Weekly Yoshinari

Weeklyじゃなくてさーせん🙏🏻

再開

年明けからの私は、激務であった。

残業時間こそ多くはないが、代わりに2週間に一度の出張が待ち受けていた。見知らぬ土地へ赴き、完成されたコミュニティに飛び込むのは、少なからず精神をすり減らす。さらに、出張のない日は連日、非常勤さんのサポートのために会議室内を走り回らなければならず、精神面だけではなく身体的にもハードな数か月であった。

無理がたたり、春分の日には、重い扁桃炎にかかり寝込んでしまった。大学時代以来の高熱であった。熱が下がり数か月が経つ現在も、時々喉を痛めており、声は戻らないままである。これなら、過労死ラインギリギリの残業時間の方がましだと思った。

 

2023年からの留学に行けなくなり、英語学習へのモチベーションが絶たれつつある代わりに、私は白紙の未来を目の前に広げる時間を得た。

さて、どうしようか。

取りあえず、英語学習には飽きた。むちゃくちゃ飽きた。発音練習や文章を読むのは楽しいし、趣味なので英語力が落ちることはないだろうけれど、試験対策用の勉強はもうやりたくない。

英語学習に飽きたために、他言語に手を出すことにした。イタリア語である。

 

イタリア語を勉強していることを話すと、必ず言われることがある。

「役に立たなくない?」

確かに、と頷くことしかできない。

国連の公用語は英語とフランス語。話者が多く、ビジネスで役に立つのは中国語。なんかカッコイイ枠はドイツ語。日本でも文化的に親しみがあるのは韓国語。

イタリア語は、選ばれる動機に欠けるのだ。芸術や歴史が好きだからか?ピザが好きだからか?

だが、芸術が好きならばフランス語を選んだ方が学習教材も揃っているし、ピザが好きなら英語でも良い気がする。

実際に、大学の外国語教育において、イタリア語を選択科目として置いている大学はわずかである。おそらく、私とイタリア語のあれこれを書くと、出身大学を特定できる人もいるだろう。まあ、マンモス大学なので、特定したところで珍しさの欠片もないはずだ。

 

自分はというと、イタリア語を第二外国語として選択した理由は、かなり適当。消去法である。

私が入学した学科は、第一外国語は中国語選択と決まっていた。そのため、多くの人は第二外国語として英語を選択していた。だが、受験に失敗したのも英語を克服できなかったことが理由であるほど、英語が苦手&嫌いだった自分にとって、第二外国語で英語を学ぶ意欲は皆無だった。

その上で、フランス語は母親が学んでおり、マウントを取られそうだったので却下。ドイツ語は英語と似ていそうという先入観から却下。韓国語はK-POPに興味が湧かないので却下。余った選択肢がスペイン語とイタリア語だったところ、スポーツよりもアートが好きだし、パエリアよりもピザが好きだったので、イタリア語を選択した。

ピザが好きでイタリア語を学習し始めたやつ〜。それ、私でした〜。

 

そんな消極的理由から学習を開始したイタリア語が、私の人生を変えるのだから、面白いものだ。

大げさだと笑われそうだが、事実だ。イタリア語は私の人生を変えた。

私はイタリア語を学習するまで、外国語についてアレルギーを抱いていた。もちろん、心理的なもの。海外留学をしたい人の気持ちを理解できなかったし、TOEICで高得点を取る気など更々起こらなかった。

ちなみに高校受験では合格者最低点と思しき点数を叩き出しているほど、英語は学習を開始した中学一年生から苦手だ。

自分には外国語は無理だという苦手意識がまとわりつき、学生時代を通じて、英語の授業は辛い時間だった。和訳問題も文法問題もできず、席を立たされたこともある。どれだけ予習を真面目にこなしても、翌日には次回授業の予習をやらねばならず、ノイローゼになりそうだった(こういう日本の教育方針が、私のような英語嫌いを生み出している可能性も0.01%あるのでは?)。

しかし、イタリア語は違った。名詞に性があるのも面白いし、主語がなくとも動詞だけで「私」や「彼」が判断できるのも面白い。規則が単純明快で、英語のようにモヤモヤした疑問が浮かばなかった。その結果、大学の偏差値的な問題かもしれないが、クラスの中で一番良い成績をもらうことができた。

「あれ?私も外国語できるじゃん!」

謎の自信と思い込みに満ち溢れ、私の外国語嫌いを払拭してくれたのだ。

それから、私の人生は変わった。

初めての海外旅行は、母親とともに向かったイタリア。中国語系の学科から西洋系の学科へ転籍し、卒業論文はイタリアのファッション産業史。卒業後は小さな関西の企業の事務職でのほほんと生きていこうと思っていたのに(当時は本気で考えていたことなのに、知り合いに話すと「話を作っているだろう。ヨシナリがそんな小市民的思考で満足するはずがない」と言われる。本当です!)、海外勤務ができる仕事を探し出すようになるほど変わった。

だが、イタリア語の授業自体は1年生の頃しか受講していない。資格試験のために受講したかった民法の講義と上級クラスの講義が被ったのだ。

イタリア語ではなく民法を選んだ言い訳は、今、周囲から言われるものと同じだ。

「イタリア語をやっても役に立たなくない?」

民法だってそこまで役に立たないと知るのは、数年後のことである。

 

役に立たないからと放置したイタリア語学習を再開しようと思ったのは、心のどこかに禍根があったからだ。

イタリア留学に行きたかったが、金銭的にも時間的にも難しかったので、諦めた。

社費留学の内定を得るためには英語に時間を割かねばならず、イタリア語まで手が回らない。

様々な理由を重ねたうえで、

「イタリア語は役に立たない」

その通りだ。役に立たないものに、情熱を傾けられるほどの暇は持ち合わせていなかった。

 

しかし、忘れられないのだ。

それまで、海外旅行に興味を持ったことのなかった私が、初めてローマの街中を歩いた時に、心の中で誓ったのだ。

「いつか、絶対にイタリアで暮らす」

役に立たなくても、好きなら勉強してもいいではないか。

 

だから、英語に飽きた自分が他言語に挑戦するなら、人生を変えたイタリア語以外にあり得なかったのだ。

 

こうして、年明けからはduolingoの有料会員になり、起床5分後からはイタリア語の日常会話をアプリに続いて復唱している。

「Mi scusi, lavoro al ristorante con te」

「Sono molto felice」

「Ti amo anch'io!! Grazie !!!」

夢から覚めたばかりなのにウェイトレスになりきり、これから楽しくもない職場に向かうというのに繰り返すベリーハッピー。下がっていく重い瞼と格闘しながら、誰かへの愛を囁く早朝。

メンドクサイとため息を吐き、iPhoneを壁にぶつけたくなることもある。いつまでたっても単語を覚えられず、イライラがつのることも、一度や二度ではない。

役立たないのに。やめてもいいのに。

自分の黒いささやきに負けそうになりつつも、私はイタリア語と格闘している。

出張中も欠かさず、duolingoをポチポチしており、連続勉強記録は160日を超えた。

duolingoは、私のような単純人間には効果的であり、最近は、過去のファイルを漁るために書庫へ向かえば「書庫のドアを開けた!Apro la porta!I open the door!!」と内心でキャッキャするほど、心の一角をイタリア語が占拠している。

 

現在のところ、イタリア語に関する明確な目標はない。

検定を受験してみたいとか、留学をしたいとか、夢は思い描いているが、「イタリア語は役に立たない。英語が大事」という思いが頭をかすめてしまう。留学に関しても「世界大学ランキング上位のイギリスの大学にしておいた方がいいんじゃないの?」という現実志向の自分が再考を促してくる。

しかし、イタリアドラマで簡単な日常会話を理解できるだけでも喜びは大きく、テストに関係のない小さな喜びが、私の学習におけるモチベーションなのだろうとも思う。

もしも、20代のうちにイタリアを留学先に選ばなかったとしたら、定年退職後に留学するだろうなとも。65歳で渡伊して、ファッションデザインを学んでみたり。

それも、ステキな生き方かもしれない。

「いつか、絶対にイタリアで暮らす」

20歳の自分を信じ続け、Amoreの巻き舌を練習する。ちょっとは上手くなることを願っている。

 

アラサー女、ひとりでトリキに現れる

大学時代にお世話になっていた居酒屋と言えば、鳥貴族(通称トリキ)である。

安いと旨いを掛け合わせた数多のメニューを前にして、訪れるたびに心を躍らせたものだ。私のような貧乏大学生にも飲み会の楽しさを分けてくれる最高のお店であった。

だが、悲しいことに、お金は人を変える。

社会人になり、大学生の時ほどお金に困っていない私は、めっきりトリキへ行かなくなった。友人と会う時には、ちょっと高めのイタリアンやら、3000円のアフタヌーンティーなんかをセレクトし、プチブルジョワジーに浸ってしまったのだ。

1年間を信州で過ごしたことで、トリキ離れは加速した。残念ながら、トリキは信越地方には出店していない。看板すら見かけなくなったことで、トリキの存在など、忘却の彼方へと飛んで行ってしまった。

 

ある日の華金。年明けからの繁忙期が終わり、疲れがたまっていた。誰かと飲みにでも行ければ気分転換にもなるのだろうが、部署の先輩は全員既婚男性であり、軽々しく誘うのも憚られた。

西の空が赤い。レンガ舗装のぎらついた黄色い照り返しに、顔をしかめた。

ビルを出た私を襲ったのは、孤独感だった。

ひとりには慣れているはずなのに、なぜだか心細かった。今日は誰かと話したいと思っても、頼れる人は誰ひとりいない。誰も私を助けてはくれない。仕方がない、私は一人ぼっちなのだ。

照り返した光が、心臓を刺すようであった。この場で倒れても、誰も助けてはくれないのかもしれない。

一人ぼっちであるという現実から、逃れたかった。どこか遠くへ。会社や仕事や悩みから解放される場所を求めていた。

 

こういう時、大人は得だ。自分のお金と時間を誰からも制約されずに使うことができる。しかも、アルコール摂取により、強制的に夢と現実の境目を淡くさせることも可能。

 

私は駅前の繁華街を歩き回った。さすが、金曜日。人が溢れかえっている。

たどり着いたのは、あの懐かしきトリキであった。

 

「はい、何名様でしょうか?」

「ひとりです」

明るい髪色の店員に対して、まるで友人と飲みに来たかのような調子で、お一人様だと告げる。ここで「ひ、ひとりです……」とどもるようではソロ活初心者だ。私はありがたいことに、数多の困難な局面を一人で乗り越えているので、一言目でもごもごしない。

なんせ高校時代からひとりカラオケを嗜み、大学入学後からは、ひとり回転寿司、ひとりバー、ひとり旅、ひとり焼肉等、あらゆるおひとり様を経験してきた女だ。(友達どれだけいないんだよ、とは言うたらあかん。)

今さら、トリキ程度なんのその。

……すみません、強がりました。心臓バクバクですよ。だって、金曜の夜に、アラサー女が一人でトリキですよ。「あー、この後デートの予定もないんですね、このOL」なんて店員に嘲笑されているんじゃないかとか、いやはや、心配でたまりませんわ。

という本音はひた隠し、私は一杯目を注文する。

「生中で」

一人でビール!最高かよ!!

 

トリキのありがたいポイントの一つは、パネル注文であることだ。これで、思う存分、他人の目を気にせずに、注文を行うことができる。

私は欲張りなので、ソロ活中でも友人と来た時と同じくらいの量を頼んでしまう。ひとりスイパラもできるくらいなので、普段は自制しているが、食べる時には食べる方だ。胃下垂で良かった。

まず、ビールとともにいただくのは、スピードメニューの「白ネギ塩こんぶ」とメニューにも大好評の赤文字が躍る「ふんわり山芋の鉄板焼」である。

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ビールの苦みと白ネギの辛みが、口内を刺激する。痛めつけた後で、鉄板焼き。山芋が舌の上を溶けていき、いじめた口内をなぐさめてくれる。優しい味だな、山芋。友達になって。ぼっち属性の私なら、尽くすからさ。

(注:ヨシナリの思考回路がキモいので、友達がいないのでしょう)

 

次にやって来たのは、大学時代から大好きな「カマンベールコロッケ」だ。トリキの「カマンベールコロッケ」は一皿に2つしかのっていない。

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友人と行く居酒屋における悩みの一つが、「遠慮のかたまり」問題であった。ちなみに、「遠慮のかたまり」という表現は、関西圏でしか伝わらないらしい。同様の状況を示す便利な表現は他にないと思うので、日本全国で使われるべきであると、この場を借りて私は強く主張する。

さて、「遠慮のかたまり」がどのような状況かといえば

A「2個しかないやん、どうしよ」

B「じゃあ、とりあえず1つもらうな」

A・C「Bが頼んだんやから、食べて~」

(歓談中。他の料理も運ばれてくる。ワイワイ。1時間30分経過)

店員「すみませーん、そろそろラストオーダーの時間ですので~」

(店員去る)

A「あ、カマンベールコロッケ。1つ余ってるやん。誰か食べへん?」

B「私、さっき食べたから、2人食べて」

C「私はいいから、Aが食べて」

A「え、いいよ~。Cが食べてって~」

(以下、不毛な会話キャッチボールのため省略)

お分かりいただけただろうか。カマンベールコロッケだけではなく、最後の一口が皿に残ったサラダなどでも起こりうる状況だ。つまり、誰もが「最後」に手を付けたくないために、お皿が片付かないのである。たった一口の「遠慮のかたまり」によって。

「遠慮のかたまり」を巡る生産性ゼロのキャッキャうふふのやり取りも、飲み会の醍醐味かもしれないが、たまには悩まずに食べたいときもある。

説明が長くなったが、本日は「遠慮のかたまり」は発生しない。なぜなら、今日の私は、おひとりさまなのだ!

大学生の頃は、友人とシェアして一つしか食べられなかったカマンベールコロッケ。今日は、2つも頬張れる。

最初のコロッケを、夢中で噛みしめる。中からは、とろりとしたチーズ。ちょっとだけ、つけるケチャップが、チーズを飾る。お次は、バター。可愛い味がする。かき氷で作られた雪だるまみたいな味がする。美味しい、美味しすぎるよ。これを2回楽しめるなんて、贅沢すぎて罰があたるのではないだろうか。

まだ、メインの焼き鳥が来ていない。楽しみは最後に取っておくため、2個目には手をつけず、私はビールで喉を潤した。This is my 遠慮のかたまり。

 

ビールとともに、ここでメインの焼き鳥。名物貴族焼。タレも塩もスパイスも、すべておいしいよね!

本日はスパイスをセレクトしてみた。

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これも、また、誰かと行くと一本が限界だが、本日はおひとり様!!2本食べられることに、大いなる喜びを感じている。スピードを気にしないでいいことも気楽である。

ひとりトリキをしている人の台詞ではないが、私は脂物に弱い。ゆっくり食べると、だんだんと気持ちが悪くなる。先ほどから、ビールやらコロッケやら、胃に優しくない行動を繰り返している。そのため、短期決戦が大事なのである。

それにしても美味しい。楽しい。

私は一人で「美味しい!」とほくほくしているが、カウンター越しで働くお兄さんは、若い女がこんなにひとりトリキを楽しんでいるなどどは、想像もしていないのだろう。

 

飲み会の締めには雑炊を食べなければ気が済まない。

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とり雑炊いいよね!!温かいものを食べると、心まであったかくなる。ほかほか。

そして、甘い物は別腹のデブなので、きちんとデザートも頼んじゃう。

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甘辛ミックスをしなければ気がすまないので、焼き鳥も「チュロパフェ」も食べられるのは、かなりありがたい。これ、チュロパフェというらしい。名前が可愛い。可愛いもの大好き。

 

これだけ食べているが、会計は2000円代である。ストレス100から20へと減少した。3000円以下の課金でストレス減少とは、我ながら安い女だ。安上がり!庶民派!!

私の前に会計をしていたのは、中年男性であった。この方もひとりトリキをしていたのかと、勝手に親近感がわいた。いいよね、おじさん……いや、お兄さん!ひとりトリキ最高だよね!!!

 

 

さて。

この雑文を書き連ねているのは、どこでしょう??

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まさかカウンター越しのお兄さんも、真顔でビールと貴族焼を頼むアラサー女が、ひとりトリキ実録を記しているとは思うまい。

なんだかもう一杯、飲みたくなってきた。

絡まった糸をほどく(後編)

私大は合格発表が早い。推薦入試やAO入試の合格者も多いため、入学式の日には既にコミニュティが作られていた。
周囲の新入生が桜とともに写真に収まる中、入学式の10日前に入学が決まった私は、当然ながら独りぼっちであった。
「皆さま、ご入学おめでとうございます」
壇上では、白髪頭の学長が祝辞を述べている。
おめでたくないよと、私は心の中で毒づいた。
本当は、この大学に来るはずではなかったのに。この式に参加するなんて、私の人生の計画になかった。人生設計はまさに今、狂っている。
後悔は跳ね返る。壁にぶつけたボールが手元に戻るように。
どうして、努力が出来なかったのだろう。頑張れなかったのだろう。
お祝いの言葉は、右から左へ抜けていく。溢れる後悔が心の底に溜まったところで、堅く決意した。
大学院なんて遅い。善は急げ。もっと早くだ。
この大学には2年間で別れを告げる。絶対に、別の大学の卒業式に出席する。

編入学という制度のことは、以前から知っていた。
入学式の後、私は具体的な情報を集めた。TOEICが必要であることや小論文の試験があること。大学によっては面接もあることまで。
周りが新生活を始める軽やかな季節。私は浪人時代に努力しなかったツケを払うために、図書館で勉強をすることにした。
目指すなら、今度こそ本気で難関大学へ行きたい。編入できる大学の中で、一番難しい大学を目指したい。だから、京都大学を目指そう。
編入試験では絶対に失敗しない。
この大学を去るために、私は努力すると誓った。

ただ、編入を目指すにあたって、一つだけ問題がある。
それは、お金についてだ。学費や生活費、その他全て。
親は、私立大学の学費や入学金を既に支払っている。国立大学へ編入すれば、余分な費用がかさむこととなる。
我が家は裕福ではない。私大に進学できたのも、親がなけなしの老後費用を切り崩してくれたり、兄が奨学金を貰ってくれたお陰だ。
反対されそうな状況であった。
私は帰省した際に、おそるおそる、両親に尋ねた。
編入試験に挑戦してみようか、迷っているんだけど。
「いいんじゃないか?挑戦してみたら」
まず答えたのが父親であった。私は衝撃的だった。
今までの人生で、父親が私の進路に対して直接意見を述べたことはない。まして、母親よりも先に答えたことなどなかった。どちらかと言えば「自分は高卒で、大学のことはよく分からないから」というスタンスであった。それに、私大に合格した際も「偏差値はともかくとして、それ以外の面では、不合格だった国立大学よりも良い大学だと思うけどな」と母親に漏らしていたらしい。
そんな父親が、背中を押してくれるなんて。
「今の大学にいるより、良いじゃない。京大とか、阪大とか、神大とか」
母親は、関西の難関国立大学の名前をあげた。
二人の反応は、あっさりしたものだった。

反対されると思っていた親からの了承も取り付けた。これで、思う存分、編入試験の勉強に時間が割ける……はずであった。
しかし、我に返った。
自問自答する。
どうして私は、京都大学編入したいのだろう。
学びたいことがあるから?やりたいことがあるから?
いや、違う。
過去の自分を捨てたいからだ。努力を怠っていたというコンプレックスを克服したいからだ。関西私大卒ではなく国立大学卒の肩書きを手に入れた方が、将来的にも有利だからだ。
理由を並び立てた私は気がついた。
本来、大学は学びたいことがあるから進学する場所のはずである。
今の理由では、演劇をやりたくて大学受験にのぞんでいた高校時代と何も変わっていないではないか。

仮に、運良く京都大学編入できたとしても、その後の私はどうしたいのだろう。
官僚になりたいのか?
弁護士になりたいのか?
外資系コンサルに入りたいのか?
全て、今の大学にいても、努力次第で叶えられる。
もちろん、可能性は低い。限りなく。数万人の学生がいるのに、官僚になる人も、弁護士になる人も、外資系コンサルに入る人も、年間に数人ずつしかいない。
だが、いるのだ。毎年、その道に進んでいる人は。
この大学でトップを目指し、数人のうちの一人になればいい。
京都大学卒業後の自分を思い描こうとした時、私には一つのイメージも浮かばなかった。
やりたいことも、就きたい職業も。何もかも。
京大だからこそできることは、一つもなかった。

私が編入したい理由。
それは、学歴コンプレックスだと言い換えられる。
このまま編入試験に挑戦すれば、学歴コンプレックスから抜け出せるのか?
……そんなはずはない。
編入試験が上手くいったとしても、大学受験で第一志望校に不合格であった事実は変わらないのだ。
むしろ、後悔を助長してしまう可能性だってある。

学歴を変えるためだけに、編入試験に挑戦すべきではない。

それならば、踏み出すべき一歩は、編入試験ではない。
この場所で、今の大学で、最大限の努力をしていくことだ。
この大学を卒業した後に、私はどうなりたいのか。
学歴や受験の失敗に囚われて編入を目指すよりも、学歴以外の価値観を身につけることの方が、よほど重要だ。
私はなりたい自分を描けていないのだから。

この大学で精一杯頑張る。置かれた場所で努力をすることが、一番必要なことだ。
決心したその日から、編入試験の勉強をやめた。

現在、私の周囲にはたくさんの難関国立大学卒業生がいる。
彼らは自信に溢れている。一見、コンプレックスなんて抱いていないようにも見える。私とは違う。
頭の中で、受験生の時にかけられた言葉がこだまする。
「そんなに勉強から逃げたいのか」
どうだったのだろう。
当時は、舞台に立つことを本気で夢見ていた。苦手なことから逃げ出したいという気持ちより、夢を叶えることが彩やかな人生を歩める方法だと信じていたのだ。
「ワンランク下の高校に入って、トップを目指す方が向いていたのかもしれない」
どうだったのだろう。
高校時代の担任が告げたように、別の高校へ入学していれば、私は東大卒や京大卒の肩書きを得ていたのだろうか。
難関国立大学卒の私の人生は、今よりも輝いていたのだろうか。幸せだったのだろうか。
私には分からない。

全て、分からないこと。だって、今の私の人生ではないのだから。
つまり、考えるだけ無駄なのだ。
私ではない私。異なった私の人生など。

学歴コンプを乗り越える方法。

それは、絡まった糸を解く行為と似ているように思う。

正直、今でも、気の緩んだ瞬間に、劣等感に苛まれることや後悔の念が湧いてしまうことがある。
大学院の留学先を検討する際、プログラムよりも世界大学ランキングを重要視する自分に気がついてしまうこともある。

そんな時、息を吐く。十秒間、ゆっくりと。心を落ち着かせてから、今の自分を逆算する。
今の私がこの職場を選んだのは、大学時代の経験があったからだ。
大学時代の経験を得られたのは、私大に入学したからだ。
私大に入学したのは、第一志望の大学に不合格だったからだ。
「あなたと出会えて良かった」と口にしてくれる友達に出会えたのも、「あなたの今後をずっとずっと応援している」と今でも連絡を下さる方と出会えたのも、全ては十八歳の私が出発点だ。

細い糸を辿ると、過去の失敗に行きつく。

あの場所にいなければ、手に入れられなかった人生と幸せは、確かに私の掌にある。

私は、今の自分に一片の後悔もない。

春だ。新しい季節だ。
いつか糸を解く必要がなくなるくらい、努力を重ねていきたい。

絡まった糸をほどく (前編)

ねぇ、うちの業界にいたらさ、学歴コンプくすぶるよね。

ランチ中、同期がふと口にした。私は、そうだねと同意する。

たぶん、私達の大学は、世間一般では普通レベルかと思う。名前に聞き覚えがある程度には。
しかし、この業界では違う。
難関大学出身者がひしめき合っている。そのため、自分の卒業した大学がとんでもなく底辺なような気がしてしまう。世間一般の感覚とはズレてしまうのだ。

難関大学出身者に囲まれることなど、最初から分かっていた。それが自分の心を延々と苦しめる可能性についても。
それでも、地方の私大生だった私は、どうしても今の職業に就きたかった。

それは、心のどこかに、就職くらいは自分の第一志望を諦めたくないという思いがあったからだ。

私は大学で勉強した。そのお陰で、今の私になれた。この点については満足している。
満足しているからこそ、悩むのだ。

どうして、大学受験の時に、このくらい頑張れなかったのだろう。

私は元々、国立大学を目指していた……と表向きには話している。
事実ではある。私は浪人も含めると、計4回も同じ国立大学に落ちている。
しかし、これは少しだけ、事実と異なる。

なぜ多くの人が高校卒業後の進路として、大学進学を選ぶのだろうか。
様々な理由があるかと思うが、私の場合は周囲からの影響だった。
厳しい家庭だったので、親からは「東大か京大以外には行かせない」と言われて育った。また、通っていた高校は「東大や京大、医学部を目指して勉強しましょう」という風潮でもあった。
私には、これらの要素に抗うだけの力を持ち合わせていなかったのだ。

自分自身は、自分の能力を低く捉えていた。
学校内での成績は常に低空飛行。しかも、勉強自体が好きではない。
中学時代は勉強もろくにせず、毎日、書店と図書館に入り浸っていた。帰宅後も、常に読書。
勉強なんて嫌いだし、苦手だ。

苦手を克服しようという気持ちは起きなかった。
国立大学へ進学するには5教科7科目が必要だと知った。そんなにたくさんの科目を勉強できるはずがない。
中学生の段階で、大学案内を読み漁った結果、自分には大学進学など無理であると悟った。

無理して程々の大学に進学するよりも、自分の得意な芸術を極めていった方が、きっと人生は楽しい。

学生時代の私は、演劇が何よりも好きだった。
自分が他人になる感覚。誰かが自分の中にするりと入り込み、私はそれを遠くから眺めている。
私は、自分のことが好きではない。
もっと可愛く産まれたかった。賢く産まれたかった。後悔や願望を消去するためには、胎児からやり直さなければならないかもしれない。
舞台は、理想の自分になれる場所であった。大嫌いな自分からの逃避。
たった一時間。されど一時間でもいい。
ここならば、別の人生を編むことができた。

高校入学後、初めての進路希望調査では、芸術大学に進学したいと書いた。一生、演劇をしたいと本気で思っていた。
そこまで稼ぎがなくとも、私の心が幸せならば、それでいいと……若かったのだと思う。
「そんなに勉強から逃げたいのか」
面談時に担任教師から投げられた一言は、今でも波紋のように胸に広がっている。

当然、親からも反対された。当たり前だ。幼い頃から、偏差値主義を啓蒙していた人達である。反対しない理由がない。
芸術大学に進学して、何になると言うのか。
恵まれた環境にいるのに、どうして東大や京大を目指そうと思わないのか。
演劇なんてサークル活動で十分だろう。

私は答えに窮した。

なぜって。
演劇を仕事にしたいから。それ以外の理由があるのだろうか。

私は頭が悪いのだ。
何時間かけても予習は終わらないし、周囲のクラスメートのように高得点も取れない。模試はいつも中の下。悪い時は下の下。

勉強から逃げたいわけではなく、自分の得手不得手を冷静に考えているだけだ。
時間は有限である。特別、勉強が好きなわけでもない。苦手なことに時間を使うよりも、私は好きなことに時間を費やしたい。
演劇を仕事にしていきたい。

私の主張は、受け入れられなかった。
芸術大学の学費は出さないし、奨学金申請の書類にも署名しない」
最後通牒だった。お金の問題を出されると、16歳にはお手上げだ。

どうすればいいのだろう。
芸術大学へ行かなくても演劇を続ける方法は、一つしかなかった。
関東圏の大学へ行き、劇団へ入ることだ。

いつか役者になりたい。

夢を叶えるため、私は、関東圏の国立大学を志望することにした。

高校2年生になってから、私の成績は少しだけ上向いた。
担任から勧められたのは、所謂「旧帝大」というカテゴリーの大学であった。
世間的に見れば、そこを目指すべきだった。
けれども、私はその提案を受け入れられなかった。
東京で演劇をやりたいのだ。
地方の大学では、駄目なのだ。

惰性で机に向かうものの、まったくやる気が起きなかった。
大学進学というしがらみさえなければ、こんな苦労をしなくても上京できるのに。
私は努力をすることではなく、現状を怨むことと現実逃避に時間を割いてしまった。

だから、不合格は当然の結果だったのだと、今では分かる。

とは言うものの、当時の私は、結果を受け入れられなかった。センター試験後の合格判定が悪くなかったことも関係しているだろう。
高校時代の教師からも、合格するだろうと言われていたし、試験の手応えも悪くはなかった。

それ故に、合格発表の日は落ち込んだ。
当然の結果にも関わらず、泣いた。努力を怠った自分が一番悪いのに。私はつくづく自分勝手な人間だ。
結局、進学先は関西圏の私立大学となった。
思い描いた人生と現実が大きくずれるのは、これが初めてであった。高校卒業後に上京することを夢見ていた自分にとって、関西で生活する姿を想像できなかった。

なんて平凡な人生なんだ。
どこにでもある大学へ進学し、自分の夢も叶えられないまま、ほどほどの会社へ就職し、20代後半で結婚し、子育てと仕事の両立で悩む……一番回避したい人生のイメージが頭の中で駆け巡る。
私は、不合格になって初めて自分と向き合った。
学力という土俵で勝負するならば、周囲に言われるとおり、最大限の努力をして一番上を目指さなければ許せない性格だった、自分のことを。

「君は、うちの高校が向いていなかったのかもな」
進学先を報告に行った際、担任がふと口にした。
「ワンランク下の高校に入って、トップを目指す方が向いていたのかもしれない」
それは、私自身も感じていたことであった。天邪鬼な自分は「皆で地元の大学を目指そう」という風潮の高校へ進学していれば、「自分だけは東大へ行ってやる」とやる気に火がついていたかもしれない。
「だけど、大学受験で全てが決まるわけじゃない。せっかく関西の大学へ行くのだし、京大の院進を目指してみたらどうだ。僕は、君なら京大院にも合格できると思う」
ああ。もう次の入試はそこにあるのか。
不合格だった私は、ほつれた学歴を直すために勉強をしなければならない。そのための準備を始めなければならない。休む暇もなく。
波のような疲労感が、私の背中を覆った。

 

(後編へ続く。)

いまじなりー・ふれんず

ペットが欲しい。

 

残業はなくならない。

ヒールを脱ぎ捨てて、暗い八畳ワンルームへ戻る毎日に、嫌気がさす。

私は、これから何度、同じことを繰り返さなければならないのだろう。

疲れ果てても、誰も声をかけてくれない。甘えさせてもくれないし、甘えてもくれない。

せめて、この部屋に癒しがあれば。

そう、ペットとか。

 

私が本格的にペットの飼育を検討していたのは秋頃のことであった。

欲を言えば犬を飼ってみたい。実家で2匹のプードルも飼っており、身近なペットである。

しかし、散歩をさせる時間はないので、すぐに無理であると気がついた。

それでは猫はどうだ。

35歳になっても独身ならば、関西に戻り、公務員に転職してマンチカンスコティッシュ・フォールドと人生を共にするのが夢である自分だ。今すぐに飼い始めても良いのではないか。

だが、この代案も実現不可能であると悟る。

自分にとって、留学へ行くことも目標の一つだ。遠くない将来、運が良ければヨーロッパでの生活となる。東京よりも物価が高い。猫も飼育可能なアパートメントに暮らせるお金を捻出できるはずがない。

 

つまり、現在の私が飼えるペットは、寿命が短めで、夜行性で、最低限の世話で生きていけるという逞しい品種に限られる。


私は様々なサイトで情報をかき集めた。

ウサギ、インコ、ハリネズミ、ハムスター、モルモットなどなど。あげればキリがないほどである。私の必死さを感じ取ってほしい。

一番興味がわいたのは、チンチラであった。インスタグラムでチンチラの動画を漁り、一目惚れした。ふわふわとして、それでいてさらさらしていそうな、魅惑的な毛並み。小さな丸い瞳。賢くて人懐こいらしい性格。そして夜行性。どの要素を取っても最高だった。

飼いたい。私のお供には、チンチラしかいない。待ってろ、チンチラ

勢いで、チンチラ専門店の見学予約をクリックしそうになった。

だが、一歩手前で踏みとどまったのは、彼らの習性に関する一文であった。

「砂遊びが大好きなので、お部屋が汚れないように、専用のスペースを作ることをおすすめします」とある。

私は唇を噛んだ。

20代OLには、チンチラ様のために、2LDKへ引っ越すほどの財力はない。

 

そんな折、私は気がつくのだ。

動かなくても、癒しの存在なり得るものがあるではないか。

それは、ぬいぐるみ。

 

ぬいぐるみは最高だ。

かわいい、話さない、ふわふわ、私の愚痴には辛抱強く付き合ってくれる。

完璧ではないか。

 

この話をしたところ、周囲からはかなり笑われた。

「何で、ペットを諦めてイマジナリーフレンドに走るんだ」

「そんな悲しいことをしなくても、ハムスターくらいなら飼えるんじゃない?」

ごもっともである。

ちなみにハムスターを飼う気が起きなかったのは、なんとなくだ。なんとなく、もう少し人間の意思をくみ取り、成長してくれる生物の方が好ましかったという、私のエゴだ。

ごめんよ、ハムスター。とっとこハム太郎のように、へけっとしてくれる君たちのことは嫌いではないよ。

……と、キヌゲネズミ亜科には謝罪をするが、私の気持ちは変わらない。

 

だが、私のトンデモ意見に賛同してくれる人物が現れた。

一人暮らしである彼のマンションには、驚くほどのぬいぐるみがある。ほとんどサルで、たまにクマ。ソファーの上には、何匹もの動物が鎮座している。

「ぬいぐるみ、いっぱいいていいね。私もぬいぐるみを買おうか(飼おうか)ずっと迷っているんだよね」

オンライン越しで話していた彼は、サルのぬいぐるみを取り出した。袋に入っているサルが、画面上に一匹、二匹と増えていく。

「どれかあげるよ。自分の家、他人にプレゼントする用のぬいぐるみがあるから」

いや、どういうことだよ。

突っ込む前に、彼はそれぞれのサルに関する説明を語り始めた。

戸惑いつつも、私はぬいぐるみをもらう流れとなった。

 

お猿のジョージが一匹。20センチはないくらいの、ほど良い抱き心地のサイズ感だった。

彼を迎え入れるにあたって、私は寂しくないように2歳から隣にいるミッフィーと友人からもらったウサギを並べた。

新参者のくせに、ジョージの態度が一番でかい。可愛いけど。

ちょっとだけ賑やかになった自室に、思わず笑みがこぼれる。

 

「おはよう。今日もなでなでするね〜」

「ただいまぁ。お留守番ちゃんとしてた?」

「おやすみだね。今日も可愛いね〜」

 

こうして、毎日ぬいぐるみのお世話をする日々が始まった。

信州にいた時も、孤独に耐えるために、時折ぬいぐるみには話しかけていた。

知っている。寂しさを紛らわせるために、ぬいぐるみに話しかける25歳。傍から見たら、かなりヤバい奴だ。

けれども、ぬいぐるみを飼い始めてから、私の心は以前より前向きになった。

 

家に帰れば、彼らが待っている。

触ったら心地よい。可愛い。

いくらでも抱きしめられる。

しかも、ペットのように食費や養育費もかからない。

会社で嫌なことがあっても「早く帰宅して、ぬいぐるみを抱きしめよう」と気持ちを切り替えられる。

いい事づくめではないか。

 

自分がヤバい奴であることは棚に上げておき、私はぬいぐるみを飼うことに大きな喜びを見出した。

 

ぬいぐるみってすごい!!最高!!!

 

ぬいぐるみを飼う楽しさを誰かに伝えたい。いや、伝えたいなんて優しいものではない。これは使命だ。伝えなければならない。

固い意思に反して、気がつく。

この喜びと発見を共有できる人が周囲にいない。

だから、仕方なく、この雑文にまとめてみた。

 

何度でも言いたい。

ぬいぐるみは最高だ。

ふわふわ。可愛い。無口。お金もかからない。

 

いまじなりー・ふれんず達と、今日も、八畳ワンルーム

りある・ふれんず達の、近況を、SNSで漁る。

 

ふわふわの生き物達は、日本酒を片手に映画を見ている私をにっこりと見ていた。

ペットから知る私

大学進学を機に、私は実家を出た。私と両親は、なかよしこよしという関係ではなかった。むしろ母親など「あなたがいなくなったら、フランス語の勉強再開しようかしら」と漏らし、第2の人生を心待ちにしているようでもあった。

しかし、実際にその時が訪れると、心境は真逆であったらしい。最初こそ解放感に包まれていたようだが、徐々に18年間育てた娘が巣立ったことに対して、寂しさが生まれた。全てのことに対して、やる気を失ってしまったのだという。

心の穴を埋めるために両親が選んだ解決方法は、犬を飼うことだった。それも、私と兄に被せるように、姉妹で。

かくして、ヨシナリ家には巣立った子ども達の身代わりとして、2匹のプードルがやってきた。

 

それまで、私の人生にペットという存在はなかった。そして、苦手な存在でもあった。

言葉が通じず、何を考えているのか分からない。突然、噛んでくる。吠えてくる。

通学路に犬がいれば迂回していたくらいだ。


大学進学後、初めての帰省で、私はその小さな生き物と対面した。

 

一匹はシロ。ふわふわとした毛の中には、ボタンのような丸い瞳が隠れている。ぬいぐるみのようだった。

もう一匹はシルバー。シロよりも一回り小さくて細かった。小さい分、さらにぬいぐるみ感が増していた。

 

私の恐怖心を感じ取っていないのか、犬は私に擦り寄ってきた。

「やっぱり匂いで分かるんだ。他の人に対しては、こんな懐かないもん」

母親と私に挟まれた2匹の犬は、とても幸せそうだった。いや、正確には、幸せそうな自分たちを演出していた。

私は、この生命体の賢さを舐めていたのだ。


母親や父親と一緒にいる時、彼女たちはおもちゃを咥えて私の膝元にのってきた。つぶらな瞳でこちらの顔を捉え、頬を舐めてきた。

 

だが、三人(正確には一人と二匹)になると、途端にそっぽを向いた。あろうことか、カーペットの上でオシッコを漏らし、その周りをくるくる歩き回っている。

「お母さんとお父さんなら、すぐに片付けてくれるんだけどな〜。1年に1回しか帰らないのに、片付けられるのかな〜??」

挑戦的な瞳で、遠巻きに私を見てくるシロ。

犬ごときに舐められてたまるか、と私は床上のオシッコを拭き取った。雑巾を洗い、リビングへ戻ると、今度はシルバーがうんちをしていた。トイレではなく、フローリングに。

「残念だったね〜。お姉ちゃんだけじゃなくて、私のお世話もいるのよ〜」

普段、シルバーは鳴き声をあげない。そのくせ、この時だけは、キャンキャンと吠えてきた。

犬語の解読装置を発明してくれないかと本気で思った。


けれども、この試練を乗り越えると、彼女たちは今まで以上に、私に懐いてくるようになった。

「シルバーなんて、まったく人のお膝に乗ろうとしないのに。珍しいわね〜」

と母親が驚くほどだった。

 

冷静になり、二匹を観察すると、私は彼女たちがまったく異なる性格を持つことに気がついた。

両親は、姉であるシロは私の兄と、妹であるシルバーは妹である私と性格が似ているのだと言う。

最初は「まさか、犬にそこまでの違いがあるはずない」と笑い飛ばしていたのだが、彼女たちと接する時間が増えるにつれて、私は両親の言葉を理解するようになった。

 

非常に不思議なことなのだが、私は犬を通じて、私という人間を客観的に捉える機会を得たのだ。


私は常々、変わり者だという印象を抱かれる。自分は自身を一般的だと思っているので、他人からの印象には若干の不服があった。

シルバーは、犬らしくない。変わっている。たぶん、彼女自身は自分のことを変わり者だと思っていないのだろうけれども。

例えば、シルバーはお腹を撫でられるのを嫌がる。両親に対しても、よほどの時でない限り、お腹を見せない。シロはすぐに「お腹を撫でろ」と要求してくるのに。

その代わり、彼女は甘える手段として、高い場所での抱っこを好む。私や両親が立ち話をしていると、威嚇するような声を出すのだが、それは「高い場所からの景色を見せろ」の意味らしい。父親の身長は170センチ後半なのだが、怖気付くことなく父親の肩に顎を乗せて眠り出す。ちなみに、シロは高い所がとても苦手だ。


さらに、シロは自分でケージに戻ることができない。「もう遊びは終わり」と声をかけても、両親に抱っこされるまで待っている。

しかし、シルバーは自分からサッとケージに戻る。こちらの言うことを理解しているかのように。


「ブリーダーさんから引き取る時点で、全然、性格が違ったのよ。シロはね、車の中で寂しそうに吠え続けてて。それに比べて、シルバーは、引き取るなり寝ていたわ」

母親は良く、二匹を引き取った当日のことを話す。

確かに私が犬だったとしても、泣かずに寝ているだろうと、納得してしまう。

 

これは、私が変わっているからなのだろうか。

引き離されると泣くことが、普通の行動なのだろうか。

 

私はシルバーを見て、変わっているとは思う。

だが、犬らしくないシルバーのことが嫌いではない。彼女の独立独歩な性格が、私は好きだ。

 

たとえ、私とシルバーが普通でなくとも、自分が満足していればそれでいいのか。

 

膝の上で眠るシルバーを撫でるといつも私は、自分自身を思い返すのだった。

自分が自分であるために

少しずつ、コロナ前の生活が戻ってきている。氷像のてっぺんが丸くなっていくように、冬は終わりを告げ始めているのかもしれない。

 

時間が動き出す。それと同時に、私はいくつもの岐路に立っていることに気がついた。

 

私の会社には社費留学制度がある。自分の内定時からの目標は、入社5年目の夏から留学へ行くことだった。そのために、残業100時間近い部署に配属されても、信州に回されても、時代錯誤な職場環境にも耐えてきた。

疲労からかテストの前日に嘔吐して約25,000円の受験料をドブに捨てたこともあったが、例年の内定者よりは頑張って準備してきた。先輩からも「現時点でその程度取れてるなら、もう勝ち確定。逆に何を悩んでるんだ」と言われたが、コツコツと細々と勉強を続けてきた。

 

だが、内定をもらえなかった。

 

現在留学中の先輩が内定をもらった時よりも、良い点数が取れていた。今年、内定をもらった先輩よりも取れていた。

 

もしかしたら人事は「信州から引っ越したばかりで大変だろうし、年齢的に来年もチャンスがあるから」と前向きに考えて、私に内定を出さなかったのかもしれない。

しかし、孤独な信州生活を送ってきた自分には堪えた。精神的に辛いことがあっても、ずっと英語を勉強してきたのに、その結果がこれか。あと3年後には海外で生活できるからと言い聞かせてきたのに。

精神的支柱が、音を立てて崩れていく。

 

私は大学受験にも失敗しているので、これが初めての失敗というわけではない。

(友人からは「失敗」という言葉を使うのは誤りではないかと指摘されたが、私の人生プランが狂ったことに違いはないので、ここでは「失敗」と言わせてほしい。)

1年間の浪人生活をしたからこそ、自分という人間のことを良く理解しているのだ。私は一度の失敗で全てのやる気を失う人間であると。

だからこそ私は、一度のチャンスに賭ける。一度で成功できるよう努力をする。人生は短いので、一度で上手くいかないものに何度も時間を割くのは無断だと思うからだ。かなり偏っている上、異論反論が殺到しそうだが、私はやり直しに時間を使うよりも、自分に向いているかもしれない可能性に時間を使う方が有意義だと考える。

 

人は、自分の目標がかなわなかった時に、どのような行動をとるのだろう。

「全然、失敗じゃないし、何度も挑戦していこうよ。1年間留学が遅れるくらい、人生の中でどうってことないよ」

私の話を聞いた大学時代の友人の言葉は、正論だ。28歳で留学に行こうが、29歳で留学に行こうが、些細なことである。

「行けないことが決まって、今は自暴自棄になってるだけだよ。また落ち着いたら、挑戦しようと思えるよ」

知り合って数年以上が経つ友人は、私のことを良く分かっている。正しい。それなのに、私はまったく「来年も社費留学に応募しよう」という思いが湧いてこない。むしろ、この結果になるならば、あんなに英語にお金と時間をかけなければ良かったという後悔の念が渦巻いていた。

 

私が英語に費やしたお金と時間は膨大だ。

読書や文章を書くことなど、自分が好きなことを諦めてきた。もう少し私が器用な人間ならば、勉強と趣味と仕事の両立を図れるのだろうが、私にはそれができない。読書をしても「こんな無駄なことをする前に勉強をしないと。本はいつでも読める」という罪悪感が湧き、心の底から楽しめない。

よく「努力が報われてなくても自分の中には何かが残る」という人がいるが、今の私は「報われなかった場合は自分の手元に残るものよりも、失うものの方が大きい」状態なのである。

 

しかし、留学をするのが昔からの夢だったのも事実だ。負けているのにも関わらず競馬に金をつぎ込む人と、基本的な思考回路は同じなのだろう。

精神的には諦めたい。これ以上はメンタルが持たないと分かっている。だが、諦められない。次なら上手くいくかもしれない。

自分の目標が留学だけならば、来年も挑戦しているかもしれない。

逡巡するのは、私には留学以外の人生の目標があるからだ。

それは、転職することである。

 

「ヨシナリは何のために海外に行きたいの?修士を取りたいの?ただ海外で生活をしたいだけなの?」

友人からの質問に答えるならば「海外での生活もしてみたいし、修士も取りたい」だ。

「日本の大学で修士を取って、海外勤務のある会社に転職したらダメなの?」

もしかしたら、それが最適解なのかもしれない。社会人入学もできるし、留学をするよりも金銭的負担が軽い。

 

だが、私がこの職場で耐えることができればという期待が湧いてしまう。自分が耐えればいいだけなのだ。留学へ行くために、あと2年半だけ。

そうすれば、悩むことなく海外で修士号を取得するという目標を達成することができる。

 

私が今「普通の」職場にいれば、2年半の我慢など大したことかもしれない。もちろん、再挑戦が嫌いという自分の信条には反するが。

なぜ、たった1年間を重く捉えるのか。友人の助言を素直に受け取れないのか。

それは、職場環境がブラックだからである。

 

先輩が辞めて、同期が辞めて、先輩が休職しているような環境に2年半も居続けることは、果たして自分のためになるのだろうか。

本当は、考える暇もなく、転職活動を始めなければならないのではないかという疑問が頭をよぎる。

2年半は体感的に長いのだ。

 

そんなわけで、最近、家の中でぼーっとする時間が増えた。

なんのやる気も湧かない。映画を見ても、転職先を探すためにアプリを開いてしまう。英語の勉強をしてもうわの空。結局、InstagramTwitterを交互に開き、時間だけが過ぎていく。

 

自分の人生、どこで狂ったんだろうと思う。

就職時点?高校で浪人したこと?それとも中学受験をしてしまったこと?……考えると、産まれたことが間違いだった気がしてくる。

たかだか留学に行けなかったくらいで大袈裟だと言われそうだけど。

 

私は私であり続けるために、どうしたらいいのだろうか。

25歳にもなって、15歳のような悩みを持ち続ける自分も馬鹿らしい。その馬鹿らしさを自覚しているので、さらに落ち込む。

 

もうすぐ2021年が終わる。

私の想定していなかった未来は、すぐ側まで来ている。

このまま、ずっと家にいて、布団の中で暮らせれば幸せなのに。

 

去年も暗いことを書いているが、今年も輪をかけて暗い気持ちで1年を締めくくってしまった。私も一度くらいは明るい気持ちで年越しをしてみたい。

来年の目標は、明るい気持ちで年越しをすることにしてみようと思う。