Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

Come on, Vogue

お洒落のない人生は、つまらないと思います。

 

人生なんて、どんよりとしたものではないですか。晴れ間なんてほとんど見られない。小雨を避けて、ばしゃばしゃ水たまりを散らかしながら、駆けていくのです。

でもそんな時に、明るい白色の傘を差すと、ちょっとだけ気持ちが上向きませんか。この傘が使えるなら、雨の日も悪くはないかなって。傘の柄をくるくる回して、歩みを緩めることができるのです。すると、小さな書店を見つけたり、裏側の路地を発見したり、自分の前に新しい世界が現れます。

 

だから、私は、お洒落が必要だと思うのです。

人生を照らしてくれるから。

 

休みの日は大抵、家でミュージカル映画に泣いて、一日を終えるのですが、どうしても手袋が欲しくて、私は人混みへ繰り出すことにしました。

希望としては、黒色でフワフワのファーが手首を飾ってくれるもの。銀幕の女優が、セクシーで華やかなオリエンタル系の香水をワンプッシュしていそうなイメージ。革製ならなお良し。

という、かなり具体的なイメージを持って買物に望んだのですが、見つかりません。惹かれるものがない。妥協して、手にしたのは、アクリル100%の黒色手袋。甲の部分は、レースのリボンと小粒のパールビーズで飾られていました。ラビットファーは合格点ですが、イメージよりも装飾過多でした。

可愛いけどなぁ。これを買ってしまおうか、と悩みつつ、値札を見ると6000円でした。妥協購入にしてはちょっと高いので、やはり諦める方を選びました。

通勤時間は、ポケットに手を突っ込んで、寒さを凌ぐことになりそうです。

 

ファッションは好きなのですが、服を購入するのが苦手です。ショッピングモールで4000円くらいのワンピースを見つけると、「欲しい!」と思いますが、買いません。「え。4000円。高いわ、やめよう」となります。

この日もそうでした。手袋ではなく、くすんだピンクのベロア素材のスカートに目がいく。お値段は3000円。ビーズで襟元が飾られた白色ニットは2000円。ブラックフライデーセールのお陰か、圧倒的に安い。残業時間代に鑑みても、衝動買いは許される。

私は、ハンガーを掴むところまではできたのですが、レジに行くのではなく、帰宅することを選びました。

考えろ、私。収納スペース的に、置き場がないぞ!それに、合計5000円は高いぞ!食費、10回分だぞ!そのお金あれば、別のことができるぞ!(無趣味なので、別のことは思い浮かばない。)

そこまで未練タラタラなら買ってしまえば良いのに、と思われるかもしれません。しかし、一生物でもない服にお金をかけるのは、勿体ないと思ってしまうのです。

 

私はお洒落が好きです。必要だとも思っています。着る服に無頓着な人間にはなりたくないです。ちなみに、贅沢な人間なので、日本のファストファッションブランドで購入するのは好きではありません。

それなのに、なぜ5000円の手袋も、3000円のスカートも、2000円のニットも買えないのでしょうか。「大特価1900円!」すら躊躇するほどです。

大学生の頃は、苦学生だったので、安い服を選ぶしかありませんでしたが、今は収入があるので、惜しむ必要もないはずなのに。

ポケットに手を突っ込んで、マフラーに顎をうずめて、考えました。ガタンゴトンガタンゴトン。帰りの電車で、分かりました。

こだわりが、強すぎる。

 

私は服にお金をかけません。流行を追うより、自分のこだわりを持ちたい方だからです。

安くなっている服は、だいたい量産型か型落ちか、です。量産型は流行の型ではあるけれども、長く着ることはできない。縫製や生地がしっかりしていないものも多く見受けられます。パッと見て可愛くても、「これに2000円か」と考えてしまうのです。

そんなわけで、型落ちしていても、質が良いものが欲しいのですが、これはなかなか店頭では手に入らない。そこで、有り得ないほどネットサーフィンして、70%オフとかを発掘するのです。

きっと、店舗で購入することに向いていないのでしょう。

 

これだけだと、「こだわりとは意味合い違わない?」と考えられていることでしょう。

そのとおり。私がこだわりを持つのは、長く使えるものに対してのことです。

服で言うならば、コートとか。1万円以下の特価量産型は、ちょっと遠慮したい。今のチェスターコートは、コートの中では一般的な3万円以上4万円以下だったと記憶していますが、苦学生には奮発したものです。外れかけたボタンを自分で縫い直したり、維持にも涙の思い出。しかし、黒にもピンクにも合わせられるカーキ色のコートはなかなか見かけないので、あの時の購入を後悔してはいません。バイト先の子どもからは「何でいっつも芝生を着てるん?」と言われましたが。

しかし、ボタンを自分で付け直しているほどなので、あと数年で寿命を迎えるでしょう。ありがとうコート。次は、黒色ノーカラーコートを求めていますが、「これだ!」という物に巡り会えたら、10万円でも出すと思います。

コートは、1920年代のフランスの女性が微笑んでいるような、シンプルだけど品のあるものが希望です。10万円でも怪しいかな、と最近思い始めています。

 

それ以外に現状、こだわりを持つのは、財布と時計と香水でしょうか。

この中で、一番価格帯も重要性も低いのは香水でしょう。最近、あろうことか冒険心が湧いてしまいました。かっこよく言ってますが、浮気です。

量販店に行き、手につけてクンクン。今までの十分の一の価格なのに、量は3倍という、お得感溢れるものを購入してみました。好きな匂いではありますが、時間が経つとべったりしてくる。甘ったるくて、溶けて指に湿りついた砂糖みたい。浮気はダメだな、と思いました。ルームフレグランスがわりにシュッシュとしています。

 

財布については、ボーナスが入ったら買います。時計については、使える状態になった暁には語ります。

 

こんな若いのが高価なものを持っても、成金主義に万歳三唱しているみたいだよなぁと思います。贅沢なことをしたと、買ってから後悔することもあります。10年使うつもりで十万円のものを購入しても、災害とかで壊れたらそれまでだよなぁ、と江戸っ子の考えにも同調してしまいます。

そんな話を友達にしました。

私、普段、食費とかそんな使わないんだよね。豆腐とヨーグルトあれば生きていける。服もセールでいいし。あと、旅行もほぼしない。だけど、財布とか時計とかは、良いやつ持たないと気がすまないんだよね。なんか、節約してるようでしてない人、みたいな。無駄遣いしてる気がする。

すると、友達が言いました。

違うやん。遣う場面が分かってるってことやん。

女神かと思いました。

 

私はこだわりのために、身の丈に合わないものを持っていると思います。だから、それに見合う人間になるよう歳を重ねるしかありません。

美しいものに見合う人間になれるのは、皺だらけになった日かもしれません。いえ、この発言は傲慢でした。皺がどれだけ増えようとも、私は心の美しい人間にはなれません。あろうとすることと、なれることは別物ですから。しかし私は、自分を輝かせるものを持つに相応しい人間になるために、歩き続けるしかないのです。

 

さあ、雨傘から日傘に持ちかえて、水溜まりを飛び越えていきましょう。

晴れ間は、今です。