敗したのだろうという別の悩みが大きくなった。

何かを解決するたびに、また新しい問題が生まれていく。

まぶたなんて、歳をとったら誰でも垂れてくる。額と眉の筋肉を使えば開いていたのだから、メイクで誤魔化せたのではないか。わざわざ手術をしたのは、アンプリティから逃れたかっただけなのかもしれないと、自分の心の汚さを写真におさめられたような気持ちだった。

悩みを解決するためには、自分の心の持ちようを変えるしかない。ネガティブならポジティブに。暗いなら明るく。

自分の顔が少し変わっても、中身はちっとも変わらない。

最後に大事なのは、自分の中身なのだということも、私は同時に気がついた。

泣くと、ますますまぶたが腫れてしまう。私は涙をこぼさまいと、大丈夫だと言い聞かせる。

大丈夫。明日は、また、別の日。きっと、悩みは小さくなっている。

自分の良いところは、朝になると大抵の悩みを遠くに投げてしまえることだ。睡眠は最高の薬。

その夜に見た夢は、覚えていない。