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始まりがあれば、終わりがある。最終日のシェムリアップも快晴だった。
マンゴートッピングが嬉しかった、朝食のパンケーキ。フルーツの盛合せも美味しかった。

最終日ということもあり、スーツケースに荷物を詰め込み、忘れ物がないかも最終確認。カバンにヤモリが入りこんでいないか確かめていると(メンタルが豆腐だからね、ヤモリ確認は一番気をつけたのよ。)、チェックアウトまであっという間だった。
「今日はどこまで行くの?」
「タイのバンコク。トランジットが8時間もあるんです」
「あら。どこか行くの?これからタイの観光?」
「ううん、ノープラン。それに、今日中に東京に戻る予定なんです」
「そうなのね、気をつけてね」
このホテルの皆様は全員、屈託ない笑顔でひとり旅の私に話しかけてくれた。
「またいつか、カンボジアへ遊びに来てね。その時は、ぜひ宿泊もよろしくお願いします」
カンボジア人にしては珍しく、歯を見せて笑った女性はたぶん私と同い年くらい。
ふと、トゥールスレン虐殺博物館に並んでいた犠牲者の顔写真が頭の中に浮かび上がり、鼻がツンとした。この国に「またいつか」が失われた日があったことを思い出したからだ。
カンボジアは優しい人でいっぱいだった。私がスリにも詐欺にも遭わず、悪い人を見かけなかったのは運が良かったからなだけかもしれない。それに、少なくともプノンペンは、決して女性が観光地以外の場所で自由に街歩きを楽しめるほど治安が良くないであろうことも肌で感じた。
しかし人生初の海外ひとり旅をやり遂げられたのは、心優しいたくさんのカンボジア人に助けてもらったからであることは、疑いようもない。
生存者バイアスだと指摘されれば反論の余地はないが、それでも私は、心優しい人が暮らすこの国のことが大好きだ。
そして、またいつの日かカンボジアを再訪する日まで、平和と安寧と笑顔が溢れることを願い続けている。
シェムリアップからバンコク行の飛行機は約1時間30分。短時間だからと甘くみていた。
昨日までの疲労のせいか、短時間の空路で乗り物酔いをしてしまったのだ。機内食は何とか完食したが、とても気持ち悪く、機内で吐きそうだった。
本当はタイに入国してマンゴースウィーツ巡りをする予定だったが、とてもではないが歩き回る元気はなかった。
ここからトランジットの8時間。時間の使い方をかなり間違ってしまう。体調がキツくても我慢して出国だけはすませれば良かったのに、制限区域内に居座ってしまったのだ。
時間が早すぎて、東京行きの搭乗ゲートの案内が出ていなかった。道に迷った末、制限区域内への手荷物検査場へ。一刻も早く、どこかで休みたかった。
通常の搭乗と同じく、カバンをカゴにいれて、X線検査へ。なんてことはない。行きも帰りも、カバンに入っている荷物は同じで、シェムリアップ国際空港で買ったお土産のリキュールとクッキーが増えただけだ。
しかし、ゲートを通過しても、カバンが戻ってこない。
職員達が画面を指さし、何やら話している。指が示す方向的に、問題視されているのはシェムリアップ国際空港で購入した100mlのミニリキュールだ。ギリギリ機内持ち込み可能なサイズ。
下調べをしていくタイプのヨシナリ、空港で足止めされるのは人生初だ。
職員は私の荷物を指さし、
「☆※△□〇〜」
いや、タイ人ちゃうって。タイ語は分からんって。
私の怪訝そうな顔を見て、女性職員は「オープン」と一言で言い直した。
「これのこと?」
とリキュールを指しながら聞くと、女性職員にそのまま取り上げられた。空港で入れてくれた箱から出されて、タグを何度も確認している。
職員同士で指をさしあい、何か揉めている。
「これ、空港で購入したリキュールだけど……」
と告げると、知っているとばかりに手で制された。
私からリキュールを取り上げた女性職員が、彼女の上司と思われる人に確認に行く。
バナナ&シナモンというタイでも存在しそうなリキュールだし、そんなヤバいものが空港で売られているはずもないのだが。
上司への確認が終わったらしく、戻ってきた女性職員は首を横に振った。
「ソーリー、ノー」
なんだと!?!?
状況を理解する前に、思わずすぐに聞き返す。
「え、ノーって持ち込めないってこと?」
「イエス。☆※△□〇〜」
瓶をコツコツ叩きながら説明されても、タイ語は分からないよ。
持ち込めないなんて、想定していなかった。それに、誰かからもらった得体の知れないものならともかく、私が免税品店で購入したものだ。一体どうしてだろう……とこの時は全く状況が読めなかったのだが、後に理由が判明した。本当はシェムリアップ国際空港の免税店でSTEBsという不正開封防止袋にリキュールを入れてもらわなければならなかったらしい。リサーチ不足によりそんなことは露知らず、頭の中にはてなマークが浮かんでいたのだった。
自分に非がないと思い込んでいた愚か者だったので、残された方法としては、リキュールの持ち込みを許可してもらうしかない。この旅で何度目かになるヨシナリ・アメリカ人verを心に降臨させ、文法ガバガバEnglishで必死に説明する。
「私はこれをカンボジアの空港で買っていて、レシートも持ってるんです。ほら、ここに書いてあるでしょ?」
レシートを見せながら粘ると、女性職員はまた別の職員に尋ねた。だが、2人の職員は首を横に振っている。タイ語は分からないが、雲行きは怪しそうだ。
私は笑顔を保ちながら、プリーズをたたみかける。
「私はシェムリアップ国際空港でこのリキュールを買って、東京に戻りたいだけなんです。タイに入国するわけじゃない。それなのにここで持ち込みは禁止になるんですか?」
すると、女性職員が再度レシートとリキュールを持って、上司へ伺いへ行った。決裁お疲れさまです。
またまた上司から何かを命じられたらしい女性職員は、
「オッケー」
と言いながら、なんと奇跡的に(当時は「ようやく!!」と思っちゃった。ごめんなさい、職員さん。)レシートとリキュールを返してくれたのだ。
「サンキュー!サンキューベリーマッチ!」
もうthの発音なんて気にしていられない。まさかのシチュエーションにお礼を言いながらも、リキュールをしまう手が震えていた。
留学のために英語を勉強していても、スピーキングの練習は「好きな本」や「今のお仕事」など、自分の考えや事柄を伝えることが中心。日本の英語教育、特にスピーキングでは、もっとトラブル対応の練習をさせてほしいと願った次第だ。
スワンナプーム国際空港は制限区域だけでも、とてつもなく広い。おまけにどこも混んでいる。カフェを探すのも一苦労だった。タイ料理を食べようかとも思っていたのだが頼める自信も食べ切れる自信もなく、結局、目に入ったバーガーキングを選んだ(ばかだね!!!!)。

私はただの馬鹿だ。気持ち悪い時に、どうしてこんなアメリカンなものを食べようとしたのか。コーラがデカすぎるのよ。
スマホをいじりながら、ダラダラとポテトを口に放り込む。大量の芋に飽き飽きしてくるが、急ぐこともない。時間はたっぷりあるのだ。いつまでたってもポテトが減らず、お陰様で1時間以上もバーキンに居座れた。 2時間滞在するのには居心地が悪く、私はコーラを飲み干して、席を立つことにした。
搭乗ゲートが開くまで、残り4時間30分ほどもある。
歩きたくも、食べたくもない人間に空港内でできることは限られている。ずばり、マッサージである。有り余るタイバーツはこれから来たるフライトに備えて、全身マッサージに課金することにした。
この判断は大正解だった。マッサージを担当してくれた中年女性と話すことで気を紛らわすことができたからだ。この中年女性が非常に陽気で、色々とお喋りしてくれた。私はお喋りよりも、隣のベッドで施術を受けながら「ああーーー」と悲鳴をあげていた中国人男性に気を取られてしまったが。そんなに痛かったのだろうか。
「どこから来たの?」
「日本。今日の夜に東京へ戻るんだけど、トランジットが8時間もあって。でも、やることなくて暇なんですよ。タイに入国しようかなとも思ったんですけど、諦めちゃって」
「8時間だと難しいわよ〜。今の時間、タイも通勤とかですごい混むから、そんなに回れないんじゃないかしら。あら!!これ、痒い!?」
中年女性が指で叩いたのは、膝下の虫刺され。蚊というよりもブヨに刺されたようで、赤い大きな腫れになっていた。
「はい、痒いです〜」
「どこ旅行してきたの」
「カンボジアに4日間」
「ああ〜、なるほどね〜。私もカンボジアへ行った時、こんな感じになったわ。虫多いからね。こういうのはね、温めた方が良いのよ。私は彼氏と旅行してたんだけど、もうどんどんブツブツが増えていって(以下略)」
90分のコースを終えた時、中年女性からチップを要求された。チップって要求性だったのかと少々驚きつつ、気前よくもう使わないタイバーツを渡しておいた。
全身マッサージのお陰で身体が軽くなり、この後のトランジットの体調は幾分か楽になった。待ち時間では記念に、マンゴーシェイク的なものまで飲んだ。

いつかタイにも訪れたいものだ。今度こそ、市内のマッサージを堪能して、マンゴースイーツを食べ漁るんだ。
ひとりで海外旅行をしても、蚊のように人生を飛び回る諸問題が解決されたわけではない。インスタグラムを覗けば、あの子は子どもを連れて里帰りをしているし、別の子は入籍のご報告とともに結婚指輪のツーショットをあげている。それが「普通」のアラサー女性の連休だ。
だけど、SNS上の報告からしか見えない他人の人生を羨ましがりすぎることはない。私にだって、大事に抱えている思い出があるし、これからも増えていくはずなのだから。
私は知っている。この場所だけが唯一の世界ではないことを。
人生や日常生活に疲れても、逃げる場所はある。そう、逃げればいいのだ。他の国でも、どこへでも。
カンボジアなんて危険だと、渡航前はたくさんの人に口を酸っぱくして注意されたが、意外に海外ひとり旅は何とかなる。過度に心配する必要もない。カンボジア以外の国にだって、きっと自分なら飛び出していけるはずだ。
小さい頃から「他の人と違うね」と言われるのがコンプレックスだった。私は外見も純日本人だし、海外経験もない。周囲と同じ文化圏で生きてきたのに違いがあるとすれば、それは家庭環境だろう。確かに、虐待のサバイバーの両親の元に産まれた私の価値観は、愛情の連鎖が続くような家庭で育った子どもとは違うかもしれない。私自身が酷い虐待を受けたわけではないが、親の常識が世間と食い違う事実を目の当たりにすることもあった。
虐待は連鎖する。そして愛情も連鎖する。
この世界で唯一頼れる人は自分自身だけだという思いは、小学校低学年くらいから持っていたように思う。
友達が気軽に両親に物をねだるのが不思議でならなかったし、簡単なルールを無視することも不思議でならなかったし、自分の意志なく友達と一緒にやりたい活動を決めることも不思議でならなかった。それなのに、私が自分で悩みぬいた決断についてはいつも「普通の人はそんなことしないよ、変わってるね」と言われてしまう。
なぜ他人から変わっていると思われるのかという疑問への解決方法を、平均値に求めた。
平均的な人間。それこそ、私の考える普通。普通の人間になりたかった。平均攻略ゲームをしていなければ気がすまない。皆と同じでなければ怖いのだ。
平均身長、平均偏差値、平均年収、平均初婚年齢。世の中に溢れる数字や常識に沿って人生の駒を進めることが、いつしか自分の夢へとすり変わっていた。
けれども、実際はどうだろう。平均に沿った人生に航路を定めるのは、やっぱり無理だった。
カンボジアへひとり旅をすることも、ヨーロッパの海外大学院に進学することも一般常識に照らせば変わっている。普通にはなれなかった。
しかし、平均的な人生ではないが、理想として思い描いていた人生であるような気はしているのだ。海外ひとり旅も海外留学も、自分の憧れだったことは疑いようもない。そしてフワフワしていた数々の理想は、着実に、現実となってブロックのように積み重なってくれている。豊かになりつつある内面世界も、私が辛い思いをした時の避難場所の一つである。
この生活は、過去の自分が思い描いていた理想の人生を具現化したものなのだから、平均とかけ離れていて当然だ。他人と違っていて当然だ。
私が生きている限り、いつか人生の終わりはやってくる。それはカンボジアの人々のように、突然奪われる可能性だってある。虐殺でなくとも、事故や災害など防ぎようもないことで、私の人生は即終了するかもしれない。
意識がなくなる前、おそらく平均寿命のことは考えない。その代わりに良い人生だったと振り返る瞬間がやって来るのだとすれば、自分の憧れが本物になっていることに気がついた時だと思うのだ。
早朝に東京へ到着した。滑走路はオレンジ色の朝日に包まれていた。
平均的でないとしても、私のやりたいことはまだまだ見つかるはずだ。明日からの人生にも、光が差し込みますように。

(完・長ったらしい旅行記を読んでくださりありがとうございました!)