Weekly Yoshinari

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【起案中】〇〇〇〇〇逃亡計画②

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yoshinari.hatenablog.com

ベトナム逃亡計画を練っていた2月のある日、Netflixである1本の映画を鑑賞した。

それはアンジェリーナ・ジョリーが監督を務めたらしい、「最初に父が殺された」という作品だった。ポル・ポト政権下のカンボジアを生き延びた女性による、同名の回想録をもとにした内容だ。

街を追われる人々。壊された近代的な生活と資本主義。謎の「オンカー」なる組織への礼賛……。

初めて知った世界観に衝撃的を受け、鑑賞後すぐに原作も購入した。

ポル・ポト政権下で虐殺があったことは、教科書にも書かれている。だが、授業で習う内容はほんのわずか。「ポル・ポト」と「クメール・ルージュ」という単語程度だ。

Amazonの説明文にも引用されているとおり、原作の著者であるルオン・ウン氏は本書のはじめに、こう書いている。

「あなたがこの時代のカンボジアに生まれていたとしたら、これはあなたの歴史になったかもしれない。」

胸に刺さった。

みんなと同じように生きられない。普通に生きられない。

そんな浅い悩みを理由に生きるのが辛いだなんて、私はなんて愚かなのだろう。

罪なきたくさんの人が、悲鳴と痛みと狂気に飲まれて亡くなった。彼らの命が戻ることはない。幸せだった生活、幸せになっているはずだった人生へと時間を巻き戻せることもない。

私は元々、自殺には反対でない。他人に迷惑をかけないという留保のもとでなら、自殺に賛成する。死にたい気持ちが強いのなら、自殺すればいいと思う。自分の命は自分のものだ。他人にとやかく言われる必要はない。結婚や出産をせずに一人でいることの最大のメリットは、他者に煩わされずに自死を選択肢に含められることだとも思う。

しかし、このような考えは甘えだ。所詮、自分が虐殺や飢餓を体験したことがないから言えるものだとも理解している。なぜなら、私は世界中で起こったあらゆるジェノサイドの犠牲者を前にしたら、絶対に「死にたい」などと主張することはできないからだ。

自分の生死が犠牲者の生死に影響を及ぼすことはない。私が自殺しても、彼らが生き返ることはない。それでも、道半ばで凄惨な最期を遂げた人々の存在を認識すると、死という選択肢は甘えに過ぎず、平和な世界で暮らす人間の責務は、拙い知識や思考を社会に還元しながら寿命を全うすることだと思い知らされるのだ。

 

精神的に辛い時ほど第二次世界大戦史をWikipediaで読み漁っていた自分にとって、カンボジア近代史は非常に興味深い歴史的事項であった。

ルオン・ウン氏の回想録をきっかけに、私はカンボジア近代史について調べ始めた。馴染みのないカンボジア人の名前に苦戦しつつも、Kindleで購入した数冊の本を頼りに当時の動きを掴むことができた。

だが、どこか一つだけ、パズルのピースを失ったような感覚から抜けきれなかった。

その理由を探った時、現地を知らないために、歴史的背景と現実が自分の中でうまく消化できていないからだと気がついた。

あと一つだけ。何かを掴みたいと願う私が、現地の博物館を訪れてみたいと思い立つまで、時間はかからなかった。

ただ、カンボジアなのだ。どちらかといえば、治安が悪く危険そうなイメージの伴う国なのだ。

周囲にカンボジア渡航経験者、それも一人で渡航した人はいない。

海外ボランティア団体の渡航先としてはメジャーな国かもしれないが、カンボジアを積極的に旅行先として選ぶ人は少ないように思う。東南アジア旅行といえば、タイやベトナムの方が有名だ。

もちろん、カンボジアの中でも、アンコールワットは観光地として大変有名だ。その証拠に、日本発のカンボジアツアーの旅程表のほとんどが、アンコールワットのあるシェムリアップだ。首都のプノンペンを含んでいるツアーはとても少ない。

女性一人で行くのは危険だろうか。せめてグループツアーに参加するべきだろうか。

悩みながらも、カンボジア旅行についての情報を集め始めた。そして、日を追うごとに、カンボジアへの渡航を夢見るようになった。

Instagramで見るアンコールワットから見た日の出の写真は、生命と文化の始まりを思わせる崇高な風景だった。実際に空の色の移り変わりを鑑賞できればどれほど幸せで、感動するだろう。想像するだけで気持ちが上向いた。

一方で、ポル・ポト政権史に関心のある自分は、プノンペンにあるトゥールスレン虐殺博物館やキリング・フィールドこそ、カンボジアで訪れるべき場所だと考えていた。自分の巡りたい場所を網羅するためには、旅行会社のツアーは使えない。一人で物思いにふける時間だって重要だ。

カンボジアへ行くには、ひとり旅以外の選択肢はあり得ない。これは、単身でどこかへ逃亡したいという希望にも合致する。

けれども、海外ひとり旅の経験がない自分がマイナー且つ危険そうな国への渡航を決心するには、少しだけ勇気を持てずにいた。

 

カンボジアへのひとり旅を考え始めてから2週間ほどたった時、ヘアサロンへ行った。

その日に担当してくださった美容師さんは女性だった。外見的に、私よりも一回りくらい年上だ。彼女は海外旅行が好きで、今まで数々の国へ行ったらしい。饒舌な方で、ハサミを操りながら、自身が訪れた国の話をしてくれた。

私も今まで訪れた国の話をしてから、ふとこの人になら相談できるのではないかと思った。

「いま、カンボジアへひとり旅をしようか迷ってるんです。でも、一人だと危険ですかね」

訊ねると、美容師さんは、個人的に行ったことないと前置きした上で、こう教えてくれた。

「メジャーではないかもしれないけど、すごくいいらしいよ。私の担当している他のお客さんの中にも海外旅行が好きな人がいて、カンボジアに3回くらい行ったって。その人も女性だよ」

「え、3回も!危険じゃないんですかね」

「私もね、その人に同じこと聞いたの。危険なんじゃないですかって。でもね、全然そんなことないんだって。カンボジアが大好きすぎて、3回も行くくらいなんだから。みんなも行けば良いのにって言ってたわ。だから、おすすめだと思うよ」

一人でもカンボジアへ行けるんだ。女性ひとり旅ができるんだ。

美容師さんとの会話は私の決断を後押ししてくれた。

カンボジア逃亡計画の実行が脳内会議で決定した瞬間だった。

 

ゴールデンウィークはひとり旅をしようと思っているんです」

「へえ、いいね。どこ行くの?沖縄とか?」

「いえ、カンボジアです」

カンボジアひとり旅の計画を告げると、ウラジオストクの時と同様に、社内の同僚からは驚きとともに「なぜカンボジアなのか」と問われた。

だが、今の部署の同僚は私が変人であることを知っているので「虐殺博物館へ行きたいからです」の一言で、全てを察してくれた。

カンボジアって危なくないんですか?ヨシナリさんは、ロマンス詐欺に引っかかりそうな気がするんですよねー」

「いやいや、ロマンス詐欺には引っかからないですよ。ヨシナリさんはひったくりに遭いそうです」

「何言ってるんですか、ヨシナリさんは慎重だから、ひったくりには遭わないですよ。男運悪いからロマンス詐欺です」

「いやいや、変な男に付いていくタイプじゃないじゃん。ひったくりに遭う可能性濃厚ですよ」

なぜか同僚達は、私が何らかのトラブルに見舞われる前提で話が盛り上がっていた。そう、職場のヨシナリは皆のおもちゃなのだ。

とはいえ、ロマンス詐欺は大げさだが、女性ひとり旅である以上、トラブルに巻き込まれないよう細心の注意を払う必要があることは間違いない。

1か月ほどかけて、私は着々と準備を進めた。

航空券の準備よし。ホテルも予約済み。Wiseのデビットカードもゲット。Grabもインストール。東南アジアのeSIMもゲット。2万円だけドルに両替もした(円安のせいで、たった120ドルだ。)。その他、虫刺され防止スプレーや全身に塗りたくれる日焼け止めなど、あったら便利そうなグッズも購入済み。「地球の歩き方 アンコール・ワットカンボジア」も熟読した。

ウラジオストク逃亡計画が頓挫してから5年がたった。あの時よりも英語力だって向上しているし、度胸もついた。多少のトラブルが発生しても、コミュニケーションを取るのには困らないはず。

今度こそ。今度こそ、私の計画に死角はない。

(続く)

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さて、ここまで真面目且つ暗い内容を書いてきましたが、私は他人から「ゆるふわ系」とか「韓国風メイク」とか「ジャニオタにいそうな外見」とか言われるような雰囲気の人間です。要は、とても社交的で明るい人間だと思われています。ゆるふわ系よりタイトスカートの方が好きだし、韓国風メイクを好んでいるのではなく顔立ちの問題だし、ジャニーズには一片の興味もないのですが、しめしめ、うまく現代社会に相応しい人間に擬態できているようだ~。

そのようなわけで、たぶん次回からは重苦しい空気が消え去ります。ご安心ください。