Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

ビール的な。

ビールの泡は7:3。

黄金比率を壊さないようにジョッキを傾け、琥珀色の液体で喉を震わせる。食道から、じんわりと苦味が広がった。身体中を駆け抜ける痺れを逃すように、私は深々と息を吐く。

ビールは美味しい。だけど、日常的には飲みたくない。

追われているものから逃げるスリルと同じような味だと思う。常に、何かに追われるのは嫌だ。ストレスがたまる。たまには休みたい。しかし、追われてみることに楽しみを覚える日もあったりする。そんな日と同じ心の動きをするのが、ビールを飲むとき。

ココアの方が美味しいかもしれない、とも思う。甘くて、温かくて、ちょっと落ち着けて。こくりこくりと何度でも味わいたくなる。この時間が続けばいいのに、と両手で丸いものを包み込んでいるような味をしている。

 

初めてビール缶を右手で持ち上げた日は、ビール缶の二倍の大きさをしたペットボトルを左手で握りしめていた。ビールは不味い、と聞いていたからだ。苦味を薄めることに注力して、目を閉じて缶をあおった。

口にしてすぐさま、後悔した。

こんなもの、飲めるはずがない。

モッタイナイ精神により、意地で胃を膨らませたが、苦行の二文字が頭の中に点滅していた。

こんなもの、飲まない。

そう、思っていたはずなのに。

それが今や、飲み会では一杯目にビールを頼むし、友達とビールバーで語らっている。

 

人間は成長する。味覚は慣れる。考え方は変わる。

昔は苦手だったのに、今は好きになっている……そんなものを思い浮かべ、最近の私はよく感傷に浸ってしまう。

 

高校時代、ロックが好きだった。舞台でしか叫べない自分の心を代弁していたからだろう、と今になって好きだった理由を考えている。

 

YouTubeをサーフィンしていた私が椿屋四重奏の「手つかずの世界」を聴いたのは、偶然のことであった。

未知との遭遇だった。

不協和音と協和音を綱渡りしているメロディー。リズムを指で叩くことができない。歌詞にも、高校生の心を代弁してくれるような可愛らしさや強さがない。夢や未来のような青っぽい要素は皆無だった。

 

気持ち悪かった。この曲を聴いたら、嘔吐するとさえ感じた。

 

たかだか耳から入る情報に対して、こんな過剰反応を示すのも珍しいだろう。自分でも驚いた。だから、逆に、私は興味をそそられて、椿屋四重奏の別の曲を再生してみた。

ネットでおすすめされていた「螺旋階段」。

この曲は、先ほどにも増して、不思議なリズムを刻んでいた。

 

そして、この歌詞。

 

重なる度に溺れて  口づけで息を止めて                                           なけなしの夢の中で  継ぎ足した幸せを         
行方知れずの心と 高鳴る胸を鎮めて
恋と呼ぶには あまりに  救われない気がして仕方ないんだ

 

略奪愛を歌っているような気がして、さらに気持ち悪くなった。

それでも、音楽で気持ち悪くなるはずがないと信じて、聴き続けてみる。何度も何度も。しかし、無理だった。自分の感性とのズレを調整することはできず、私はこの曲を遠ざけた。

生理的に受け付けない音楽があることを、この時に知ったのだ。

 

だが、私は会社からの帰り道に、なぜかこの曲を思い出した。色々なことに溺れ、涙の溜め方を覚えるのが上手になっていたからだろう。

深夜の地下鉄に揺られながら、あのフレーズを思い浮かべていたのだ。

 

朝もやがまた君を さらうように包み隠した
かさぶたに触れながら 黙ったまま背中で逃がした

 

「螺旋階段」の冒頭部分だった。リズムまで再現できる。あんなに苦手だったのに、だ。

私は、音楽をダウンロードし、数年ぶりに椿屋四重奏を摂取する。チャンキーヒールでリズムを刻む。渋くて、少しザラりとした声が、耳に入り込んでくる。

 

かっこいいじゃん。

 

なぜ気持ち悪さを覚えていたのだろう。

久々の椿屋四重奏は、むしろ気持ち良かった。魅惑的で、儚くて、苦みに溢れている唯一無二の音楽が、響いてくる。吐き出す煙草の煙が、踊るように揺らめいている感じがした。

略奪愛を歌っていると思った歌詞に嫌悪感を抱くこともなかった。むしろ、溺れても報われないのが恋だよな、と共感さえした。

 

ようやく、気持ち悪さの正体が分かった。

ビールを美味いという人間に、奇妙な視線を向けていたのと同じだ。片手に水を掴んでいなければならない自分には、ビールの良さが分からなかった。それは、苦手という感情的な問題だけではなく、時期尚早だったという理由もある。

そもそも、あの頃の自分には、苦味を楽しむ必要性がなかったのだ。青色に飛び込み、腹を抱えて笑うことを楽しめるのは、あの年代の特権なのだから。

 

ビールの味を楽しむのは気が向いた時だけでいいが、日光に透けた銀杏のような色味については、いつも目の前に置いておきたいほど好みだ。白い泡とのコントラストも素晴らしい。

味覚以外での楽しみがあるのは、ビールの特権ではないだろうか。ココアだと、そうはいかない。柔らかな色味をしているが、青空に映えることはない。

 

物事には、3割の苦味が必要なのだ。

ビールと同じ7:3。人生にもちょっとは辛いことがあった方が、美しかったり、奥行きが生まれたりするのではないだろうか。

 

そう自分に言い聞かせ、昨日と今日の境目を地下鉄で迎える。瞼は重いのに、まだ夢の世界にも足を踏み入れられそうにない。

朝もやが私をさらっていくのは、もう少し先になりそうだ。