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カズオ・イシグロ読破した

昨年に「私を離さないで」を読んで以来、すっかりカズオ・イシグロ作品の魅力にとりつかれた私。邦訳版として出版されている全9冊を読了したので、レビューしたいと思います。

ネタバレを含むので、ご了承ください。

 

①「遠い山なみの光」(1982年)

記憶には靄がかかる。カズオ・イシグロの処女作。

カズオ・イシグロ作品の特徴といえば、「信頼できない語り手」とも評される、語り手の主人公による記憶の歪み。独白のため、記憶を訂正する者もおらず、それゆえに読み手は主人公の語りに翻弄されつづけるのです。

この記憶の歪みこそが、作品の面白さなのですが、実際に読んでみるまで、「信頼できない語り手」を理解するのは難しいかと思います。

本作は、日本からイギリスに移住した女性(悦子)が、戦争直後に住んでいた長崎での日々を回顧する物語です。悦子には、イギリス人の夫との間にニキという娘がいますが、読者は冒頭で、景子(前夫との間に生まれた日本人の娘)がイギリスで自殺したことを知ります。

回顧の中心は、悦子と友人の佐知子、佐知子の娘である万里子の3人の交流。佐知子はアメリカ兵とともにアメリカへ移住することを願う自由奔放な女性。アメリカへ行くのだとはしゃぐ佐和子と裏腹、万里子は日本にいたいと泣くのです。万里子そっちのけで外出する佐知子を見て、おっとりした雰囲気に思える悦子は代わりに面倒を見たりしています。この説明だと、戦中と戦後の新しい女性像の対比を描いているように感じるかもしれませんが、そんな単純な話では終わらない。

そう言えば、悦子も娘とともに、イギリスへ行ったんだよな…。しかも、娘は自殺したんだよな…。

悦子は「佐知子・万里子」という友人を語りながら、実は自分自身の出来事を語っているのでは?という疑問が浮かぶわけです。

 

②「浮世の画家」(1986年)

新しい世界と捨てきれない自己肯定感。

あらかた他作品を読んだ後だったので、「遠い山なみの光」と「日の名残り」と「わたしたちが孤児だった頃」を混ぜたような物語だと感じましたが、発表年を照らすとむしろ他作品の出発点となる物語のようにも思えました。古きを抱えたまま移り変わる世界を描くという題材には、「わたしを離さないで」にも通じますし、主人公の語りがあちらこちらに飛んでいくのは「充たされざる者」と同じです。

今作の舞台は、1950年代の日本。主人公である「語り手」の小野は、戦争に加担したと推察する隠居した版画家です。地の文章ともなる画家の独白には「おそらく、そう言ったのだと考える。いや、たぶん言った」というような、自身の記憶にある言動を納得させる説明が多く用いられています。「遠い山なみの光」における義父と同様、小野は時代の移り変わりについていけず、価値観を変革しなければならない義務感と自身の精神の支柱であった価値観は誤りでないという正当性の狭間で、自己防衛に陥っているようにも見受けられます。小野が端々で「女どもは男の気持ちが分からない」と発言しているところからも、彼には新たな価値観を本心から取り入れる気がないことが分かります。

ただ、これは人間にとって、当たり前な反応とも言えるでしょう。当たり前が裏返り、新たな常識と言われたところで、誰が疑問を持たずにすぐさま納得できるでしょう。

 

③「日の名残り」(1989年)

イギリスのドラマ「ダウントン・アビー」のファンが好きそうだというのが第一印象でした。20世紀初頭のイギリス貴族社会を舞台にした「ダウントン・アビー」が大好きな私は、当然本作もお気に入りです。時代背景さえくみ取れれば、他作品よりも読みやすいようにも思えます。

執事であるスティーブンスは、戦前と戦時中にはイギリス貴族の屋敷に勤めていました。執事が旧友に会いに行く道中に回想している出来事が、本作の中心です。カズオ・イシグロ作品なので、主人公は自分の言動を正当化するのですが、彼の心理状況はナチス戦争犯罪加担者のインタビューと一致するものでもあるので、あながち信頼できないわけではないのかもしれないと思いました。

一番お気に入りのシーンは、ミス・ケントンから結婚の申込みを受けたことを聞いた時のスティーブンスの反応です。恋は上手くいかないことが多いという教訓は、時代が移ろっても変わらないようです。

 

④「充たされざる者」(1995年)

気が狂いそうになる大長編小説。

ある小さなヨーロッパの街へ公演にやって来たらしい著名な音楽家であるライダー。街の住民は「ライダー様」に途切れることなく、やれスピーチやら、演奏を聞いてくれやら、探し物をしてくれやらお願いをしていく……という流れが最初から最後まで続きます。お願いの最中にお願いが発生すると、前のお願いを投げ出して新たなお願いを解決しようとするので、まったくお願いが終わらない。断ろうとしないライダーには、若干イラつきます。

さらに読んでいて気が狂いそうになる要素は、エッシャーの騙し絵のように、物語の設定がくるくると変化することです。

説明が非常に難しいのですが、ライダーがAから頼まれごとをされる→Aの話を聞きながらライダーが空想する→ライダーの空想が現実にすり重なる→ライダーがBから話しかけられて、いつの間にか空想が現実化している、というようなイメージです。最初から最後まで、空間と次元を無視して話が展開されるので、自分が読んでいる内容は夢なのか現実なのかが分からなくなっていくのです。

これが800頁超ですからね。気が狂います。

 

⑤「わたしたちが孤児だったころ」(2000年)

エリート階級である元孤児である「探偵」の主人公が、幼き日に上海租界で行方不明になった両親を探していく物語。

戦時中の上海と探偵という組み合わせからは、柳広司ジョーカー・ゲーム」をイメージしますが、本作はエンタメ性よりも芸術性や文学性が上回っております。そして、楽しい物語ではなく、悲しい物語でもあります。カズオ・イシグロが描く戦争と戦後とは、他作品にも見られるように、一般人が心の奥深くで罪意識を抱えていても平静をよそおい、変化する日常を過ごしていくという意味なのかもしれません。

 

⑥「わたしを離さないで」(2005年)

語り継ぐべき名作。

私が一番好きな作品で、何度読んだか覚えていません。原書も読みました。人生のバイブル。

おそらく、最も有名なカズオ・イシグロ作品でしょう。

なぜここまで好きなのかと考えてみたところ、主人公のキャシーが自分と似ており、共感する点が多いためではないかと気がつきました。

特に第2部終了間際でキャシーがコテージを去るシーンが好きなので、ちょっとだけ紹介。

キャシーは友人のルースと少しギクシャク中。ルースはトミーと付き合っているのですが、なんとなくキャシーとトミーが両想いなんだろうなという雰囲気で、寄宿学校時代にも他の友人から「ルースとトミーが別れたら、キャシーとトミーがカップルかもね」みたいなことを言われる関係性。まあ、噂を耳にした現・彼女たるルースが腹立つ気持ちも分からないではない。そこで、ルースが取った手段は「トミーと私がカップル解消する可能性はゼロじゃないけど、トミーはあなたを女としては見てないよ」とキャシー本人に伝えること。おそらくトミーに好意を抱いているのであろうキャシーは、それを聞いて頭の中が真っ白。そして、ルース達と別れて、人生を次のステップに進めることを決めます。

いや、いますよね、ルースみたいな子。ちょっと性格がきつくて、友人に自分の彼氏を譲りたくない。いっそ、キャシーが「あんたより、私の方がトミーにふさわしいから」と宣戦布告でもすれば違うのかもしれませんが、友人の彼氏を横取りできない真面目なキャシー。よくある話です。

本作は、主人公達の「提供者」という悲しい背景に目が行きがちですが、何度も読むと人間模様の方に注目すべきだと気がつきます。掛合いを追うだけでも十分に面白いのです。

 

⑦「夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(2009年)

夜更けに、レコードでクラシックを聴いたときのような感じ。

題名からお洒落さが伝わるかと思いますが、イメージと違わずに、人間模様を音楽にのせて書かれた短編集です。村上春樹の作品にもジャズやクラシックが頻繁に登場するからか、どこか通じる雰囲気があります。もちろん、本作の原書は英語ですが、日本語表現とクラシックは親和性が高いのかもしれません。5編の物語が集められていますが、一番気に入ったのは時代を21世紀に置き換えても違和感のなさそうな「夜想曲」でした。

 

⑧「忘れられた巨人」(2015年)

愛は生を超えていく。

アーサー王伝説あたりのイングランドが舞台だからか、カズオ・イシグロ作品の中ではハマれませんでした。愛を貫く老夫婦は素敵ですが、自分には難しかったです。気が狂いそうになった「充たされざる者」の方が楽しめました。

 

⑨「クララとお日さま」(2021年)

ノスタルジックな近未来。

カズオ・イシグロの作品で、戦争などの実在した出来事をベースにしていない作品は、「わたしを離さないで」と本作のみです。ただ、「わたしを離さないで」のテーマはクローン羊のドリーが産まれたことと関係があるようにも思えますし、本作はAIや人工知能の発展した現代社会を映し出しているような気もするので、実在のテーマや出来事は作品は無関係ではないでしょう。

前作の「忘れられた巨人」よりも読みやすく、高校生くらいの年齢でも楽しめそうです。時代の変化に伴う不条理な出来事は、過去の作品と違い、今後到来しうるものだと感じるからこそ、多くの年代の読者に受け入れられやすそうな作品だと感じました。

 

進化や発展は人間に不可欠です。寛容ある新たな価値観は時代を動かす原動力にもなります。しかし、波に乗りこなせず、すりガラスで包まれた世界を抱きしめている人物も確かに存在しているのです。それは、未来で暮らす誰かから見た読者自身の姿でもあると気がついた時、私たちはきっとカズオ・イシグロ作品の虜になっていることでしょう。