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ホテルの朝食はルーフトップバーにて。トンレサップ川を見下ろしながら、優雅な気持ちでマンゴージュースを飲み、現実逃避に浸っていた。

日本では手に入らない理想の朝を迎えられている。私が欲しかったのは、この穏やかさ。煩悩から解き放たれた空間と贅沢なひとり時間は、私の悩みをゆっくりと溶かしていく。
そして東南アジアで飲むマンゴージュースは、とてつもなく美味しい。もう一杯おかわりしようかな。
立ち上がる前にスマホを確認した私は、LINEの通知がたまっていることに気がついた。
職場のグループLINEだった。案件が発生したので、すぐにメールを確認してほしいとのことだった。せっかく現実逃避していたのに、どうして私がいない日に限って、それもゴールデンウィークにトラブルが起こるのだろう。
マンゴージュースのオカワリを諦め、急いでスマホでOutlookを開く。メールがかなりたまっている。そこから、時差2時間の調整が始まった。休暇を取らずに出勤して下さっていた先輩の主張と私の方針が食い違い、代打の先輩に意見を譲ったが、結局、私の当初の方針に落ち着くという一連の流れに、ものすごく疲れた。
自分が出勤していればすぐに終わったのに。先輩にもっと強く言っていれば、すぐに終わったかもしれないのに。
ぐつぐつと心の中で、愚痴とぶつけようのない自分への怒りが湧いてくる。苛立つ自分にさらに怒りが湧いてくる。悪循環だった。
怒りが落ち着くと、今度は一気に現実に引き戻されてショックが膨らんでいった。よりによって、休み明けすぐの出勤日の朝に、定時前に出勤しなければならない予定が組み込まれるなんて。自分の不運を嘆くしかない。
現実逃避のために、ここまで来たのに。これではダメだ。台無しだ。
モヤモヤ感を捨て去れかったが、滞在時間は有限。これ以上、仕事に時間を浪費できないので、国立博物館へ向かうことにした。
プノンペンは、治安が良いとは言えない町だ。街歩きをしている人はあまり見かけない。二人乗りや三人乗りが当たり前らしい、バイクをブンブンいわせている。ホテルから国立博物館は徒歩10分程度の距離なのに、不審者に絡まれやしないかと警戒心でいっぱいだった。
一本路地に入ると路上市場がある。軽く鼻をつまみたくなるような生臭い空気が漂う。所狭しとお店が連なり、衛生面が心配になってくる食べ物や、カラフルだけど砂埃にまみれていそうな衣類が売られていた。道の端に目をやると、真っ裸の男の子がとことこ歩き、お姉ちゃんと思われる女の子が弟の手を引き、父親と思われる男性が何やら2人を叱っていた。
路上市場を通り抜けると、国立博物館へ到着した。市場の雑多な雰囲気とは異なり、落ち着いた場所だった。
「☆△〇〜?」
「いえす?」
チケット売場のおばさんから話しかけられたが、聞き取れず、適当な返事をしてしまう。すると、彼女はもう一度、先ほどより大きな声で話しかけてきた。
「どこから来たの?」
「日本」
「そうなの。楽しんでね」
何気ない会話だが、仕事のことでいっぱいだった頭の中に、穏やかさを注ぎ込まれたようだった。
カンボジアの伝統的な建築の中には、たくさんの仏像などが展示されている。これだけ仏像が集められると圧巻だ。日本にも東洋美術愛好者は多いが、彼らがこの博物館を訪れると感動して卒倒しまうのではないだろうか。

説明のない展示物が多かったが、アルカイックスマイルを浮かべる仏像を眺めていると、ささくれだった私の気持ちが削られ、滑らかになっていくようだった。

活気溢れる市場。穏やかな博物館。人間の歴史と文化を前にすると、仕事のことなんてどうでも良くなってきた。
仕事よりも、スリに遭わないかとか、車に轢かれずに向かいの道を渡り切れるかを考えた方がよいと思い直し、仕事のことを考えるのはやめた。
ガネーシャって確か、幸運の神様だったはず。私の旅と将来も輝いていますように。

ひとり旅の良いところは、ふらりと気になるお店に入れるることだ。
旅行をしたら、必ずと言っていいほど地元のスーパーへ行く。KALDIのような輸入食品店へ行くのと同じ気分を味わえて、わくわくするのだ。コーヒーの試飲はないが、見知らぬ文字の書かれたパッケージから、これは一体どんな味だろうと想像するのも楽しい。珍しいお菓子やドリンクを見ると、全て買い占めたくなってくる。
甘そうなお菓子……カップラーメン……大きめサイズのヨーグルト……お!!また出たな!!!OISHIブランド!!
こいつら至る所にいる。戦隊モノかなってくらいの色と数で。
ちょうど喉が渇いていたので、「緑茶玄米フレーバー」を購入し、帰路に着いた。

ねえ、なんで緑茶玄米フレーバーなのに甘いの?
謎ドリンクを楽しんだ後、ホテルのチェックアウトを済ませて、トゥクトゥクで高速バス乗り場へ移動した。これから6時間かけて、シェムリアップへ向かう。
滞在時間はわずか1日だったが、とても濃密な時間を過ごすことができた。
さようなら、プノンペン!
途中で2回の休憩を挟み、高速バスはクラクションをめちゃくちゃ鳴らしながら爆速でシェムリアップまで飛ばした。
特筆すべきことは、1か所目の休憩場所のトイレが汚なすぎたことだろう。ウェットティッシュで便座を拭いて、前の使用者のものであろう汚物を流そうとしても、水洗機能が壊れているらしく、流れなかった。なんだか変なウイルスが付着しているようで、早々と使用するのを諦めた。
あれ?私、トイレ掃除ボランティアをしただけやないの。
私はこれから5時間くらいトイレへ行けないのかと愕然としたが、2か所目の休憩場所は綺麗だった。安心した。
酔い止め薬の力を借りてうたた寝しながら、あっという間にシェムリアップへ到着した。到着予定時刻よりも早い。
バスを降りると、むわっとした暑さが絡みつく。
シェムリアップはプノンペンよりも交通量が少なく、落ち着いた雰囲気だ。
アンコールワットという一大観光地があり世界中から人が集まるためか、整備されている街という印象である。ホテルへ向かう道中では一人で散歩中の欧米人も見かけた。治安も悪くなさそうだ。
朝から何も食べていなかったので、さすがにお腹が鳴っている。ホテルにチェックインするとすぐに、夕食の時間とすることに決めた。5時間以上も高速バスで揺られた後だったので、ナイトマーケットに繰り出す元気はない。近場で済ませようと選んだのは、ホテルの隣にあるローカル感漂う屋台風レストランだ。まだ6時前ということもあり、貸切状態だった。

注文したのはライスヌードル。本日もアンコールビールとともに。 アンコールビールは買い占めたいほど美味しい。ライスヌードルはタイ料理のような見かけだが、カンボジア料理にも、こんなヌードルがあるのだろうか。いずれにせよ、エスニック料理大好き人間としては大満足だ。
本日の夕飯は4ドル!日本だったらビールだけで、4ドルくらいかかるのではないだろうか?とっても得した気分だ。
この日は、翌日に備えて早々とベッドに潜り込んだ。
さあ、明日はシェムリアップ観光だ。
(続く)